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引きこもりをコムフォートゾーン(快適な区域)という概念から考える

現実は、どちらかといえばコムフォート(快適)などではないかもしれない。

特に大人になってからのそれほどそうだろう。

僕は20代のかなりを引きこもりとして過ごした。
学校時代は不登校の時期もあった。

先日、どこかのnoteでコムフォートゾーンについてのはなしを読んだのだが
このコムフォトゾーンという概念で理解できることはかなりあると思う。

コムフォートゾーンとは英語で快適さを感じる区域ということだ。

コムフォートゾーンはすなわち、その人の活動領域なのだと思う。

これは、3次元的な物理エリアだけでなく、ネットやテレビやラジオなど、空間情報の区域も含む。

テレビ情報が不愉快であれば、テレビの空間はコムフォートではないので、その人はあまりテレビを見なくなることもあるだろう。


70年代うまれの僕は、若い頃英米圏、とくにアメリカに憧れた。

洋楽が好きだった僕には、そこは天国か楽園にさへ見えた。

マイケルジャクソンやマドンナ、マライアキャリーやエリッククラプトンなどのすごい人がいるのだから、これはすごいはなしに思えた。

しかし、9.11テロ以降は英米圏から入ってくる情報はネガティブなものが激増した(僕が得た情報にすぎないが)

アブリルラヴィーンやビヨンセ、せいぜいテイラースウィフトあたりで洋楽ですごいと思える人は途絶えてしまった。

いつの間にか、英米圏は僕にとって、積極的に自分から行きたい場所というわけでは特になくなってしまった。

これは、(少なくとも今現在)そこは、コムフォートゾーンとは思えなくなったということだ。


これが、野球選手で、大リーグでやれる器であれば
たとえばアメリカはまだコムフォートゾーンだろう。
もちろんアスリートであれば、僕たち一般人の想像を絶する苦痛もあると思うけど
自分の可能性をそこで追及できる。

アラフィフで神奈川に住んでる僕には、若い頃、東京もまたコムフォートゾーンだった。
渋谷・原宿・秋葉原・神保町、いろいろハマったけど
30代後半あたりから、東京への関心も激減した。
理由ははなすまでもないかもしれない。


こう考えると、コムフォートゾーンが急激に狭まるのが、挫折または自閉であるのだろう。
「挫折」によって、世界のかなりが自分にとってよそよそしいエリアに転落してしまうのだ。
いや、転落したのは「世界」ではなく「自分」なのだろうけど。
逆にコムフォートゾーンが適性値を超えて拡大するのがバブルなのだろうが、「挫折」のそれは、ある意味適性値を大きく下回っている。

僕は、どうも最近、仕事のない日は、一日のかなりを布団を抜け出せないことも増えた。
この布団を抜け出せない状態は、すなわち、僕のコムフォートゾーンの広さ(狭さ)についても何かを物語っている。
老齢の方の寝たきりなども、こういったことと関係している場合もあるようだ。
「歩かなければ」と頭で分かっていても、家の外に一切のコムフォートを仮定できなければ、布団を抜け出すのが難しくなる。
そうすると、無力感が募ってさらに……というループにはまることもあり得る。

結局、どの程度人とうまくやれるか、どの程度金をもっているか、どの程度能力(単純に移動の能力も含む)をもっていて、またそれがまわりに受け入れられるかなのかもしれないと思うことがある。

挫折した(傷ついた)人は、コムフォートエリアの縮小によって、最悪、引きこもることによってダメージを回復する必要があるのだろう。

地球に(対人空間に)一切のコムフォートがないと思ってしまうことが絶望であり希死念慮の源泉なのだろう。
また、ある種の犯罪の源泉なのだろう。

地球は決してコムフォートではないという理由や事実は探せばいくらでも見つかる。
そんなもの(コムフォートなゾーンなど)はまやかしか詐欺に近いものだという理屈を最終的に論破するのは難しいだろう。

人がつくった商品は、たまに完璧に近いモノも産まれる。

人の容姿や能力も、たまに完璧に思える人がでてくる(フィギュアスケートのプロアスリートなどを想像してください)

だから、完璧でなければコムフォートではないという理屈もまた成立するけど

しかし、対人空間としての現実がそういう意味で完璧なことはまずないですよね。

対人空間で起こることは、むしろ一種の無限に起こるズレなのかもしれません。

このズレの程度によって、学校も職場も家庭も社会(地域も国際も)もSNS空間も、失望や絶望、怒りなどが生まれます。

対人空間は、完璧な商品やサービス、完璧な個人と違って、むしろ無限に近く起こるズレがデフォルトともいえるので、
その人のキャパを超えるものにならない限り、このズレを受け止める必要がでてくるのかもしれません。

このズレがキャパギリギリかオーバーになってしまうと、引きこもり他各種の後退が起こるのかもしれません。

このコムフォートがほとんどなくなってしまった世界に、もう一度コムフォートを(部分的にでも)取り戻そうとするところから、各種のリハビリが始まるのかもしれません。

コムフォートを取り戻そうとして布団の中でSNSを開いたら、より大きな失望が待っていたというのは、あるあるかもしれません(逆に希望が湧いたとか元気づけられることもあるでしょうが)

コムフォート(失われた)を取り戻そうとする試みが、もしかすると生きることなのかもしれませんね。

こう言うと、なんかすごく自己チューな響きがありますが

ダメージを負ってる人が、他者のコムフォートにいますぐ貢献するのは難しい場合も多いでしょう。

まぁ、コムフォートというのは意外にその辺に転がってる場合も多かったりします(自分を殺そうとしている人がそこら中にいるみたいな極端な状況を除けばですが)

コムフォートを世界に見つけるか(気づくか)、それとも、世界がコムフォートでない理由を沢山集めてしまうかは、個人バイアスでもあるので、これもすぐにはどうにかできないことが多いでしょう。

もちろん、コムフォートでない理由を見つけるのが得意な人の方が環境改善の提言はその分できるのかもしれません。

しかし、いずれにせよ、コムフォートをすっかり失ってしまった人も、いずれはまた、世界にコムフォートを探しに、あるいはつくりにいくものなのだという気がします。

休みの日に、布団から抜け出せず、もはや半引きこもりの様相を呈してる自分は、数日前に読んだ、コムフォートゾーンについて書かれていたnoteを思い出して、そんなことを考えていました。

ある種の痴呆も、もしかすると、コムフォートゾーンがなさすぎることによって脳がダメージを受けることと関係してるんじゃないかと思うこともありますが、そっちは門外漢なので言及は控えめにしときましょう。

とりとめがありませんが、御一読どうもでした。

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(あとがき)
このコムフォートゾーンという概念は、人間の行動とか、ウツ病とか、嗜好物への依存、絶望や自殺や犯罪、経済や政治とも関係しているようにも思えるのでもっと深く考える余地がありそうです。
こりゃあ、休みの日はますます家に閉じこもりそうだな……
スマホとウイルスの時代は閉じこもりを促進する時代なのですかね。
人類はいよいよ手も足も使わない時代に突入した。
いや、それは大袈裟か……

(製作データー)
書き始め:2022年3月18日午前9時49分

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