生産性の追求に感じる限界
こんにちは、木月まことです。
生産的であろうとすることに疲弊を感じることはありませんか?
今日はたまたまわたしの住んでますところは晴れてますが、全国的には梅雨ですよね。
この雨のシーズンはもしかするとクールダウンせよというサインなのかもしれません。
オーバーヒートしそうなエンジンに雨という水がぶっかけられる
それが梅雨なのかもしれません。
いや、単に成長する穀物その他に水が必要だというただそれだけのはなしなのかもしれません。
ところで、noteには比較的生産的な個人が集まってるのではないかと思われますが、多くの人の生産性の追求は功を奏しているでしょうか?
最近梅雨だからかどうかというのは定かでないのですが
限りなく生産的であろうとすることに疲弊を感じることもあります。
noteとかもあんまりパッとした結果に結びついてないからというのもあるかもしれません。
結果が出なければ出ないほど、何割かの人は悪循環的に生産的であろうとすると思うんですよ。
金を稼げなければ、せめてSNSで「いいね」やPVを稼いでみたいな
もちろんSNSって多少なりとも利他でないと続かないと思うんですよ。
だけどこの多くの人が直面する思うような結果がでないということについて少し例によって考えてみました。
結果がでないと「やり方が悪いからだ」というはなしは必ずでてきますよね。
もちろんそのはなし自体は嘘ではないことも多いでしょうけど
ただ、たまに生産性という概念に倦み疲れることって多くの人にありますよね
それは何故なんだろう
ひとつは、日本ってきっと金を稼ぎすぎたんですよ
もちろん個人としての貧困は多分確実に増えてると思います。
銀行などに貯金などの金融資産が50万円以下だという個人はかなり増えてるでしょう。
ぶっちゃけわたしもこのクチで、貯金どころか、カードローンの返済が50万ちかくあり、これがなかなか減らないんです
そういうわけで個人としては金のない人は確実に増えてますが、それでも日本は全体的にみればやはり金持ちだと思います。
公部門の財政赤字が盛んに喧伝されてますが、それでも民間を含む日本全体ではやっぱり相当な黒字だと思います。
日本はもっと生産的になるべきだという人ももちろんいると思います。
日本は、むかしトヨタやソニー、パナソニックなどで世界市場を席捲していましたが、ITの時代になると、日本にはグーグルやアップル、アマゾンやフェイスブックに匹敵するものはありません。
だから、もっと頑張るべきだっていう人もいるでしょう。
でも、日本は個人としての貧困は増えてても、全体の富はまだまだ世界トップレベルだと思います。
そうすると、わたしたちのさらなる生産性の足かせは、この全体の富だと思います。
富がありすぎるわたしたち日本人の宿命はさらなる生産性というよりむしろ蕩尽なのかもしれません
富が天井に達したわたしたち日本人にはさらなる生産は難しいのだと思います。
この意見はもしかすると間違ってるかもしれません
しかし梅雨のさなか、生産性の追求にすこし疲れたわたしは、もしかすると日本人に必要なのはさらなる生産性の追求というより財の蕩尽ではないかと考えてみたりもします。
もちろんそれが戦闘機の爆買いとかでいいのかという議論はあるかもしれませんが、ただそれも無意味なカネ余り状態に外国につけこまれたという見方もできなくはないかもしれません
カネ余りな日本にさらなる生産はいずれにせよ難しいのかもしれません
そこで、そんな感慨をnoteに書き綴った自分は、今日はもう生産的なことは止めにして、生産的ではないことに時間を使おうかなとも考えています
具体的なことは「マル秘」(だれも興味ないか…)
御一読ありがとうです
富める日本にさらなる生産性の追及ははたして可能なのかというはなしでした
サポートされたお金は主に書籍代等に使う予定です。 記事に対するお気持ちの表明等も歓迎しています。