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秒速5センチメートルという映画を観ました

秒速5センチメートルを鑑賞した際の感想です。

・見る前の意気込み

すでに新海誠の映画はおれとソリが合わないことがわかっていた
なので「可能な限り好意的に見る」ではなく「新海誠が大好き!感動大好き!」ぐらいの気持ちで見ることにした
このくらいしないとアラ探しになりそうだった

・初見の感想

1話
 たかきが不安になるのも、忘れられなくなるような思い出になったっていうのもわかる
2話
 なぜたかきがこんなにも反応を返さないのかがわからない
 たかきが何を考えているのかわからない
3話
 おれの読解力が低いせいでこの時のたかきに彼女がいることがわかっていなかった
 なんでどんどんダメ人間になっていっているのかわからない
総評
 何も起こらなかった
 最後の最後まで「頼む!何か起こってくれ~!」という気持ちでいっぱい

・友人の考察


1話→2話→3話の順に描かれる期間が長くなっている
逆にたかきの情熱が話を追うごとに薄れていく
ところでロケットが明らかに象徴的に描かれている
ロケットとはすごい速さで燃料を失い失速していくものである
そういう意味でロケットはたかきを象徴していると思われる
つまりこの映画はたかきが1話で人生のピークを迎え、そこから失速していく過程を描いたものである

・考察を聞いた後の感想

この考察はかなり説得力があると思ったし納得した
とするとおれが想像していたよりキラキラした話ではないようだ
監督の狙いが観客に苦しみを与える事だとすると後味の悪さにおいてはかなりクオリティが高い
鑑賞後の気持ちとしては切なさとか甘酸っぱさという言葉よりも後味の悪さという言葉がしっくりくる
たかきにはあかりに会うための偶発的なチャンスはなく、努力もしていない
そこに製作者の意地の悪さを感じる
普通の映画ならば「実は近くにいました」とか「合う約束したけどなんらかの事情で会えませんでした」みたいな要素を入れて、あからさまに観客に苦痛を与える
しかしこの映画では何もそういう描写はなくただ時間が過ぎていき、映画が終わる
お約束や定番を破壊し、何も起こらなかったという切り口から無味乾燥な苦痛を与える製作者の手腕には脱帽せざるをえない

たかきは1話以降何事に対しても情熱を失っていくのだが、そうなってしまったきっかけが描写されていないのが気になった
確かに人間誰でも落ち込む期間があるのはわかる
しかし13歳から社会人3年目までずっとそういう感じであり続けるのはなにか理由付けが欲しい

・総評

まったくエモい感じではなくかなり高度な鬱映画だと感じた
もっと感動を前面に押し出した広告業界の人らが好きそうな気持ち悪いノリの映画を覚悟していたが、いい意味で肩透かしを食らった

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