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トイレに閉じこもりたいのなら、それもいいかもね

運動場に着いたとき、もう事件は起きていた。

感染対策のため学年ごとの演技と保護者観覧となり、小学5年生は午後イチバンの出番ということで、スカッとした秋晴れのなか妻と次男とのんびり歩いてやって来た。

すでに入場門には子どもたちが座ってスタンバイしている。踊るポジションを事前に聞いておくのを忘れたため、長男に声をかけようかと思ったが、どうも様子が変だ。腕で顔を覆い、下を向いて三角座りをしている。両隣の女子がときどき心配そうにのぞき込んでくれている。

これはなんかあったな。

それに気づいて、声をかけずに遠目に見ていたら、担任の先生が通りかかり声をかけてくれた。どうやら、午前中に友だちとのじゃれ合いの行き違いで弱気になったか何があったか、トイレに閉じこもっていたらしい。そのせいで、お弁当も食べられず、運動会にのぞんでいるということだった。

2学期に入ってからトイレに閉じこもったのはこれで2回目だった。前回は2週間前、友だちにからかわれてトイレに逃げ込み、そのまま誰にも気づかれず、図工の授業を受けずに1時間まるまるトイレで過ごした。

図工は専任の先生だったということもあり気づかれなかったが、その次の授業で長男がいないことに担任の先生が気づき、トイレの個室で見つかった。


入場の合図がかかり、子どもたちが立ち上がる。ハラハラしたが、長男も顔を上げ、どうにか立ち上がった。もう、楽しそうに踊っているところが見たいとか、リレーでは抜けなくても、抜かれなかったらいいなとか、それはどうでもよくて、ちゃんと動いて周りを心配させなければそれでいいと祈るだけだった。

終ってみれば、ソーラン節は、彼にしてはよく踊れていた。リレーも、しっかりと走れていた。僕らにはそれで十分だった。なんと運動会観覧に対するハードルが下がったことか。


この2週間でなぜ立て続けにトイレに閉じこもったのか。帰り道、歩きながら妻とあれやこれやと考えたところ、これは彼の成長の結果、またはその途中なんだろうということになった。

これまで、彼は小さなころから友だちを作るのが苦手で、低学年のときは休み時間の多くを図書館で一人で過ごしたり、教室でもひとりで本を読んでいたりしていたが、小学4年になったあたりからたまにクラスメイトと運動場で遊ぶようになり、今年に入ったくらいからは、誘われなくても自分から「入れて」と言って輪に入れるようになった。

そんな彼だから、きっとほとんどのクラスメイトともまだ距離があって、そんなに本気で「友だち」的な付き合いができていなかったのだろう。

それがここのところクラスメイトと遊んで過ごす時間が増え、やっとクラスメイトの多くに受け入れてもらえたり、かかわってもらえるようになったものだから、子どもたちによくあるような、いじられたり、ちょっとちょっかい出されたりということに、戸惑いがあったのだろう。

多くの子たちが低学年くらいで経験するそうした友だちとのかかわり合いを、小学5年で初めて経験しているのだ。

そんな経験ができているのなら、それはいいことだ。しかし、そこで小学5年という年代の難しさがある。自意識とプライドが芽生えてしまっているのだ。いじられたり、おちょくられたとき、低学年なら子どもらしく笑って過ごせるものが、深く傷ついてしまう。

以前は学校内で声をかけたらうれしそうに手を振ってくれた彼が、この1年くらいは知らんぷりをするのだから、きっとそういう時期に差し掛かっている。

友だちを作ることになんて興味がなくて、自分の時間を過ごすことが好きだと思っていたら、本当は友だちと遊びたいと打ち明けたのが小学3年の終わりごろ。そこから休み時間の過ごしかたや、友だちへの声のかけかた、休憩時間の遊びへの加わりかたについて一緒に作戦を練り、やっと実を結び始めていた小学5年生に試練が待っていた。

きっとつらいだろう。だからと言って、トイレに閉じこもるのはよくない。でも、彼にとっていま学校の中でトイレが必要な場所ならば、それを奪うことはやめようと妻と決めた。

トイレに閉じこもって、自分を落ち着かせ、また教室に戻れるのであれば、それでいい。もしそれで安心して学校に行けるのなら、トイレという存在に感謝だ。もし、トイレに閉じこもって、それで友だちが離れたら、それでまた彼は学ぶだろう。また作戦会議を開こう。

僕自身の小学生時代とは真逆な過ごしかたで、理解してあげられないこともあるかもしれないけど、彼のいまをわかってあげたいと思う。彼から、彼が選ぶ選択肢を奪わずに、少しだけ静かに見守ってみたいと思う。

がんばれ小学5年生。

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