見出し画像

ブログのネタ出ししてるときに考えていたこと(自分が経験してきたことは無駄ではないはずだ)

いきなり暗くて申し訳ないが、今の素直な気持ちを書き留めておきたい。

ブログを書き始めてしばらく経ったが、最近ふとしたときに、私のブログってたぶん大多数の人にとっては「おもんない」だろうなあということが頭によぎることがある(以前の1ヶ月記念の記事でも言及した)。

なぜ「おもんない」かというと内容が外界の事象に対する反応(自分の意見や感想)ではなくて、自分の内面(内心)について書かれたものが多いからである。Twitterでもそうであるが、私は自分の内面とか、心の内で考えていることとか、そういうことに対する言及が多い。

しかし、そういう内省的なことは、身近な人ならともかく、どこの誰かもわからんヤツの内面なんて多くの人は興味ないんよね。精神的に健康な人ほど関心は外部に向いていると思う。

友達がいる人はブログやTwitterなんて書かずに、友達と遊んでいた方が楽しいだろうし、恋人がいる人だってそう、リアルが充実している人はそもそもこういう場所にくる必要がない。

自分のブログは、自分がうつ(双極性障害)以外に濃い人生経験を特にしていないからか(病気したことが、それだけ人生においてインパクトの大きな出来事だったということもあるが)、トピックがうつ関連に偏りがちで自分で読んでいても「おもんないなあ…これ」ってなることが多い。

トピックが偏っている主因は人生経験が薄いことで、それゆえに自分の言葉で語れることが少ないことだ。人生経験が薄いというのは私の中でかなり大きなコンプレックスになっている。

以前Twitterでこんなツイートを見た。

コミュ障には「初対面の人間とは話せない」タイプと「初対面の人間とはそれなりに話せる」タイプがいるけど、人生に深刻な支障をきたしやすいのは後者で、前者は接触回数ごとに自然と親しくなっていくけど、後者は初回は好印象与えられても距離を全く縮められず、接触回数が増すごとに気まずくなっていく

私はこのツイートの後者にあたるとすぐ思った。それは、たぶん人生経験が薄いため自分の言葉で語れることが少ないからだと思った。要するに「深堀りしがいのない人間」だからだと。

いや、正確には人生経験が少ないというよりも、人前で喋るのに適した話題の抽斗が少ないのかもしれない。つらい経験がわりかし多い人生だったと自分では認知しているので、暗い話ばかりで楽しい話ができない。

楽しい話をするためには、知識を深めるとか、趣味に傾倒するとか、そういうことをする必要があると思っている。自分はそれらをまったくしなかったわけではないが、なぜか長期記憶には刻まれていない。ひょっとしたら、ネガティブな記憶だけ長期記憶に残す”認知の偏り”みたいなものがあるのかもしれない。

自分の人生がダメな大きな要因の1つって、そういう知識を集めたり、趣味に傾倒したりといった、濃密な楽しい、人生に没入している時間(あるいは記憶)の蓄積ができていないところにあると思っているのだけど、なんでできないのかがわからない。能力の問題なのか?

曲がりなりにも結構長く生きているのに、人前で自信をもって語れることがほとんどないって大きな問題だよなあ…。これがめちゃくちゃコンプレックスなのだ。

あくまで推測に過ぎないけど、幼少期から青年期までの間に同世代の人間のコミュニティにうまく溶け込めなかった(コミュニティ内部に入れなかった)せいで、「同世代の人間に揉まれる」ってことをほとんど経験してないからかなと自分では思う。多くの人は、思春期あたりで周囲の人間に揉まれて自分の価値観を修正したり、深化させるから。そこがないのは私の人格形成(および人前で話す際に選ぶトピックの傾向)に大きな影響を及ぼしていると思う。

あんまりネガティブなことを言うもんじゃないが、ここはそういう思考の過程(淀みのようなマイナスなものも含まれる)を吐き出す場所だと私は捉えているから言うことにするけど、私はこれまでどのコミュニティ(幼稚園~会社に至るまで)に所属してもうまく溶け込めなかったタイプの人間なのだ。

少し前に「スクールカースト」という言葉がよく話題にされていたけど、あれでいうと完全にカースト外で独り遊びしているタイプの人間なんだよなあ、私。

どうやったら集団になじめるか考えて、それでも失敗してきたというのが私の人生だからなあ…。こればっかりは事実であるから覆しようがない。

ただ、人がやっていた経験ができなかったということは、逆にどこかで人が経験していないものを自分は経験している(できている)可能性があるということだと前向きに捉えるようにしている。

