既視の海

向田邦子を読み、池田晶子と小林秀雄を考え、茨木のり子に耽り、松崎ナオを聴き、往復書簡を…

既視の海

向田邦子を読み、池田晶子と小林秀雄を考え、茨木のり子に耽り、松崎ナオを聴き、往復書簡を手書きしつつ、なんにも用事がないけれど、バイクに乗って海へ行って来よう。サウイフモノニワタシハナリタイ。

マガジン

  • 書評

    ヨミタイモノ、ココニアリマス。

  • 往復書簡:豊かな表現への道しるべ

    • 12本

    ひとりの本好きの紡ぐ言葉に憧れて始まった往復書簡です。読み方・伝え方を学び、作品から汲み取った思いや心に湧いた感情を、ほっとするような言葉で書いていきます。

  • ひとりの本好きが、本好きの友だちと交わす往復書簡。

    読んだ本について手紙を書く。本好きから本好きへと書く手紙。往復書簡。手書きの必要はありません。ここから始まった往復書簡がいくつもあります。あなたの手紙、待っています。

  • やっぱり映画も好き

    好キナ映画、集メマシタ。

  • みらっちとの往復書簡——読書を中心に

    創作・エッセイ・書評など多方面で活躍するみらっち(https://note.com/mirach)と交わす手紙の数々。

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ひとりの本好きが、本好きの友だちに出す手紙

はじめまして。 まだ名も知らぬあなたに、このような手紙を書く不躾さをお許しください。驚かれたでしょう。 庭のもみじは半分色づきました。週明けにはすべて赤く染まるでしょう。左後肢に障害のあるわが家の愛犬も、日なたぼっこが気持ちいいようです。秋も深まってきたのでしょう。 あなたにこうして手紙を書く理由。話せば長くなるでしょう。でも恥ずかしさを捨てて勇気を出して書くならば、きっかけは書評を書こうと思ったことです。 書評。読書家であれば、書こうと考えるのは一度や二度ではないで

    • 四元康祐『偽詩人の世にも奇妙な栄光』

      書けない苦しみ。溢れ出る驚き。 のちに偽詩人と呼ばれた吉本昭洋は、いずれも味わった。詩人・四元康祐の小説『偽詩人の世にも奇妙な栄光』の主人公だ。 昭洋は中学生のときに、詩に出会う。中原中也に出会ってしまった。国語教科書にある詩を読むだけなら、どこにでもいる中学生だ。抱いたざわつきを胸に、図書館で中也詩集を手にとる。中也の詩をあさり、評伝で人物像にも迫り、山口を訪れて詩人の足跡をたどる。それは、もはや「詩を生きる」萌芽だ。自分でも書いてみたいと思うのは必然である。 だが、

      • ヴィム・ヴェンダースの『PERFECT DAYS』を観る。単調な日々に、いかに光をみるか。翳があるから木漏れ日もきらめく。「もののあわれ」を知る映画。Lou Reedの同名歌もいい。カセットテープはないがLPで金延幸子“青い魚”を聴き、フォークナー『野生の棕櫚』で寝落ちしてみる。

        • 母語を殺す「敵語」ながらフランス語で執筆したアゴタ・クリストフのことが頭から離れず、言語の境界に生きる人々を日本語教師らが描く山本冴里[編]『複数の言語で生きて死ぬ』を半月強のブランクを経て読了する 。耳にしたことがある「日系人は許してもらえない」話や伊那谷の老婆が印象に残る。

        • 固定された記事

        ひとりの本好きが、本好きの友だちに出す手紙

        • 四元康祐『偽詩人の世にも奇妙な栄光』

        • ヴィム・ヴェンダースの『PERFECT DAYS』を観る。単調な日々に、いかに光をみるか。翳があるから木漏れ日もきらめく。「もののあわれ」を知る映画。Lou Reedの同名歌もいい。カセットテープはないがLPで金延幸子“青い魚”を聴き、フォークナー『野生の棕櫚』で寝落ちしてみる。

