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なすすべはない/新井由木子

 島暮しの長閑(のどか)な夕刻に、その不思議な電話は連日かかってきたのでした。

 今から40年以上も前のこと、わたしたち一家は伊豆諸島の式根島で暮らしていました。教員だった両親は共働きでしたが、生徒数も少ない離島のせいか、残業で遅くなっていたような記憶はあまりなく、子どもたちも塾や習い事に通おうにもそんな場所すらなく、夕餉(ゆうげ)には、家族全員揃って食卓を囲むのが常でした。
 かなりのんびりしていた時代であり場所だったと思い返されます。

 その電話は、そんなわたしたち一家が夕食を食べようかという時刻になると、狙いすましたようにかかってくるのでした。
 受話器を耳に当てると、間髪を入れずに聞こえてくるのは、大声でまくし立てる男性の声。それは今日はどこへ行った、なにをした、などの報告で、一方的に話す(というか叫ぶ)と、ガチャンと切れます。

 当時のナンバーディスプレイもない黒電話では、誰からかかってきた電話か、わかるすべもありませんでしたが、内容から推測すると、どうやらその人は式根島のどこかの家のお父さんらしい。家族を島に置いて自分だけ所用のために上京している様子で、日々の報告を、公衆電話から10円玉1枚分のわずかな通話時間の間に、連絡してきているらしいのです。

 こちらが「もしもし」と応えることも許されず始まる大声の一方的な報告に、「誰ですか!」とか「電話番号間違ってませんか!」と、叫び返してみるのですが、ダメでした。
 短い時間に全ての連絡をすることに全力で集中しているらしいお父さんには、こちらの声は一切聞こえないようで、「明日帰る!」という最後の電話に至るまで、わたしたち一家はなすすべのない日々を送ったのでした。

 人生には『なすすべがない』ことが、多々あるものです。

 あれは、この電話の一件よりも更に数年前のことで、わたしは小学校の低学年でした。
 家族で夕涼みに出かけた海辺で見つけたのは、大人の背丈の2倍ほどもある大きな岩。早速よじ登ってみると、まるで巨人がその岩で瓦割りをしたかのような亀裂が、縦に1本入っていました。
 亀裂は、ちょうど子どもの頭がひとつ入るか入らないか、という微妙な幅でした。そしてわたしは逡巡(しゅんじゅん)した後、実際に頭を差し込んでみることにしたのでした。

 岩の隙間はひんやりと涼しくて暗く、亀裂の底では打ち寄せる波が泡立ち、渦を巻いているのが見えました。外界の刺激が絶たれているために、その光景には非日常の臨場感があり面白く、心を奪われます。
 そして充分に楽しんだ後に頭を引き抜こうとすると、皆さんが最初から想像していたとおりに、抜けなくなっていたのです。

 少し頭を捻ってみても、冷静さを装ってさりげなく引き抜こうとしても、抜けません。なすすべのなくなったわたしは、そこでできる唯一のことをするしかありませんでした。それは絶望の号泣です。
 しかしその声は、岩の厚さに遮られて小さくしか聞こえず、外には必死さが伝わらなかったようでした。岩場で貝を採っていた両親は、わたしが岩の隙間に頭を突っ込んで大笑いしていると思ったそうで、それを見て一緒に笑っていたそうです。

 思いつく限りの人事を尽くし、本当になすすべがないと思える時、どうしたら良いのでしょう。天命を待つのみか、更なる発想の転換をしてみるべきか、または自分のステージを上げるべく、地道な努力をするのが良いのかもしれません。
 いずれにしても、時間がかかる。わたしは今でも、なすすべがないと思えるもの(ぞうのえほんバッグなど・思いつき書店vol.071参照)を、両手いっぱい抱えています。

 あの日、わたしは号泣しながら、両親がわたしのピンチに気付いてくれるのを待ち、最悪の場合は、母がこの割れ目に毎日のご飯を差し入れできるかな、と心配していたのでした。

思いつき書店074文中 (1)


追伸
 挟まった頭は、救いにきた両親によって微妙な角度を指導され、無事抜けました。
 また、電話の主と思われるお父さんとは後日、島の商店で、じいっと目を合わせる瞬間がありましたが(あちらも帰島後に気付いたと思われ)、気恥ずかしさからか家族ぐるみで話をすることはありませんでした。

(了)


草加の、とあるおしゃれカフェの中の小さな書店「ペレカスブック」店主であり、イラストレーターでもある新井由木子さんが、関わるヒトや出来事と奮闘する日々を綴る連載です。毎週木曜日にお届けしています。


文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」

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Twitter:@pelekasbook