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noteを始めて6ヶ月経ちました①  (経過・展望)

5月16日にnoteを始めて、今月の16日で半年経ちました。
とりあえず30投稿を目標にして、随所でそれを語ってきましたが、計らずも前記事「紅茶のある風景②」で丁度30投稿目になりました。

半年経ちましたので、一旦これまでを振り返り、これからどうするのかに思いを馳せたいと考えています。


①記録的な結果について…

ダッシュボード的なはなしを先にしちゃいましょう。
11月16日の時点での記録です。

全記事累計トータルビュー  …1293pv
累計♡数          …137スキ
 …となっております。(スクリーンショットという証拠の提出は、このレベルでは不要でしょうし、恥ずかしいし、面倒くさいので省きます)


②その数字をどう考えたか…また始める前にどんな予想をしてたのか?

数字という観点からのみ考えれば、廃業を検討した方がよさそうな地方リゾートホテル…いや旅館でしょうか…といった趣かもしれません(分かりません)
こう考えてしまいますのも、私がnoteに投稿を始めた5月前後にダッシュボードのスクリーンショット公開みたいな記事がたまたま流行ったんですね(憶えてらっしゃる方も多いのではないでしょうか)それも「始めて3週間で3万pv達成!イェーイ」みたいな記事ばっかりだったんですね。
またインターネットで色々検索してみると、あんまり名前が知れてるとは言い難い方が、ダッシュボードのスクリーンショットをつけて「noteで今月の収入69万になりました」とか「1年やってますけど、収入月平均15万~20万ってとこですね」とか偏った成功事例の情報ばかり拾ってしまったんですね。で、そこで「ほう、そんなものか」と甘く考えて、月69万はムリでも、その当時は、正直もっとサクッと数字が出て、サクッと収入があるんじゃないかみたいなイメージを持ってしまったんです。しかし、いざフタを開けたら玉手箱…とくに初期の頃は「ダッシュボード確認ウツ」とでもいうものに悩まされ(おかげでウツ病系の論考はやや進展しました)他の人のはじき出してる景気のいい♡数を見て、ドォ~ンと落ち込みました(その一方で、♡数ゼロばかりなのに毎日果敢に投稿してる人を見てスゴイと思うこともありました)

③その数字を自分なりに分析したか?

分析も自分なりにしてみました。

自分はもう50近いので、20代30代がメインのプラットフォームでは、主要読者の関心や生理感覚、話題や価値観のマッチングが悪いのかな…

TwitterやFacebookなど他のメディアと連携してないからかな…

タイトルが人の興味を引かなさすぎるかな…

プロフィール画像のせいかな…

テーマや文体、中身にバラつきが大きく、統一感や安定感に乏しかったかな…
でもいろいろ考えても、結局、自分はマーケティングみたいな発想があまり好きではなく、またそこから得られた知見に合わせて自在にやり方を変える器用さにも乏しいタイプなので、その時その時に書きたいことを書く以上のことをやるには至っていません。

④あなたは数字を追いかける人なのか?

どうやったら数字的な結果が出るかには無関心ではないですよ。
というのも、僕は自分でビジネスをやってたり、お勤めをしていて、そこそこ満足いく収入とかがあって、つまり他に寄り掛かれる本業みたいなのが別にあるわけではないし、収入あるダンナ様とかがいるわけじゃないし(男ですからね)日記ブログも楽しいし、日記ブログからしか得られない情報ってのもあると思うし、僕も、日記に近い雑記記事をいくつか書いています。しかし日記オンリーだと、たとえば壇蜜さんとかでないと、本や収入にはならないんじゃないかという危惧もあるわけです
しかし、そんなわけで収入をふくめた数字的な結果は、他にちゃんとした本業がある人よりは切実な希求なわけです。

⑤ではpvをはじめとする数字は大事なことか?

