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4人目の先生にたどり着いた今

私は、今まで4人の先生にピアノを習った。

1人目は私のことを幼稚園生の頃から知っている先生。ピアノを習い始めたのはその先生だ。近所の音楽教室に何となく通っていた幼少期だった、

私の音楽人生の原点

高校の始めまでお世話になった。私が音楽系の進学を考え始めた頃だろうか。
「あなたはもう私よりも弾けるから、このまま私のところにいても上達しないよ」
と言われた。私の弾くレベルの曲は十分に教えられないと言われた。

正直寂しかった。先生も寂しかっただろう。でも、これは私のために言ってくれていると分かった。私は受験対応の新しい先生に習いに、電車でレッスンに通うことになった。

1番初めの先生は、今でも連絡したり、会ったりする第2のお母さんだ。10年以上もお世話になったのだから。ピアノを楽しいと教えてくれた先生には、今でも感謝しかない。

2番目の先生は、気さくで一緒懸命な素敵な先生だった。この先生に学んだことで1番大きいのは、バッハを学ぶ意味をしっかりと教えてくれたことだ。私がバッハ好きなのは先生のおかげ。先生に卒業祝で頂いたバッハの楽譜はボロボロになっても今も使っている。コンクールでも、思ったより良い賞を頂けたのは、先生のおかげだ。私は無事、大学生になることができた。

大学に入り、私の担当となったのは、ヨーロッパの音楽院を出て、いわゆるかなりの経歴をお持ちの先生。先生の技術はもちろん素晴らしかった。言っていることももちろん的確である。先生の御指導のおかげで学内オーディションに受かり、演奏会に出たりもできた。もちろん、学んだことはたくさんあり感謝してるし、尊敬できる先生だ。
だが、大学では、何度か先生を変えられるタイミングがあり、私は先生を変えることにした。

なぜだろうと思うだろう。でも理由はちゃんとある。人間には相性というものがある。自分がなにかもやもやしていると、相手もそれを感じている可能性が高い。先生と生徒という関係であっても、相性はかなり重要だ。もちろんその先生の門下にずっといたいという人もいる。ただ、大学で学ぶ上で、学生は自分のより良い学びを求める権利がある。
これは、あくまでも私とその先生の相性の問題で次のように感じるのだと思う。

1.「良く弾けてる」とだけ言われてレッスンが終わってしまうことがしばしばあった。(先生の私に求めるレベルが低いのではという思いと、何のためのレッスンか分からなくなってしまった。)
2.明らかに私の譜読み間違えや、上手く弾けなかった場合にも関わらず、言いにくそうに言ってくる。
3.私ははっきりとものを言ってくれないと分からないタイプのため、曖昧なものの言い方が理解しにくかった。
4.甘いというか優しすぎ(日本の学生はその程度だろうと思っているのかなと思った)

大まかに書くとこのような感じだ。何度も言うが、これはあくまでも私の主観なので、全員がこう思うとは思っていない。

私が求めていた先生象はこんな感じ
1.ものをはっきり言うタイプ
2.学生だろうと全力でぶつかってきて欲しい
3.新しいことに触れさせてくれる
4.適度に優しく厳しい

先生を変えると決める前から気になっていた先生がいた。限られた人数しか持たない、厳しいという噂もあった教授だ。何人かの先生のレッスンを見学させてもらったが、やはり気持ちは変わらなかった。

教授門下になるためにしたこと
1.演奏会などに出て顔を覚えてもらう
2.校内で会ったら挨拶、少し雑談
3.個人的にレッスン見学を依頼
4.名前を覚えてもらい、来年からお世話になりたいということを伝える
「春から待ってるよ」とお言葉を頂いた。

私は見事、念願の教授のにレッスンをしてもらえることになった。これは大正解だった。

その先生は、私にあらゆる知識を惜しみなく与えてくれる。レッスンもお話も全てが面白くて仕方がない。

芸術としての音楽を、
そしてピアノを通して人生を。

そして、先生は120%で向き合ってくれる。先生の教えようとしていることは、ピアノや音楽だけの狭い型に収まっていないことは、学生の私でも分かる。先生について行きたい、いつでもそう思う。

先生との出会いは、私の音楽人生を大きく左右する。例え、音楽に関係する道に進まなかったとしても。素晴らしい出会いに感謝してもしきれない。これからも、先生とともに音楽を追求していきたい。