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向かいの人 観察日記(仮) 泣き虫だったわたし

職場で向かいの席に座るハルミさん(もちろん仮名)は、感情表現が豊かな人だ。
わたし(石崎秋子)から見てそれはオムツのない排泄行為、「おもらし」である。

ハルミさんを観察するようで
臭いや音、表情でおもらしに気が付くと、心のおしりふきが自動反応してしまうわたしを観察する日記。


前回の記事で、わたしはようやく自分の怒りに気が付いた。
どうしてこんなにも分かりにくいのか。

人間の性格が

先天的 に 持って生まれたもの

後天的 に 作られたもの または 作ったもの

で成り立っているのだとしたら、わたしのこの怒り方はどちらなのだろうか。と、子供のころを思い出してみる。


自分の幼少期を語るとき、最初に出てくるのが
「泣き虫だったわたし」だ。


これを検証してみよう。

わたしは
両親と、しっかり者の4つ上の姉、破天荒な年子の姉の暮らす家に
同性の末っ子として生まれた。
この時点でわたしは、家族の中で誰よりも泣き虫、ということになる。

オムツが濡れてもお腹が空いても眠くても眠れなくても
要求 欲求 不快 を伝える手段として与えられた唯一の方法が「泣く」なのだ。

だけど、いつからかわたしは泣くことを責められている、と感じるようになる。

「すーぐ泣く。」「泣けばすむと思って。」
姉や両親だけでなく、よく預けられた母方の祖母にもひどく怒られた。
言葉が分かるようになって、声の高低差や大小で感情が想像できるようになると、それがいけないことであると思い

要求 欲求 不快 を伝える手段として与えられた「泣く」を封印する。

赤ん坊から幼児、子供、思春期や青年期、大人になる過程で
目的を達するために言葉を使うことを覚え、実験を繰り返し

伝えるための「泣く」という行為を自然に手放していくのだと思う。
わたしはその手段を手に入れる前に手放してしまったから

「泣くをやめること」は「伝えるをやめること」
「伝えるをやめること」は「感じるをやめること」

ただ、実際には何も感じていないわけではなくて
感じないようにしているだけ なので
前回書いたような 怒り方 になるのではないかと推測する。

この性格を誰かのせいにすることは簡単だ。
わたしはずっと「泣くなと怒る祖母」や
「常に相手の立場に立って考えなさいと言う母」のせいにして、自分に諦めを押し付けてきた。
でも思い出したんですよね。


まだ小学校に上がる前。ある日の朝食風景。
パンにバターを塗ろうとしていたわたし、向かいにはバターを待つ母。

わたしは母に「お先にどうぞ」と言って、順番を譲った。
そうしたら母はとっても嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれた。
わたしはそれがとっても嬉しかった。
その一連の流れの中の

自分が我慢したら誰かが喜ぶ   

という思い込みを握りしめた瞬間の記憶を、はっきりと思い出した。
今わたしの持っているもの(性格)はもしかして
与えられてしまったもの じゃなくて
その中から自分で選んだものなんじゃないか
と思うようになった。


でももしも・・わたしが選んだものなら、選びなおせばいいって思いませんか?
持って生まれたものは変えられないかもしれないし、誰かに強引に与えられたものなら、その人を責めて諦めることしかできない。

でも

選んだものを選びなおすことなら 自分ひとりでも いつからでも できるんじゃないだろうか。


と、いう仮説のお話。
キミはどう思う?


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向かいの人 観察日記(仮)は
ハルミさんを観察しながら自分を観察して、楽になる考え方を探していくこと、を実験するnoteです。


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