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面倒くさいが別れ道

9割の人は面倒くさがりだと思っている。

常人が面倒くさいと思うことを苦もなくできれば、それはその人が好きなこと、あるいは得意なことである(少なくとも今現在は)

しかも、この人間の面倒くさがり癖とでもいうものは、ひとがせいぜい45歳を過ぎるころにはますます顕著になっていく(やりがいのある仕事やプロジェクトを持ってる場合を除く)

若い世代のおじさん世代への失望の多くは、おじさんたちが面倒くさいオーラプンプンなのもその原因のひとつだろう。

20代以降のどの世代にも配偶者はおろか、パートナーや恋人すらいない男女の増加もひとつには「面倒くさいという性向」によるものだと考えている。

もちろん独り身のメリットを最大限満喫してる人生を送れてる場合はまた別である。

「面倒くさいことはやらなくてよい」という考えかたもある。

実際、面倒くさいことと手をきれなかったために窮地に追い込まれている人も多く、そういう人には「断捨離」とか「ミニマリスト」という処方箋が用意されているのが今日的解決策のひとつだろう。

面倒くさいことの合理化が進歩だという考え方もある。

しかし時には、この合理化が仇になることもある。

面倒くさいことのすべてを避けて通ろうとすると、それは自分が力を出せる場所の矮小化につながってしまうこともある。

たとえば定年退職したサラリーマンが定年したとたんに身の置き場がなくなるとかがわかりやすいだろう。

会社の仕事は7割以上面倒くさいことかもしれない。

しかし晴れてその面倒と手を切れたのに、あらたな身の置き場をいまさら創設するのも面倒くさいというはなしになりやすい。

もちろん老いてくにしたがって無理は利かなくなるのだから、力を出せる場所は徐々にでも狭めていくのが正しいという考え方もある。

自分は70年代生まれのnoteではやや古い世代かもしれないが、ひきこもりだった20代をべつにして、30代以降もう20年ちかく年賀状のやりとりがある。
(といっても一年で最大4通、最低で2通ほどであるが)
今日25歳以下だと年賀状が未経験という人もかなりいるのかもしれない。

自分も、正直年賀状でかろうじてキープするような関係に意味があるのか分からなくなり、40歳すぎると年賀状が苦痛に感じることもあった。
というのは自分はスーパーで働いていたので、年賀状を書くような時期は、クリスマス・お正月商戦で「マジ死ぬ」状態なことが多かったのだ。
休みは没収、お預け状態になり、残業は膨らむし、レジ係ではないのに、一向に途切れる気配がないほど延々と人が並んでるレジに4時間ぶっ続けで入れられるとかは結構フツーである。
28日で仕事納めだとかいって4日くらいまで休みがある公務員とかに羨望だか憎悪だかはっきりしない感情を抱いたこともしばしばだ。
そこで、3年か4年前「年賀状は今年限りで…」みたいな手紙(年賀状)をついに出した。
家でとってる新聞に毎年のように、失礼でない年賀状の辞退のしかたみたいな記事が載るため、それに影響された部分もあったかもしれない。
もう10年は直接会ってないAさんとBさんにそれを出したあとは、何かスッキリしたような爽快感があった。
そうとう昔に多用された「オールリセット」みたいな言葉も脳裏に浮かんだ。
ところが、新年あけてキャリアメールでつながってるAさんからメールがあった。
オレのことはいいからBさんには年賀状をだすべきだ、友だちは大切にすべきだ。というようなことが書かれていた。
Bさんは両親はすでになく自分の所帯も恋人もない人だった。
Aさんは自分より5歳くらい、Bさんは自分より10歳くらい上の人だ。
自分はハッとして考え直し、2日後くらいにメールでAさんに「年賀状は続けます」というメールを出した。
結局、いまのところAさんとBさんとの年賀状は続いている。

2年前にスーパーを辞めて、執筆をやることに舵を切った。
専業なんか到底ムリなので、派遣のバイトをしながらだ。
すると、リアルの充実度はモーレツに下がり、孤独に弱いというわけでもおそらくそんなにないのだが、年賀状やLINEでつながってる人の有難みも急浮上した。
といっても、苦しいときにそんなにあれやこれやはなす関係でもないが
もちろん、これ以降年賀状やLINEでつながってる関係に一切苦痛や面倒が生じないだろうなどという見通しを持ってるわけではない。

面倒とうまく手をきれなかったことによる災いというのも確かに存在する。

キャパや分を超えたものを持ちすぎたことによる災いもあるだろう。

しかし、面倒をはしょって回避しすぎてばかりいることによって、自分が力を出せる場所の矮小化を招くこともまたあるのではないか。


(あとがき)
今回もはっきりした結論のようなものがある文ではなく、あいまいな感じの文章になってしまいましたが、「面倒くさい」はいろいろなことの別れ道であることもひょっとしたらあるのかもしれません。
もちろん何かひとつのことにすごく頑張ってれば、他の副次的なことは面倒くさくなるのがフツーでしょうし、平均寿命も伸びているので、若い人は先の長さにくたびれてすべてが面倒におもえることもあるかもしれません。
誤解を回避するためにつけくわえると、年賀状やLINEその他で誰かとつながってないと死んじゃうよといってるわけでは特にありません。
ただ、ある種の面倒の回避の連続がもしかすると、ある人を苦しい状況に追い込むこともあるんじゃないかというはなしです。
といっても最初に話した通り人間の9割は面倒くさがり屋だとおもってますし、加齢に従ってそれが強まるのが一般的だとは思いますけど…
まぁ、ただ、例の菌さわぎや意外に長引く梅雨とかで調子を崩してる人も多いだろうから、その場合はなるたけムリしないことが肝心かも。

以上、「面倒くさいが別れ道」でした。

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