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安楽死って、どういうことだっけ。

自殺ではなく、安楽死とはどういうことだっけか。
自分自身の考えや疑問がめまぐるしく変わる。世の中の考えや疑問もめまぐるしく変わる。

2018年に写真家・幡野広志さんの書かれたものを読み、写真撮影をしてもらうと同時にお話する機会を得た。

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クロベと。(撮影:幡野広志)

2019年にはジャーナリスト・宮下洋一さん、緩和ケア医・西智弘さんにインタビューさせていただくという機会に恵まれた。

情報や知識、他者の意見や視線を加えることで、おのれの固定された考えは揺らぎ、変わる。おのれだけにはめられるのか、他者にはどうか…だんだんと混乱をきたしてきたので、自分なりに整理してみる。

 病や事故によって、あるいは社会との関わりの中で身体的・精神的な苦痛を抱えて生きていくことになんの意味があるのだろう? やりたいことができず苦痛が消えず、それが悪化していく…自分の人生を生きていると言えるのだろうか? そんなふうに生きることをやめたくなった時、確実に、苦しまず、望むタイミングで死ぬことができたなら。安楽死は、医師によって確実な自殺をする手段だ。ただし、実施しているのは世界中で10か国足らずで、日本においては違法なこと。

安楽死と尊厳死の違いとは

 安楽死とは、一定の条件を満たした患者に医師が死を早める処置をすること。「積極的安楽死」と「消極的安楽死」があります。
 「積極的安楽死」には医師が注射などをして死をもたらすものと、患者に薬物を与え本人が服用するなどして確実な自殺を助けるものがあり、安楽死といえばこちらを指します。
 「消極的安楽死」は日本で言われる尊厳死にあたります。死が迫っていることや治癒が難しいととわかっているときに、現在行っている治療や延命措置を中断・終了する、あるいは開始しないこと。たとえば人工呼吸器をつけない、胃ろうによる栄養療法を行わないなど延命治療をしないことなどです。医療機関では「治療の差し控えと中止」と呼ばれます。

 もう一つ、ナチス・ドイツが1939年から行った精神病患者や障がい者、同性愛者などをナチスが大量殺戮した時にも安楽死という言葉が使われました。「生きるに値しない」と定めた命の「殺処分」も安楽死と呼ばれていたことがあるのです。

日本では犯罪?

 現在の日本では、医師が安楽死を施すと刑法第202条で嘱託(同意)殺人罪となります。人を「自殺しろ」とそそのかす自殺教唆罪、自殺の手助けをする自殺幇助罪、殺してほしいと言われて手を下す嘱託殺人罪、本人の同意を得て殺害する承諾殺人罪(同意殺人罪)にあたります。安楽死を遂げた本人にお咎めはありませんが、施した医師や協力した人が罪に問われる可能性は高いのです。


 尊厳死について明確な法律は現在のところ定められておらず、延命措置をしないという本人の意思表示(リビング・ウィル)か、親・子・配偶者など親族の同意がなければ、医師は殺人罪(刑法第199条)に問われることになります。1991年に東海大病院事件、96年京都京北病院事件、98年川崎協同病院事件、2006年富山県射水市民病院事件など安楽死や尊厳死をめぐって医師が殺人罪に問われました。2007年に厚生労働省が「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を公表し、医療団体もガイドラインを策定したことで、ある程度の定義や要件ができつつあります。

安楽死が医療行為になったきっかけ

 1971年、オランダで脳溢血による後遺症に苦しみ自殺を繰り返す母に、娘であるポストマ医師が致死量の薬物を投与し死に至らせました。ポストマ医師は嘱託殺人で起訴されましたが、オランダ国内で「医師が患者の苦しみを取り除くことが、なぜ罪になるのか」という世論がわきあがり、安楽死を肯定する機運が高まり市民運動になりました。73年の判決で裁判所はポストマ医師が殺人を犯したことを認めつつ、「医師が患者の意思に反して生かし続けねばならない」わけではないと判断しました。そして2001年に「要請に基づく生命の終焉ならびに自殺幇助法」が世界初の国家による「安楽死法」として制定されたのです。

安楽死ができる国と地域

 現在、積極的安楽死ができるのはスイス、アメリカ(オレゴン州、ワシントン州、モンタナ州、バーモント州、ニューメキシコ州、カリフォルニア州、コロンビア特別区)、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、オーストラリア(ビクトリア州) 。その中で外国人を受け入れるのはスイスだけ。そのため、諸外国から安楽死を求めてスイスに訪れる人は多く、「安楽死ツーリスト」とも呼ばれています。2018年には日本人もスイスで安楽死を遂げました。

