文化服装学院の就活


アパレルデザイン科の3年生は、就職活動の年だ。

大手は4月や5月の早い時期にエントリーが始まる。
しかし、文化服装学院の就活は困難を極めていて、クラスメイト50人いて、卒業までに就職先が決まるのは、10人くらいだ。(なんて狭き門!!!!)東京モード学園、バンタン、エスモード、意外なところだと美大の学生・・・ライバル校は沢山いた。

遅れは取るまい!と私も3年生になってすぐに始めた。

最初は自分の希望していた、企画職を中心にエントリーシートを書いて、応募した。

しかし、企画職は募集が女性であることが多く、男性の私が受けれるのは限られていた。そして、苦手なデザイン画の提出が応募条件であったり、希望の条件の求人というものは少なかった。

応募しては落ち、応募しては落ち・・・の繰り返しで、だんだん気持ちも滅入ってき始めた。

私はこの状況を打破しようと、視野を広げることにした。

学校に届く求人票を頼りに就活をするのではなく、自分で求人を見つけて応募していくことを決意する。

まずは清川あさみさんの事務所。

当時からとても好きだったので(今でも!)、この人の下で働きたいと思い、ホームページから問い合わせをした。

事務所の人と連絡を取ることに成功し、履歴書と自分の作品を見て頂けることになった。

結果は、残念ながら採用にはならなかったが、学校に届く求人に応募するよりも、自分が気になってる会社や人に、直接自分でアタックする方がいいなと思うようになった。
この時の気づきが、今後の自分の面白い人生に大きな意味があったと今でも思っている。

結局就活は卒業後に持ち越してしまい、卒業した年の5月頃、某大御所スタイリストさん(名前は出せないので、某と表記する)の元でアシスタントとして働くことになった。

その某スタイリストさん(以下師匠)は、自分の好きな世界観を表現している唯一無二の人で、スタイリングだけでなく、様々なことにチャレンジしている人である。その師匠の表現の仕方や思考過程をこの目でしっかり学びたいと思っていたらか、アタックすることにした。

師匠は物凄いオーラで、圧倒され、手が震えながらも、面接は見事合格。

こうして地元にいる頃や、文化服装学院に入った時のデザイナーになる!という目標からは少し違うスタートだが、無事に社会人生活をアパレル業界でスタートすることになる。

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