#13 部分的に感受性をMAXにすると人生得する説
よく議論されている話として、
「TKGに醤油ではなくめんつゆをかけると美味しいが、その味に慣れてしまうと醤油のTKGに満足出来なくなって幸福度は下がるのではないか」
というのがあります。
これには半分賛成で半分反対といった所です。
確かに一度ランニングコストを上げると元々あった状態に戻りたくはないでしょうし、ましてや食事は毎日取るものだからその食事を続けるのならランニングコストは半永久的に上がったままになるでしょうね。
しかし、一度上げた生活水準を下げることで幸福度はリセットするんじゃないか?と思うのです。
かつて自粛期間で2日ほど何も食べない日を作為的に作り、2日後に薄味の物を食べたんですが、
物凄く濃く感じました。
味の感性がリセットされた感覚です。
その時に、改めて習慣によって"飼い慣らされた満足感"というモノが存在するなと思いました。
その最たるモノが「デジタルディバイス」です。
この前Kindleで読んだ本で「超異常刺激」という言葉を知りました。
それは、スマートフォンやPC、ファーストフードの味付け等により狩猟採集民の時には感じ得なかった刺激や興奮が脳に与えられることで体調不良や精神疾患、注意力、集中力、判断力を低下させ幸福度も低下させてしまうという状態のことをいうのです。
また、その本には、驚くことに文明化された今の社会より何もなかった狩猟採集民の社会の方が人々の幸福度の総量は大きかったと書かれてあるじゃないですか!
つまり、味のみの観点(栄養の観点を除いて)から食事のランニングコストを上げたり、楽しみの観点からゲームに課金したりすることで幸福度の総量が増えることはないのです。
一時期、家にアーケードゲームの筐体ごと購入して置いといたらいつでも無料でゲームできるからすごい良いなと思った時期もあったんですが、この事実を知ってからは、もしかすると想像するほどでもないのかな?と思える様になりました。
この前TEDトークで2週間スマートフォンの無いアウトドア生活をした人が、ストレスが低下し想像力が向上したことを話していました。
人生が変わるほどの変化を実感した人も多いと聞きます。
ここで、自分はふと思ってしまったのですが、
まだちっちゃい子供は何にでも好奇心があるっていうじゃないですか。でもそれってただ単に超異常刺激のない状態だから何にでも好奇心があって新鮮でアクティブなリアクションができているのでは…?
この夏、ちょっとやってみたいことがあるんですが、正直やれるかどうかわかりません。
でも、もし一週間スマホとか外界の情報に触れずただひたすら山籠りしたらどうなるんだ…?
すごく体験してみたく思います。
どうやら、この〝飼い慣らされた満足感や刺激〟から逃れ、低刺激で多量の幸福感を得ることが私達に必要なことの様ですね。
ちなみに、これは前述の内容とは少しずれてしまいますが、最近の自分は「笑いの感受性」がかなり高くなった気がします。
前までは面白くないと思っていたものが滅茶苦茶面白く感じるときがあります。
今までそれは「退化」だと思っていたのですが、
より低刺激で満足出来る様になったコトを考えると、これは「進化」なのかも知れないですね。
というわけで、良い低刺激ライフを。じゃ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?