向かいの人 観察日記(仮) 自分を観察する② 最終回
職場で向かいの席に座るハルミさん(もちろん仮名)は、感情表現が豊かな人だ。
わたし(石崎秋子)から見てそれはオムツのない排泄行為、「おもらし」である。
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ハルミさんを観察するようで
臭いや音、表情でおもらしに気が付くと、心のおしりふきが自動反応してしまうわたしを観察する日記。
前回の続き記事です。
誰にでも伝わるように書こうと思うとあれこれ説明が必要になって収拾がつかないので
起承転続(結ではなく続)を使って簡潔に書こうと思う。
【起】
職場向かいのデスク、ハルミさんの感情おもらし大洪水に疲弊。
娘の助言により、それは俗にいう「かまってちゃん」だということを知り
これまでしてきた「かまう(怒が発動しないように前もって機嫌をとる状態)・我慢する・理解しようと努める」以外の方法を考え始める。
【承】
唐突に「そうだ、真似してみよう」と思いつく。
とはいえ、感情のおもらしを真似する ということは、わたしにとって大変なストレスになるので却下。
そこで ハルミさんはなぜ会社でもらしまくるのか?なぜそれができるのか?と視点を変えてみる。
・多分電車ではもらさない。会社ではもらす。
・多分他人にはもらさない。知り合いにはもらす。
というなんとも簡単な(ふつーそうだろうという)予測が立った。
どこでも誰にでももらすわけではない ということだ。
この点を踏まえた上で、その差はなんだと考えた結果
ハルミさんがもらす時、リラックス状態なのでは?
家にいるのと同じ感覚なのでは?
という仮説にたどり着いた。
これなら真似できそうだ。しかもリラックスを真似するのなら、ストレスとは真逆。ストレスフリーなのである。
ハルミさんのリラックス = おもらし
なわけだけど(もはや決めつけ)、何によってリラックスを感じるかは、人それぞれ違うわけで
わたしがリラックスしている状態というのは
無
なのである。
わたしがいちばんリラックスを感じるのは、一人暮らしの家にいるときだ。
もちろん誰とも話さない。愛想をふりまくこともない。
声が聞こえても音がしても、それが壁の向こうのものであれば反応することはない。
インターホンが鳴れば、よれよれの部屋着とすっぴんを見られないように、ドアの開きを必要最低限にして、速やかにコミュニケーションをとる。
用が済んだら相手が玄関前から去るのを待たず、ドアのカギを閉めチェーンをかけてまた無の時間を過ごす。
そうだ、ハルミさんは壁の向こう側にいる人で、たまに宅急便を運んでくる人、と仮定すればいい。
毎日していることを再現するのなら、なんと簡単なことか。
【転】
家でしているとはいえ、人は皆一歩外に出ればそれなりに気を遣っているわけで、決行初日 わたしの心は少しばかりザワザワとした。
1~2日、ハルミさんも戸惑った様子を見せたが、その後タイミングよくハルミさんの接客にお客様からのクレームが入り、上司から個別指導を受ける。
そのあたりから今日に至るまで、もう一ヶ月はたつが
ひっじょーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーに
静かである。
ハルミさん以外の人には、これまで通り余所行き社会人モードで接しているので、ハルミさんから見ればわたしは「なぜか自分にだけ不機嫌」と映っているかもしれない。
でも違うんだな♩リラックスしてるんだな♩
【続】
HSP気質のわたしは、人の感情に敏感で対人面での境界線が薄い。
だから、感情の振り幅が大きな人の近くにいることは、ものすごく辛い。
そして嫌な感情を出されることに嫌悪感があるので
自分がそれをすることが許せない。
不快を表現する、ということが難しいのだ。
それでももしもしてしまったとすれば、傷つき落ち込んだ相手のリアルな映像(まるで現実かのごとく)が何度も何度も脳内再生されて、結局は自分を苦しめる。
だから
ネガティブからの行動ではなく、リラックスというポジティブからの行動によって状況が変わった、という経験がわたしにとってとても大きな転機になったと思う。
今回はっきりわかったのは、
人のことは何もわからない、ということ。
「わからない」をわかっているつもりだったけど ”つもり” だったからこそ「理解しようと努める」なんてことをしていたわけで。
それに気がついたら
不快を表現したあと、傷ついた相手の映像がもしも浮かんだとしても「それってほんとう?」って問いかけてみればいい。
現実はたこ焼き食べてハフハフしてるかもしれない。
誰かを故意に傷つけることはもちろん良くないけれど、だからといって自分を傷つけ続けてもいいという理由にはならない。
自分でわかるのは、自分のことだけ。
今回わたしがしたのは「わたしがどうしたいか」に徹したこと。
それを知るのに ”書く” ということはとても有効だった気がします。
HSP気質の人は、自分の本心が見えなくなるまで「でも」「もしかして」を重ねてゆきます。
最初に思ったこと、書いたことを大事にしよう。
いつかわたしは歌えるだろうか。
ハルミさんを抱えて、都はるみの歌を。
石崎秋子
これにて 向かいの人 観察日記(仮) は一旦終了となります。
最後まで仮タイトルのままでしたが、長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
本当であれば自分の気持ちを説明して話し合うことで、お互い気持ちよくいられたらいいんでしょうけど。
へたっぴでいいじゃない!いくつになっても、初めてのことはうまくできなくてあたりまえだもん。
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向かいの人 観察日記(仮)は
ハルミさんを観察しながら自分を観察して、楽になる考え方を探していくこと、を実験するnoteです。
最終回かと思いきや、続報!向かいの人 観察日記(仮)
は、こちらから。
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