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毎朝どの山を眺めてコーヒーを飲みたいか・南魚沼

南魚沼に行ったのは2年前の今頃。私の地元は関東だけど、東京で積雪があるときでさえほとんど雪が降らない街だった。ウィンタースポーツも、小学1年生のときにスキーへ行ったきり、一度も縁がないまま大人になってしまった。出張先は比較的南の方が多い。だから冬の雪国へ行けた記憶は私にとってどこか特別で、今も全く色あせていない。

その日、前日夜から熱が下がらないまま、朝7時台に東京駅発の新幹線に乗った。前日は薬局も開いていない深夜に帰宅したし、家の風邪薬は切らしていた。朝はバタバタしていて、東京駅のドラッグストアが開いてるかどうかさえ調べる余裕がなかった。

少し朦朧とした頭のまま、越後湯沢駅へ到着する。新幹線に乗ったらすぐだった。駅からは地元の方の車で案内していただくことになっていた。駅で集合したとき、「ぽんしゅ館」という壁一面に様々な酒蔵の日本酒が並ぶ施設を見学した。

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ここで案内人の方がばったりお知り合いに会って立ち話する場面に遭遇した。そのまま、その人のお家にも後でお邪魔することになった。こういうフランクさとフットワークの軽さは東京とちょっと違う気がする。早速おうちへお邪魔すると、周りはおそらく田んぼか畑。3月なので一面の雪景色。

東京から定年退職後に移住されたそうで、「この辺に家を建てる人は、毎朝起きて、どの山を眺めてコーヒーを飲みたいか考えて向きを考えたりするんだよ」と聞いた。どの山を眺めて暮らすかなんて、そんな選択肢をこれまで一度だって考えたことがなかった。周囲をぐるっと山に囲まれた盆地だから、きっとすごく悩むのだろう。なんて豊かな悩みなんだろう、と思った。

移動中は終始、一面の雪景色に興奮する。一通りの仕事を終えて、いろんなところを視察してまわる。夜は地元の方々と飲み会になった。さすが米どころ、みんなが各々自慢の日本酒を語っている。私は体調が治らないまま、「いつもはお酒好きなんですが」と断りつつ烏龍茶、のつもりだったのだが……。

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みなさん自慢の日本酒である。せっかくここまで来たんだし、一口で良いから味見してみて!と続々とお猪口が目の前に並ぶ。お猪口7杯分の日本酒って、そろそろ1合くらい飲んでるんじゃないか?と思わないでもない。そして、甘口辛口いろいろあって、美味しくてついつい勧められるがままに飲んでしまった。

とは言いつつ、お冷もいただきたくてお願いする。すると、あまりお店では売っていないらしい、とっておきのお水があるという。

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もはやお冷じゃない……!美味しいお酒をつくるための、美味しいお水。やわらかくてほんのり甘いような、優しいお水だった。風邪の熱なのか、お酒が回っているのかどっちかわからないけど、冷たい仕込水が熱っぽい体にしみわたる。

いつも東京で飲むときは、だいたい終電くらいの時間に終わる。早めに終わったら2次会が始まる。だけどこのとき、20時には解散だった。なんとなく手持ち無沙汰な気持ちになる。

宿は予め手配してくれていたところ。普段、出張ではホテルにしか泊まったことがなかったので、年季の入った旅館が指定されていて、ちょっとドギマギした。廊下を人が歩く音や隣の部屋の物音も聞こえる。お風呂やトイレも共同。慣れないながらも、頭の中には『男はつらいよ』の寅さんの旅先が浮かぶ。

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少し布団でごろごろして、若干酔いも覚めてきたので、栄養ドリンクか何かを買いたい……と思い、コンビニを探す。歩いて10分以上はかかるけれど、ぱらつく雪の中を歩くのもまぁ悪くないだろう。ポカリと栄養ドリンクと風邪薬がようやく手に入った。嬉しい。

部屋に戻って来る頃には、お酒はすっかり覚めていた。そういえば、宿のお風呂は温泉で、源泉かけ流しだと聞いた。雪降る夜の散歩で冷えた体を温めようと風呂支度をする。

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見た目はなんてことのない普通の浴槽。だけど温泉がとにかくあたたまる。好きなタイプの熱めのお湯で、体の芯まで温まった。おかげで夜はぐっすり眠れて、思わず早起きした朝にももう一度温泉に入ったほどだ。

朝風呂を上がって気づいた。完全に熱が下がっている。きれいな水で作った美味しい日本酒とあつあつの温泉で、人はこんなに元気になるのか。こういうときは小綺麗なビジネスホテルより、多少年季が入っていても旅館の良質な温泉に限るな、と生まれて初めて思った。

元気になったら、せっかく早起きしたし散歩でもしたい。コーヒーを飲みながら眺めたい景色、短い期間ながらも私も探してみたい、と思って歩く。

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山に覆いかぶさる雪と黒々と筋をつくる木々。そこに朝日が差し込んで陰影がはっきりする。白黒の美しさに目を奪われる。旅館の女将さんが「朝、川沿いを散歩するときの空気がビールより美味しい」と言っていたのも頷ける。

宿に戻る途中、小さな小さな噴水のようなものが道路に並んでいることに気がついた。後から聞いた話では、雪を溶かすために温泉を撒いているんだとか。こんなところにまで温泉を使うなんて、本当に贅沢だ。朝日が反射して輝いていて、ますます温泉の神々しさを感じてしまう。

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二日目は、八海山の麓にあるお寺へ行くことになった。山岳信仰のお寺だという。実は私の実家も山岳信仰系のお寺で、毎年火渡りをする祭りがある。たどりついた八海山尊神社も、毎年火渡りをすると聞いて、親近感が5倍くらいに増した。

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背筋の伸びるような気持ちで、杉の並木を歩いていく。社務所に行くと長靴を貸してくれた。普通の靴では危ないらしい。危ないって、そんなに山奥へ行くわけでもあるまいし……と思った私が甘かった。

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鳥居まで手が届きそうなほど、雪が積もっていたのだ。これでも例年よりは少ないらしい。鳥居がこれだけ埋もれてしまったら、狛犬はどうなってしまうんだろう?と考えていたら、目の前に可愛らしく顔をのぞかせていた。

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本当はそのあと、トミオカホワイト美術館というところへ行こうと思っていたのだが、到着したらあいにくの休館日だった。しかし、美術館には入れなくても、駐車場から見る八海山の景色が圧巻だった。

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朝、散歩をしたときには白黒に見えていた山だけれど、青空の下になるとどこか青っぽくも見える。日々の生活でこの雄大な景色を眺められたら、コンクリートジャングルの中で生活するより、少なからず心の余裕が増えそうだな、とさえ思う。

社会人一年目、新卒の頃に通勤電車から天気が良い日だけは富士山が見えたのを思い出した。見えない日は何度だってがっかりしたものだ。東京に引っ越してからは、山が見える生活、というもの自体をすっかり忘れていた。

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山だけでなく、積もった雪が3月の春の日差しで少しずつ溶け始め、除雪後にできた道の、自分の身長より遥かに高い雪の壁面につららができているのにも見とれた。本当に雪に馴染みがないので、つららというものは屋根にできるもの、という固定観念にとらわれていた。延々と続く小さくつららの愛らしさに、つい足が止まってしまった。

お酒も温泉も、雪もつららも、とにかくこの街は水が豊かなところだった。そういえば雪があるから冬も湿度が保たれて肌にもいいんだと誰かが言っていた。壮大な山を眺める生活はもちろん幸せだろうけれど、きっとこの街の美味しい水で淹れるコーヒーは格別なんだろうなと思う。

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