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新米編集者深川真理はもてあそばれている(#シロクマ文芸部)

 <秋と本>とだけ書かれた原稿用紙を残し、人気推理作家の立田錦之介が姿を消した。

「また、やられた……」
 二年目の駆け出し編集者深川真理は、午前七時に朝食の盆を手に立田の仕事部屋に入るなり床にくずおれた。本日、午後五時が連載小説の入稿締め切りだというのに、完成原稿とともに立田が行方をくらましたのだ。
 入り口はひとつしかなく、その扉前には真理が一晩中、居座っていた。パイプベッドは寝乱れたままで、書斎机の窓辺ではオーガンジーのカーテンが風と戯れている。ここから脱出したのだと一目瞭然でわかるよう、わざと細く開けられているのが腹立たしい。幾度となく耳にした立田の、四十三歳の男にしては高音の哄笑が幻聴となってこだまする。部屋からどうやって抜け出したのかは問題でない。どこに行ったのかを推理せよというのだ。机に一枚だけ置かれた原稿用紙は、ガラスのペーパーウエイトで中央を押さえられ、せわしなくはためいている。まるで早く遊びに行かせろと駄々をこねる子どものようだ。そう、いい歳をしていたずらっ子のようなところが抜けないのだ、あの先生は。
 京都下鴨にある立田錦之介の邸宅に前日から泊まり込み、原稿の進捗に目を光らせている……つもりだった。「気が散って筆が進まん」と怒鳴られるので、仕事部屋の前に椅子を置いて待機し、夫人に代わって食事の盆を持って入室するたびに原稿の進み具合を確認していたのだが。
 真理はため息を風にのせ、<秋と本>と残された原稿用紙を手に取る。

 締め切りまぎわになると立田は、謎めいた言葉を残し、これまでも度々姿をくらました。推理作家の遊び心なのか、単に新米編集者をからかっているだけなのか、謎を解かなければ原稿を渡してくれない。
 ――僕たち作家がうんうんと頭をひねった原稿を、君たち編集者はかっさらっていくんだ。ちょっとは頭を働かしてもらわないとね。

 むろん社の看板作家の立田を新米編集者が一人で担当できるわけがない。デビュー時から二人三脚で作品を世に送り出し、今では部長となっている堀もついている。立田の専属に指名されたとき、てっきり自分は堀のアシスタントにすぎないと思い、憧れの人気作家を担当できることに舞いあがった。
 ところが、だ。
「俺は忙しい。新作の打ち合わせやプロモーションは俺が進めるが、原稿の回収や製作スケジュール管理は、深川、おまえの仕事だ」と堀から突き放された。ま、がんばって、と先輩たちがにやにやしながら肩を叩いていく。
 その意味に気づいたのは、初めて原稿の回収に東京から京都まで出向いた朝だ。夫人に通された仕事部屋は、空っぽだった。
 慌てて立田の携帯にかけると、けたたましいコール音が机の上で鳴った。スマホを置いて出ている。夫人に心当たりを尋ねると、さあ、と首をかしげ、そのうち帰って来はりますやろ、と鷹揚だ。
 「先生が行方不明です」と悲壮な声で堀に電話すると、「ああ、それな。先生の悪い癖だ。謎のメモが残されてただろ。原稿はとうにできあがっているはずだから、メモから推理して先生を探すんだな。ま、がんばれ」と無情に電話を切られ、呆然とした。勝手のわからぬ京の街を右往左往し、京都タワーの展望室で先生の姿を見つけたとたん涙がこぼれて止まらなかった。 
 ――こんなのは、ミステリーにもトリックにもならない遊びだよ。これくらい、ささっと解けなきゃねえ。 

 立田はいまだに原稿用紙に作品を書く。原稿用紙でないと書いた気がしないとうそぶくのだが、案外、この攻防のためだけに原稿用紙執筆にこだわっているのじゃないか、と勘繰らないでもない。パソコン執筆なら、データがパソコン上に残る。だが、原稿用紙執筆では直筆原稿がすべてだ。
 ――遊びはね、本気を賭けるからおもしろいんだよ。

 <秋と本>と書かれた原稿用紙を手に真理は、立田の温もりが微かに残るデスクチェアに身を沈める。そうすれば、先生の思考の過程がたどれる……ような気がするのだ。気休めでしかないけれど。
 本気で遊びましょう、先生。
 真理は挑戦状を手に、虚空を睨みつける。
 京都駅を二時半に出れば東京での入稿にまにあう。時間との勝負だ。
 <秋と本>でまず浮かんだのは、図書館か書店。だが、こんな単純な謎を立田が出すわけがない。朦朧とする頭を必死で鼓舞する。考えろ、考えろ、考えるんだ。
 ――推理はね、周到な観察と論理の積み重ねの果てにある。
 視点の変換は必要だが、突飛な思いつきは不要だと立田はいう。

 秋といえば紅葉……本は言葉による表現物……言葉は、言の葉ことのは
 秋と本の共通項は「葉」だ。<秋と本>が示唆するのは、「紅葉」だろう。だとしたら、先生はどこにいる?
 京都には紅葉の名所が多い。東福寺、永観堂、嵐山、鞍馬……数え上げたらきりがない。場所の選定にも論理の筋があるはずだ。何か見落としていることはないだろうか。 

「ここだ!」
 半刻ほど考えて、ようやく真理は一つの解にたどりついた。
 正解との確信はない。だが、秋と本と立田が結びつく場所は、そこしか思いつかなかった。時刻は午前八時半を過ぎたところだ。京都駅から九時の新快速に乗って大阪で乗り換えれば、十時十八分には奈良の王寺に着く。駅前からタクシーを飛ばせば……私の推理がまちがっていなければ、十時半には先生に会えるはず。

 ことしの夏は長く暑かった。それでも十一月の末ともなると、肌をかすめる冷気が心地よい。平日の斑鳩いかるがの里は静かだ。川辺りの道をさかのぼる。
「嵐吹く三室の山のもみじ葉は竜田の川の錦なりけり」
 古歌を口ずさむ。ここが、古より紅葉で名高い竜田川か。目をあげれば錦繍の衣をまとった小高い三室山が見える。川沿いが整備され鄙びた趣はないが、紅や蘇芳、黄に色づく紅葉の回廊が川面を染める。

 秋と本と先生について考えを巡らせていて、不意に、秋の女神の竜田姫が脳裡をかすめた。竜田姫は立田比売ひめとも書いたはず。同時に「竜田の川の錦なりけり」と百人一首の一節が口をついた。先生の筆名は、立田錦之介。
 つながった――。

 艶やかな錦繍の織りなす川上に朱塗りの欄干が見えた。紅葉橋だ。
 その中ほどに佇む男性がいる。
「お、真理ちゃんもずいぶん推理力がアップしてきたねえ」
 ベージュのタータンチェックのインバネスコートを羽織った立田が、欄干の中央から手をあげる。その手にはパイプが握られている。「遊びは本気」が先生の信条だ。
「ほれ、原稿だ」
 厚くふくれた封筒を手渡される。
「三室山でも散策していくかね」
「いえ、何物にも代えがたき錦をいただきましたので、即刻、東京に戻ります。ありがとうございました」
「はは。からくれなゐに水くくるとは、か」

<了>

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「秋と本」難しかったです。
小牧部長、よろしくお願いします。


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