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無言の茶室

ここ数年、非言語コミュニケーションが気になっている。
とくにクリエイター同士で仕事を続けていると、互いの言いたいことが感覚的になり、長島監督なみに擬音語祭りになったりして、言語というものの表現の幅が狭いということに気づかされる。

Konelは「脳波」を用いて、言語に頼らないコミュニケーションの形を探ってきた。

NO-ON:脳波による内発音楽表現

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この作品はMUTEK JPで発表したもので、色んな方々から色んなリアクションを頂戴したが、とくに熱く議論を交わしてくれたのが、松林豊斎氏だ。

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松林さんは、京都の伝統的な陶器「朝日焼」を十六代目として継承されている工芸作家さん。まだ会ったこともないのに、彼の個展に招待をしてくれたので、横浜までいってみた。

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陶器に造詣がない私でも、はじめて作品をみたとき、素直にカッコいいと思った。
でも「カッコいい」という言葉だけでは全然表現できていなくて、本当はそれ以上に感動していた。
でも、目の前にいる初対面の松林さんに「感動しました」と伝えるのも軽薄な気がして、ぎこちなく会話したことをよく覚えている。

(この出来事があった直後、「なぜアート鑑賞はぎこちないのか」というnoteを書いた)

松林さんもKonelの活動に関心を示してくれた。
伝統のこと、先端テクノロジーのこと、芸術のこと、いろんな話で盛り上がったが、「なんかやりましょう」と熱量が高まったのが非言語コミュニケーションについてだった。

有限なボキャブラリーに縛られた言語から解放されて、ありのままの状態を表現することにお互い興味が高まり、ある実験企画を立ち上げた。

着目したのが、茶道。

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長い歴史の上に成り立っている文化には、厳密な作法が存在する。
亭主と客人は、その時々の状況によって文脈を読み、作法を意識して発言したりする。
作法自体を否定したいわけではないが、若者や外国人など前提をしらない「初心者」には敷居が高いことに、むずがゆさを感じた。

とても感動しても期待未満の体験であっても、覚えたての「結構なお点前で」と発言して締めくくられる。

亭主からしてみると、誰に提供しても言われることが同じ。
もっと本能的に感覚的に、体験に関する感想をコミュニケートできてもよいのではないか。

この言語的な制約が強い状況下で、非言語コミュニケーションの実験を行った。

無言の茶室

ルールはとてもシンプル。

- この茶室では、無言をつらぬく。
- かわりに客人は脳波計を装着する。
- 複数の朝日焼から使いたい茶碗を直感で選ぶ。
- 取得される脳波をNO-ONのシステムに流し込み、その人だけの音を奏でることで、リアルタイムで非言語表現を行う。

このルール以外は、一般的な茶会と変わらず進めた。

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日本人と外国人、バックグラウンドの違う男女12名の客人を招き、松林さんにお茶をたてていただいた。
何か科学的な検証を行ったわけではないが、やはり人によって多様な音が鳴った。(以下はサンプル音源)

表現の逆流

やってみて面白かったのが、亭主と客人の表現の方向が逆流したように思えたことだ。

客人にとってみれば、自分の脳から音が流れてくる体験は印象的にたのしんでもらえたのだが、自分一人の音しか聞こえない。

しかし亭主にとってみれば、まったく同じ流れで進めても、ピークや鳴り方が人によって変化すること自体が新鮮だったと。

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茶室のあしらい、碗、菓子、所作の一つ一つが亭主の表現で、それを客人が受け取って感じるのが一般的だとすると、客人の表現が亭主に逆流したとも思える。

もちろん、言葉を封じない茶会でも様々なスタイルがあり、双方向のコミュニケーションはあるのだが、AさんのおいしいとBさんのおいしいは同じ尺度ではかれない

言葉を封じて、同一の演奏アルゴリズムで尺度を統一し、脳波という刻々と変化する自分由来の情報をもとにすることで、比較可能なオリジナリティが表現できたのではないだろうか。

日本でも、海外でも。

実験はとても面白かったが、まだ可変な要素がたくさんある。
京都にとどまらず、第2回以降も開催をしたい。
お茶室を持っておられる方、茶道をされる方、伝統文化の拡張に関心がある方は、ぜひご連絡ください。

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CONTACT : info@konel.jp

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