先日、女優の浜辺美波さんが、映画の舞台挨拶かなんかで、「私はみんなが経験してきた青春みたいなものを一切経験できなかった。もっと学生時代を楽しめばよかった」と言って涙を流されていたのを見た。

画像1

画像引用元:https://www.google.com/amp/s/www.cinematoday.jp/news/N0117951.amp.html

でも、私が思うに、確かに浜辺さんは普通の女子高生が経験するような学生生活は経験できなかったのかもしれない。けど、その代わりに普通の女子高生では絶対に経験できないことを経験している。普通の女子高生が勉強や部活動や恋愛に割いていた時間を彼女は芝居を極めることに割いていたのだから。それは絶対に他の人にはない浜辺美波固有の魅力になるし、絶対に経験を無駄にしたなんてことはないと私は思った。

私のしてきた経験も(決して浜辺さんと同列に語ることなんてできないが)無駄ではなかったのかもしれない。人と違うことを積み重ねてきただけだ。だから、人とはちがうことが得意なのかもしれない。そういう風に思うようにする。私は私のもっているモノの中で自分の最大値が出せればいいのだ。上記の浜辺さんが涙して語ったエピソードにはかなり胸に刺さる部分が私にはあった。

私の人生経験の薄さ(あるいは偏り?)ゆえに、どうしてもブログのトピックが偏ってしまうという話に戻る。

人には必ず得意/不得意がある。経済が得意な人は経済について主に語るし、歴史が得意な人は歴史について主に語る。ライフハックなんかについてたくさんブログをあげている人はよく見るが、あれはその人にとってライフハックというのが得意分野だから書いているのである。

うつ病だって、その得意なことの1つではないか?私はうつについて実体験があるから、体験したことのない人に比べて、それを上手に書ける。だから、私のブログのトピックがうつ関連に偏るのは仕方がないことなのだ。そうやって自分を納得させている。

それにブログを読んでいる人が皆「人生充実して楽しい!」みたいな人ばかりではないと思う。先ほども言ったが、リアルが充実している人はそもそもブログやTwitterをやる必要性がない。だから、中には、私と同じように「人生がつらい」とか「切羽詰まってどう生きていったらいいのだろう」みたいな人だって存在すると思うのだ。

そういう人には、私がブログに時折書くような「こういう死にたい時期がありました(今もそうです)」とか「めっちゃ死にたいけど、どうにかして生きていきたい」とか「死なないためにはどう生きていったらいいのだろう」とかいうメッセージが届く可能性がある。そう思って書いている。

私がうつでかなりしんどかったときも、元気な人の話を聞くよりも、自分と似たような境遇の人を探して、「自分は独りじゃないんだ」とか「同じことで苦しんでいる人たちがいるんだ」とか「人生がつらいのをこの人はこうやってクリアしたのか、参考にしよう」という風に思っていたことがある。今でも時々そうだ。そういう人を見ると(失礼かもしれないが)なんか安心するのだ。

私は一部の記事を、当時の私のような人に向けて書いている。そういう人には私のメッセージは(全部ではないにしろ)届くと思っている。精神科の主治医と父からは、「うつについて語るのがつまらないとは思わない(トピックがそればかりに偏るのはよくないけど)。中には昔の私と同じような人がいて、そういう人は私の言葉を見て安堵することもあるはずだ」と言われた。

あまり、高尚なことをいうつもりはない。私は私の書けることを等身大で書いていく。人間関係で苦しんだこともうつで苦しんだことも事実だし、私の一部である。

因みに、最近ブログ(このnote)を始めてからブログのネタを思いついたらLINEの私1人だけのグループ(笑)やTwitter、Word等にメモするようにしているのだけど、まだタイトルだけしか決まってないし、書ける自信もまったくないが、今のところ58個のテーマがある(内容的には重複もあるのでもう少し数は減るかもしれんが)。

今現在もこの記事とは別にすでに書き上げてストックしている記事(あとはアップロードするだけの記事)が4つだけだけどある。テーマはうつに関するものが1つとうつ以外のものが3つである。極力トピックが偏らないようには注意した。

あまりすぐにネタを出すと、どうせすぐにネタ切れして困るだろうから、これらは小出しにしていく。あくまでブログは自分のペースでゆっくりやる。

今回も内省的な記事になってしまった(一部の人にはまったく楽しくない記事だろう。すまん)。でも、これが私の”得意分野”なのだ。


ご支援ありがとうございます。また見にきてくださるとうれしいです。頂戴したお金は大切に使わせていただきます。