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メンタルダウンした当初、「何があった」と問われるのはキツいもんがあった。

夏の終わり、急に「仕事が手に付かない」状態に陥った。何かをやろうにも手が動かない、いや、「何かをやろう」という気すら湧いてこない。PCに向かっても「これからの仕事」を考えられないといった症状だった。

働いてきた中で、多かれ少なかれ「やる気でないなー」と思うシーンはあったけれど、今までのそれとは大きく違った。先週の会議がキツかったのか?上司との関係性がキツいのか?それはそうだが、そうではない。

一つの事象が「原因」というわけではなく、一つの事象が「最後のひと押し」だっただけだ。よくコップに溜まった水などで例えられるけど、ほんの些細な出来事も、ひたひたに溜まった水を零す要因となる。

症状を話すと「何があったの」と聞かれるのが、負担になった

親身に聞いてもらえているのもわかる。「何かしてくれよう」としているのも、「解決策を考えよう」としてくれているのもわかる。そのために原因を聞こうとしてくれているのだ。原因がわかれば対処ができる。それは確かだ。

確かだが、その「原因」を絞り出すのが最初は負担だった。
先日の会議で嫌な発言を受けたとか、大変な扱いを受けたとか、前述の通り「最後のひと押し」だっただけだから。つまり、それを言葉にした瞬間に相手は「それが原因」だと解釈してしまうかもしれない。まさに氷山の一角だけを見られてしまうような。
そうすると「そんなことで」「それくらいのことで」と評価されてしまうかもしれない。違うんだ、そんな些細なことの前に積もり積もったことがあるんだ。でも、そこを汲み取ってもらえるか?理解してもらえるか?それを説明しようとすればするほど、なんだかドツボに嵌ってしまう。

そう思われるかもしれない、でループに嵌る

「そんなことで気を落としてしまったの?」「そんなこと気にしているの?」と実際に言われることもあるし、被害妄想的に不安に駆られることもある。そうすると次に、「こんな些細なことでメンタルを崩す自分はダメなのでは…?」という沼に足を取られていく。特にこんな症状になったのが初めての人であればあるほど、その「あれ、話してみると些細だけど…こんなんでやられたらダメなんじゃね…?」と陥ってしまうかもしれない。

「あいつはあんなことでメンタルを崩したけど、こんなので崩していてはやっていけないよ」と影で言われているんじゃないか?なんて、言われてもいないことがどんどん不安になっていく。それでも体は動かない、思考は前に進んでいかない。どんどんと悪循環に陥っていく。

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「なぜ」に向き合うことは大事だと思う。ただ、それは落ち着いてからでも良い。最初は「自分がどうなっているのか」に向き合って、事実を事実として受け止めるところが大事なんじゃないかなと思った。
無理矢理に「なぜ」を言葉としてひねり出すことで、「こんな些細なことでメンタルを崩しているのはおかしい」と自分自身に呪いをかけることになってしまう。「実際に今、心身に支障をきたしている」事実をなかったことにすると、呪いは余計に厄介なものに変貌していく。

「原因」よりも「状態」を尊重してもらえるとありがたい

せめて聞くなら、どういう状態か・何ができる・何ができない・など事実を聞いてほしい。原因が些細なことかどうかなんかはいらない。今異常が起きているんだな、とわかってもらえるだけでもいい。(特に第三者は)いきなり解決しようとしないことが大事だと思った。

何かしらが原因でそうなっているのだろうけど、心や体が「しんどい」と叫んでいることを自分も、第三者もちゃんと認めることで、ようやく地に足がつく。
その点およめさんは「しんどいの?よし休も!!!!!」とぶっちぎりの労りっぷりが大変助かりました。

そういった意味で、専門家(産業医やカウンセラー)の対応の仕方は勉強になったなぁと思う。今どんなことが起きているのかを丁寧に受け入れてくれて、「なぜ」を問う際も基本的には「それはしんどいなぁ」と、「原因」→「状態」の結びつきを尊重してくれた。原因を「評価」しないでいてくれた。

人事職をしていて、メンタルで休みに入ってしまう方の話はちょくちょく聞いてきたけど、「ありがたい対応」と「余計追い詰める」対応を自分で経験できたのは大きかった。

大変なもんは大変だし、つらいもんはつらい。めちゃくちゃしんどそうな人を見かけたとき、「そんなもんでしんどいなんて言ってちゃあダメ」というのは、巡り巡って自分にも呪いをかけてしまうんだよなぁ。

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