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日日自炊自足【8月3日の夕食 と ちゃんと怒る2】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

・鰯 の梅煮(味付:梅干 薄切り生姜 酒 ラカントS みりん 醤油)
・枝豆(味付:塩)
・白瓜 の浅漬(味付:塩 胡麻)
・納豆 めかぶ 海苔 キムチ
・絹豆腐(味付:自家製醤油麹 鰹節)

昨日同僚さんが体調不良で急遽休んだ。
彼女には2人の子供がいて、下の子の出産時産休を取得してから8年程、時短勤務を続けている。
今年はお盆休みのあと更に3日、家族旅行のための連休も申請した。

事務員は彼女とわたしのふたりきり。
20日の有給を1年間でフルに使い切る同僚さんがいない日、わたしはワンオペになる。

そんなわたしを助けてくれるのは常に事務所にいる経営者親子・・のはずが、彼らも子供and孫の夏休みにスケジュールを合わせて(学童送迎や習い事。更には事務所でアイスを食べさせるなど・・・。)出たり入ったりでアテにできない。

わたしも子育てした身ですから、いろいろな人に助けてもらい感謝しています。
それに体調不良はお互い様。この先弱る一方のわたしは、いつ迷惑をかける側になるかわからない。だから・・・

なーーーーーーーーーーーんて前置き不要!


やっぱりちゃんと怒る(決して責めるじゃない←ここ注意)。

わたしだってエアコンの風で昨日から喉が痛い。
それで1日ワンオペ。
手伝ってくれるという社長も、結局わたしの手助けがなければこなせないことばかり。かえってひとりで・・が楽なことも多々ある。

そういう話も以前は・・休み明けの同僚さんに話すことができなかった。
話せば「休んでしまってすみません」と言われてしまうからだ。

大丈夫じゃなけど大丈夫と言うしかなく
大丈夫だじゃなかったけど大丈夫だったと言うしかない。

けれど今は

心の中で急なワンオペ理不尽にしっかり怒り、同僚さん不在時の社長親子の言動を、同僚さん復帰後に共有する。
もちろん同僚さんは「すみませんでした」と言ってくれて・・そのことに心が痛んだ。でもこの話をすることででわたしが求めているのは決して謝罪ではなくて共感だった。

だから「責めているんじゃなくて聞いて欲しいだけなの、だからうんうんでいいの。聞きたくなかったらごめんね。」
と言った。
数日のことなら今まで通りで良かったのかもしれない。
でも何年もとなると、誰かの我慢や誰かを責めるでは解決しない。

だからと言ってこの負担をわたしだけが背負うっていうことも、違う。
明らかな弱者のまわりには見えない弱者が存在するという可能性を知った。


何度か書いているけれど、以前放送していたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』
主人公は亡き母の出せなかったラブレターを見つけ、宛先の住所を訪ねると、そこに住んでいたのは女性だった。

愛する人と結ばれず、異性と結婚した母に「本当は愛されていなかったのでは?」と思う主人公。
その時女性がかけた言葉

「家族を愛していたこと」と「自由になりたかったこと」は、矛盾しているけれど、でも全部本当のこと。



応援したい気持ちも、なんだかしんどいなと思うことも同時にあっていいんだ。
答えってひとつじゃなくていいんだ。
気持ちって変わってもいいんだ。
いや、むしろひとつなんていうことはないし、変わって当然なんだ。

ということを教えてくれたセリフでした。


わたしの場合
応援しなければならない。
ネガティブな気持ちを持ってはならない。
という方向に傾きがちで、ものすごくしんどくなってからようやく
「疲れた・・」ということに気付き、それすら自分を責める材料にするので「怒るを意識的にやる」ということにしている。





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