        • 母語を殺す「敵語」ながらフランス語で執筆したアゴタ・クリストフのことが頭から離れず、言語の境界に生きる人々を日本語教師らが描く山本冴里[編]『複数の言語で生きて死ぬ』を半月強のブランクを経て読了する 。耳にしたことがある「日系人は許してもらえない」話や伊那谷の老婆が印象に残る。

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        • 書評
          88本
        • 往復書簡:豊かな表現への道しるべ
          12本
        • ひとりの本好きが、本好きの友だちと交わす往復書簡。
          38本
        • やっぱり映画も好き
          14本
        • みらっちとの往復書簡——読書を中心に
          11本
        • 飯田線阿房列車
          4本

        記事

          12月に入り、完全に読書がとまっているところへ、フランスから一冊の本が届いた。 きょうは、すばらしい日。

          12月に入り、完全に読書がとまっているところへ、フランスから一冊の本が届いた。 きょうは、すばらしい日。

          アゴタ・クリストフ『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』

          『悪童日記』三部作を読み、著者アゴタ・クリストフが、母語ではないフランス語で書くことの意味に触れたくて、『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』を手に取る。 新書判の白水Uブックスでも、本文は90ページにも満たない。巻末の解説によれば、『第三の嘘』を上梓した後にチューリッヒの雑誌に連載していたエッセイが土台になっているという。「自伝」とはなっているが、時系列で自らの来し方を綴っているわけではない。幼い頃から、ひたすら読み、ひたすら書く人間だったこと。ハンガリー動乱のあと、生後4か月

          アゴタ・クリストフ『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』

          アゴタ・クリストフ『第三の嘘』

          少し感傷的になりながら、アゴタ・クリストフ『第三の嘘』を読む。『悪童日記』『ふたりの証拠』に続く三部作の完結編である。 アゴタ・クリストフの母国であるハンガリーを思わせる国のはずれが舞台となり、第二次世界大戦の戦火を双子の少年たちが生き抜いた『悪童日記』。その双子の一人が成長した青年リュカが、亡き母親に似た女性を慕いつつ、血のつながらない不具の少年に情愛をかける『ふたりの証拠』。 そして、ベルリンの壁が崩壊し、西側と東側で行き来ができるようになった時代を思わせる『第三の嘘

          アゴタ・クリストフ『第三の嘘』

          アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』

          いてもたってもいられず、アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』を読む。『悪童日記』の続編である。 第二次世界大戦中におけるハンガリーらしき国のはずれで、厳しい祖母のもとに疎開してきた双子の少年たちがしぶとく生き延びるさまを描く『悪童日記』。主観をいっさい交えず、見たこと、聞いたこと、実行したことを、ありのままに記す。感情を示すことばは漠然としているので、物事や人間についての事実だけを忠実に描写するという「作文」の作法にのっとり、断章とまではいかないものの、60余りの掌編で描かれ

          アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』

          アゴタ・クリストフ『悪童日記』

          読む本は、いつもゆくりなし。 先日来、「いま読書中」「一番の偏愛本かもしれない」という声が多方面から耳に入り、ほう、そんなによい作品ならば、やはり読まなければと何気なくアゴタ・クリストフ『悪童日記』を手に取る。カバー背面のあらすじや、オンライン書店のレビューも一切、目をとおさずに。 『悪童日記』の存在は知っていた。ただ、ヨーロッパの前時代的な男性作家が、悪ガキだった子どもの頃を懐かしむため、大人の視点で子どもはこんなに純粋無垢だよと描き、あの頃に帰りたいねと、読者にノスタ

          アゴタ・クリストフ『悪童日記』

          届いた! Pablo Neruda ”Cien Sonetos de Amor” パブロ・ネルーダ『百篇の愛のソネット』 きょうは、すばらしい日だ。

          届いた! Pablo Neruda ”Cien Sonetos de Amor” パブロ・ネルーダ『百篇の愛のソネット』 きょうは、すばらしい日だ。

          二十四節気は小雪になり、月見草の頃合いからは遠く離れてるけど、太宰治のことを考えながら日本一の山を見にきた。 静岡に住んでいたときに毎朝見ていた富士山とは違うけれど、山梨からの富士山もいい。

