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つぶやき投稿(vol.1〜200)

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主にnoteの読者を対象にしたつぶやきです。 つぶやきのみを集めてます。(一部不愉快なものもあるかもしれませんが大目に見てやって下さい。またはスルーして下さい)
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2020年4月の記事一覧

スキ♥️数とかフォロワー数とかが最終ゴールや目標の人ってnoteではむしろ少数派だと思ってる。

大半の人が違うゴールを漠然とでも持っている。

しかし数字の魔力に引きずり回されることがあるのも確か。

そもそも何をやりたかったのか。

ネットにだって金言至言はそこそこあるのだが、再閲覧のハードルが高いため、折角のそれも右の耳から左の耳だったりする。
(パソコンの中だと、立ち上げるまでに結構な時間が要りますよね)

気になった言葉をメモするノートでも買ってこようかな、

罫線の入ってないやつを

数字(pv等の)とかで落胆することも多かった最近のわたしたが、しかしお知らせ欄で、ここ2か月のあいだにスキをくれた人を眺めてると、自分で思っていたよりは沢山の人からポジティブなエネルギーをもらっていることに気づかされた。

投稿という行為は、直接的にではなかったとしても、それで誰かと関わることを決めたということだ。

ミュージシャンというのは音楽で聴衆とかかわってる人のことだ。

自分が部屋で楽器を触るときもうそれで他者とかかわることはあまり考えてない。

関心とかかわりは違うのではないかと思い始めた。

関心というものはベールにつつまれてるほうが持続することもある。

一方、かかわりは露出が少ないと始まらない。

中学の同窓女子の今を想ったりするのは関心ではあるが、かかわりではない。

このふたつはビミョーに違うようだ。

最近、あちこちで自分のバカさ加減を露呈しております。

活動にムリがあるのかも

部屋もゴミ屋敷化が進んでいます。

しばらく表現活動自粛して、身の回りのことや読書に時間をあてようかと思います。

noteもしばらく断食を考えています。

「いいね」や「スキ」が人と人をつなげることもある。

しかし、別離や落胆の契機になってることもある。

わたしたちは「いいね」ではないものを信じられるのか?

「いいね」や「スキ」を超えていけるのか。

我なにを得るかにウエイトが傾きすぎてるのだろうか…

どっちにしろアウトプットは一旦お休みにして、本でも読もうか?

本には「いいね」数とか余計な情報がない。

「いいね」数とは何の尺度で誰のどういう便宜を図って表示されているのだろう。

最新(長文の)投稿は3日経って9pv、そのひとつ前の(長文の)投稿は9日経って13pv

電気椅子にでも座らされてる苦痛に襲われることもある。

これはさすがに休業やむなしか…

来月の16日で丸二年だが…

記事の向こうに人がいる。
そう思えても、ただ経験的にだけど、しばらくすると、ネットの関係って何かリモート会議のジレンマみたいなのと似た壁にぶつかって関係が完全に切れるわけでないにせよ、縮こまっていくケースが多かった気もする。

他の人はどうなんだろう?

孤独こそが糧だと思うこともあるし、

他人のことなんかほとんど眼中にないときもあるし、

自由を求めているときもある。

でも、そこに人がいて

ほんとにホッとする時がある。

─男の勝手─

まだやってた…

よかった

かわらぬその姿にうれしさみたいのがこみ上げてきた。

スキは押さなかった。

そんなもの欲してるとはあまり思えなかったから

黙ってそこを立ち去った。

そんなことが何回かあった。

スキをまず押さないし、フォローもしてないけど、ポジティブな関心があるってことはあると思う。
フォローしてるけど今はほとんど無関心ってこともあると思う。
数字から分かることは少ない。
ただ、ある記事のpvが12だったら、それは結構絶対で12人以上は関心を持ってくれなかった。

袴田さんも、奥西さんも、例の教祖も、死刑判決を受けた人を家族はこれを支えようとしていた。

この絶望的にどうしようもない世の中でそれだけは救いに思えるときもある。