pv的な数字には、おおよそ3パターンくらいしかないと今のところ考えています。
ひとつは、ほぼ同じレベルで推移していく、横ばい型
つぎは、山あり谷あり、たまにバズッたりの、デコボコ型
最後は、上がった以上はどこかで下がる型
今、どんな記事を書いても5000pvは稼げるという人たちも、大半はどこかで下がると見ています。20年とか下がらないのは本職のプロブロガーとそれに準ずる人だけでしょう。じいちゃん・ばあちゃんになっても1記事のアベレージ2万pvって難しいでしょう。つまり、pvみたいな数字というのは、今どんな興隆を誇ってても、プロブロガーと常に一定のアクセスを割らないサイト(公官庁や行政の報告サイトとか)以外はほとんどどこかで下がるんだと。そうすると数字を一番のよりどころにしてしまうのは逆に恐いことかもしれません。
pv数ではなく、収入というはなしになりますと、たとえば自営系の零細経済主体なら、これをどうでもいいんだとはいえないでしょう。当座の売り上げや資金繰りはどうでもいいことではないでしょう。
でもそこまで切羽詰まってなければ、数字を、数字のみを追いかけるのではなく、数字とは別のもの、違うなにかが視野にあることが重要なのかもしれません。

⑥では、自分に、数字以外に何か見てるものがあるのか?

数字以外のものも見つめている必要があるんだってのは、別に半年やって数字的な結果がでたとは言い難い自分の言い逃れでは必ずしもありません。
数字は、先ほどいったプロブロガー以外は、大半がどっかで下がるからです。
半年で1293pvという数字を見つめれば、僕は、もしかするとnoteで無理ゲー(ム)をやってるのかもしれません(もっと苦戦している人もいると思いますが)
でも、その無理ゲーということで見えてきたこともあるんですが、今の日本って、ひょっとすると人口の3割(かそれ以上)くらいは、人生がそもそも「無理ゲー」状態ではないかと推察されます(全然違うかもしれません)
そうするとnote活動をはじめとして、人生がやや無理ゲー状態になっている僕は、もしかすると富豪の様相を呈している人たちとは別のかたちで時代とかかわるんじゃないかって気もしてきました。それはボランティアを決意したとか、困窮している人のルポルタージュを主に書いていこうというわけでは必ずしもなく、もっと漠然としたものでしかないかもしれません。
人生は、ある意味、個人の、または個人とその配偶者、その家族や属しているグループのサバイバルゲームという側面があるのは否めません。個人は多少なりとも自己チュー的であれ個人のしあわせを追求しなければならないのです。しかし、その一方で無理ゲーをやっている人が徐々にであれ増えてくると、その渦中にある人の無理ゲー感の緩衝とでもいったこともこれからを生きる人のテーマのひとつになってくるのかもしれません。といっても僕はボランティアを志したわけではありません。
「無理ゲーをやらされてる個人は、もうひとりの別の無理ゲーをやってる個人を救えやしねえよ」…そうかもしれませんし、要らぬ節介に終わることも考えられます。しかし、僕は直接的なボランティアを仮にやらなかったとしても、この今日的な無理ゲーをめぐるあれこれは、直接テーマや文中に「無理ゲー」という言葉を使わなかったとしても、数字以外に見つめているもののひとつとしてその中に入ってくるのではないかと予感しています。
ただ別に僕がこれから無理ゲーにリンクしたことばかりを直接的に書いていこうというわけでもありません。あくまでも、その中のひとつということです。
数字的な結果は半年で1293pvですが、僕は、あくまでも今日現在にすぎませんが、noteの活動に見切りをつけるつもりは今のところありません。
活動半年の総括と感想・報告はまだあるのですが、読む方に負担になりそうなので、一旦区切って、余程、気が変わって別のことを書きたくならない限り次回に譲りたいと思います。
ほんとうは、pv数を上げるためのハウツープランでも語ればよかったのかもしれませんが、全然違うことを考えてたためそれについて書きました。

個人的なご報告にお付き合いくださった読者の方々ありがとうございました。

PS, 運営部とキリンのコラボ企画「紅茶のある風景」わたしも、ふたつ書いたので、未読の方は是非読んでみて下さいね。

「紅茶のある風景①」⇒リンク
(注:こちらは2019年6月24日以降途中から有料作品です)

「紅茶のある風景②」⇒リンク
(こちらは現在全文無料です。なお②は①のつづきではなく、別の物語です)

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