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小説『ポルカ・ドットで、こんにちは』Dot:2

Dot:1は、こちらから、どうぞ。 

 ぼくの名前はテン。テン・イーダ・アダムス。
 でも、マダムはぼくのことをキリと呼ぶし、じぶんのことを凛子と呼べという。最初のうちは、キリと呼ばれると無視したり、ぼくはテンです、とむくれたりもしたけど、あら、そうだったかしらと紅茶をひと口啜り、キリ、そこの棚からブランデーを取ってちょうだい、というものだから、いいかげん面倒になって、それからは、キリと呼ばれても返事することにしてる。マダムのキリはぼくじゃないのに。
 それより、今日も胸のすくような風が吹いてる。

 くねくねとうねる石畳の坂道を海風が駆けあがろうとして、狭い道にきっちりと向かい合う石造りの家屋にあちこちでぶつかり、そこらじゅうで乱気流を発生させる。小さな春のつむじ風たち。男たちはハンチングを押さえ、女たちは風がもてあそぶスカートの裾と格闘して、あはは、おかしいや。
 家々の3階の窓から吊るされた洗濯物が、風との勝負に負けてピンチをはぎ取られくるくると空にあがる。ふらふらと舞う白シャツはカモメ。うまく気流に乗れたら、どこまでも飛んで行けそうだ。ぼくも、あんなふうに気流をつかまえて、風に乗ってみたい。
 港を見下ろす高台の柵にもたれ、町じゅうで繰り返される寸劇をテンは朝からずっと眺めている。あごまで伸びたウエーブのあるくせ毛も、風にからかわれ右往左往してからまり、もつれる。
 突端にある今では使われていない小さな円形の塔は、かつては敵の襲来に備える物見櫓だったと、パン屋のベンじいが教えてくれた。
 崖から切り出した石灰石を積んだ壁を手でなぞる。潮風に削られ雨に洗われ、角が所どころ風化して、手でちょっと擦っただけでぱらぱらと欠ける。何千年もかけて、塔も崩れていくのかな、土台だけを残して。半島の向こうでは遺跡発掘調査がもうすぐはじまるらしい。潮風がわたるだけの草の原が掘り返され、古代というやつが姿を現すんだ。
 石灰岩は海からの贈りものよって、マダム凛子が云ってた。サンゴや有孔虫の死骸がさらさらさらさらさらさらさらさらさらさらさらさら降り積もって岩になるって、信じられる? まるごと石灰岩の島もあるんだって。 
 ばあちゃんの柩に土をかけて死んだらおしまいなんだと、雲雀の鳴く空を見あげて思ったけど。岩になれるんだ。何百万年も、何億年もかけて、オウムガイやベレムナイトを抱いて岩に。巨大なモササウルスがアンモナイトを追い駆けて泳いでたかも、この真下の海でも、なあんて。
 今日はいちだんと海が蒼くまぶしい。
 テンは塔の壁に耳をつける。
 時を超えて古生代の海鳴りが聞こえる気がする。
 マダムはときどき窓辺に立って、大げさに首を振りながら呆れたように云う。男って、どうして海につまらない夢を抱きたがるのかしら、バカよねって。そうして少し哀しそうに笑う。
 塔の扉には鎖が二重三重に巻かれ鍵がかかっているけど。いつかバールでこじあけて、てっぺんの見張り台に登って、地球の輪郭にそって曲がる水平線の、そのずっとずっと向こうまで眺めるんだ。バミューダトライアングルの謎をいつかぼくが解いてみたい。海はつながっている。大西洋も、太平洋も、インド洋も、地中海も。キップリングが「7つの海」と呼んだらしいけど。7つじゃない、1つなんだ、海は。 

 あとで市庁舎前の円形広場にある図書館に行こう。
 テンは水色のスーパー・カブにまがたる。
 マダム凛子は、起きているだろうか。
 荷台に積んだ焼きたてのブールとバゲットの匂いが胃袋をくすぐる。潮風を背に受け、石畳の道をドドドドドっと丘の上の屋敷までのぼっていく。

 あら、テン、今朝は早いのね。バゲットをカットしたら、キリを探してきてちょうだい。

(to be continued)

Dot3に続く→



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