安楽死を遂げるには

 2020年現在、日本国内で積極的安楽死を受けることはできません。外国人を受け入れているスイスに行くことになります。スイスの自殺幇助団体の一つ「ライフサークル」では、会員登録をしてから「医師の診断書」と「自殺幇助を希望する動機書」を英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語のいずれかで送り書類審査を受けます。書類審査が通ったら、現地で別々の医師に2度の面接を受けます。「(1)耐え難い苦痛がある(2)回復の見込みがない(3)代替治療がない(4)本人の明確な意思がある」の4条件が病状に合致すると、自殺幇助を受けることができます。   
 現地で面接を受けるためには日本からスイスまで渡航できる体力と経済力、英語などで対応する知力も備えている必要があります。

「生きる」をやめたい時にできる、いくつかのこと

 誰もがいつかは死を迎えます。自分や誰かの死を強く意識する時、実は生を強く意識しているのではないでしょうか。心身の苦痛、不自由、自分が自分でなくなっていく未来…それは、生きたい自分の人生がわからなくなる時、あるいは誰かがその状態になっている時、安楽死を願うのかもしれません。

緩和ケア
 これまで医療は「治す」「生かす」ものでしたが、治療やその結果が大きな苦痛を伴ったり屈辱的であることへの疑問が呈されるようになりました。その人がどんな生を望み、どう暮らしていきたいのかというQOL(Quality of Life=生存の質)を重視した医療を提供しようという流れが大きくなっています。たとえば治癒を目指さずに苦痛を取り除くための緩和ケアという医療があります。薬を使って痛みや息苦しさなどを取り除いたり、精神的なつらさをケアしたり、食事や睡眠、排せつといった日常生活の行動や暮らしの環境サポートを得られます。心身の苦痛が生きる妨げとなっているならば、取り除くことに注力する医療があります。

グリーフケア
 医療や介護を受けなければ生きていけない時、相手の負担を考えて自分の希望を出せないこともあるでしょう。残される人たちを悲しませたくない、あるいは悲しみたくないから生きていてくれと言われたら、自分の望む生き方ができなくなります。しかし、残される人を支えてくれる存在を知っていたら、遠慮した生き方をせずに済むかもしれません。死別にまつわる経験は「グリーフ」と言われ、大きな感情の揺さぶりや長期にわたるつらさをもたらすことがあります。避けようのない別れの悲しみが染み込み、受け入れられるまで専門家が寄り添う「グリーフケア」というサポートがあります。

 死を考えること、直面することはつらいことです。自分や大切な誰かの死を考えたこともない、もっと先のことだと思っていたという人もいるでしょう。はるか昔から死にまつわる不安や怖れをサポートしてきたのは、さまざまな宗教です。東日本大震災を契機に宗教者が被災地や病院などで心のケアを提供する「臨床宗教師」が誕生しました。彼らは仏教、キリスト教、神道など信仰を超えて、宗教の視点から死に直面した人のサポートを行っています。

死に方は生き方 それを伝えられるか

 死が避けられず目前に迫った終末期には、消極的安楽死である尊厳死(治療の差し控えと中止)の選択があります。しかし、本人がどうしたいかという意思表示をできなかったり、家族などが決断しなければならないことも少なくありません。だからこそ、自分が死をどう迎えるのか、その瞬間までどう生き、暮らすのかを前もって考えて大切な人や医療者と話し合って共有する「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」(人生会議)をすることが勧められています。

 ACP(人生会議)で何度も話し合い、見直し、希望が変われば変更し、更新しながら、死の瞬間までどうやって自分らしく生きるかを考え、意思表示ができなくなっても実行できるように共有します。健康なうちから家族や大切な人とACPを始めておくことも推奨されています。死のタイミングは、たいていは選べないものなのですから。

 現在、日本人が安楽死を遂げるにはスイスに渡航するしかありません。また、そのための準備や付き添いを誰かに手伝ってもらうと、手伝ってくれた人が自殺幇助罪に問われる可能性があります。そもため、できるだけ自分ひとりで行わなければらず、体や頭がしっかりしているうちに実行する必要があります。それは新たな生きる目的のようでもあるし、生も死も自分だけのものにできない、新たな障壁にも思えます。

 死のキワキワまで、私たちは生きています。「どう死ぬのか」を考えることは、「どう生きるのか」を考えることでもあります。安楽死を願う時、本当は生きたい自分の人生がはっきりある、とも言えるのではないでしょうか。

(※2020.07.28 一部追記・変更)

参考文献

その他、緩和医療学会など多数のウェブサイト、記事を参照しました。

これからルールも風潮も技術も文化も倫理も、どんどん変わっていくでしょう。そして、私の考えも。「どう変わるか」を恐れず「どう変わることを求められるか」を恐れたいと思っているのが現状です。

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