          二十四節気は小雪になり、月見草の頃合いからは遠く離れてるけど、太宰治のことを考えながら日本一の山を見にきた。 静岡に住んでいたときに毎朝見ていた富士山とは違うけれど、山梨からの富士山もいい。

          待つ方がいいのか、待たせる方がいいのか——太宰 治『待つ』『走れメロス』

          拝啓 色づきはじめたもみじに小糠雨がそぼふるなか、あなたへの手紙をしたため始めました。 あなたからの便りを待つうちに、季節がすっかり移ろいました。つい半月前は、ちょっと出かけると汗ばむほどでした。それが秋をとおり越して、にわかに冬が近づいた感を覚えます。 手紙というのは本来、時と向き合わなければならない術です。メールでは即配即読即返事が当然でも、手書きの文にはとうてい叶わぬこと。思いのままに書いたのを、読み直してつい熱くなった己を省みる。真実に伝えたいことも能わずにもど

          待つ方がいいのか、待たせる方がいいのか——太宰 治『待つ』『走れメロス』

          Luis Poirot “NERUDA: Retratar la Ausencia”(パブロ・ネルーダ写真集)

          1971年、ノーベル文学賞の受賞記念としてパブロ・ネルーダの自宅で開かれた夕食会。そこに招かれたコロンビア人作家で、『百年の孤独』で知られるガルシア=マルケスはいう。 ネルーダはチリに3軒の家を所有していた。首都サンティアゴにおいて、サン・クリストバルの丘のふもとにあり、市内を一望できる「ラ・チャスコーナ」、港町バルパライソで、テラスから海が一望できる「ラ・セバスティアーナ」、そしてガルシア=マルケスらとノーベル賞を祝った、海に面した「イスラ・ネグラ」。 1973年にネル

          Luis Poirot “NERUDA: Retratar la Ausencia”(パブロ・ネルーダ写真集)

          ロベルト・アンプエロ『ネルーダ事件』

          「ネルーダ週間」も終盤にさしかかる。映画を観たり、詩集を読んだりしながら、参考文献を紐解いたり、ニュースを調べたりして、南米チリの詩人、パブロ・ネルーダの全体像がぼんやりと浮かび上がってくる。 批評家の小林秀雄は、文芸時評から出発したものの、絵画や音楽、能などにも批評の対象を広げた。そのとき、伝記を読み、書簡を読み、行き着く興味は作家の「人そのもの」であり、生活となる。作家の坂口安吾との対談でも小林秀雄は語る。 そんなことを思い出しながら、ロベルト・アンプエロ『ネルーダ事

          ロベルト・アンプエロ『ネルーダ事件』

          『ネルーダ詩集』田村さと子訳編

          「ネルーダ週間」は続く。ようやく、本命である田村さと子訳編『ネルーダ詩集』を読む。 詩や詩人についての映画をいくつか観たり、南米チリの詩人パブロ・ネルーダが登場する映画『イル・ポスティーノ』や『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』を観て感心するのは、人々が詩を暗誦できることだ。食事などの集まりにおいて詩を披露したり、酒場で誰かが暗誦し出すと、周りでも一緒に声をそろえる。有名な詩を暗誦できることが、知性の証しのように描かれている場合もある。詩が生活のなかに溶け込んでいて、ああ、いい

          『ネルーダ詩集』田村さと子訳編

          パブロ・ラライン『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』【映画評】

          さっそく「ネルーダ週間」がはじまり、かねてからお気に入りリストで熟成させていた映画『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』を観る。パブロ・ラライン監督作品。といっても、監督や俳優の名前はなかなか覚えられない。ただ、警察官ペルショノー役の俳優をどこかで見たことがあるなあと思っていたら、映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』で若きチェ・ゲバラを演じていたガエル・ガルシア・ベルナルだった。ゲバラについては、いずれ書こうと思う。 第2次世界大戦が終わって3年がたった1948年のチリ。共産党

          パブロ・ラライン『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』【映画評】