先生はスーパーウーマン

「授業中、たとえ答えが分からなくても、先生からの質問には必ず手を挙げること」

答えが分かっていても、みんなの前で話すのは恥ずかしい。答えが分からない時は、当てられたら恥ずかしい。だからどっちにしても手を挙げなくていいじゃん。手を挙げるなんて目立ちたがり屋のすることでしょ。

私も含め、ほどんどの生徒がそう思っていた小学4年の春。新しい担任のN先生の発言はかなり衝撃だった。

「大切なのはみんなの前で、自分の意見をしっかりお話できること。みんなで授業に参加すること。当てられて、分かりませんと答えても、ちっとも恥ずかしいことではありません。先生は正解の数ではなく、手を挙げてくれた数を評価したいと思っています。」

そう言うと、N先生は教壇に出席簿のような表を貼りつけて、授業中に挙手した生徒に正の字をつけ始めたのだ。

女性にしては長身で、真っ直ぐな黒髪と目力の強い瞳が印象的な先生は大きな口と大きな声で最初は少し怖かった。女の先生ってスカートを履いて、ニコニコ笑っていて、あんまり怒ったりしないものだと思っていた私にとっては未知の生物との遭遇と言っても過言ではない。

いつもジャージみたいな服装だったし、男子がいたずらすると、怒りのあまり黒板用の長い定規を教壇に叩きつけて折ってしまい、教室中が静まり返ったこともあったし、(なんなら折れた音に驚いて隣の教室の先生が心配してうちのクラスまで様子を見に来た)かと思えば絵も字も教科書のお手本のように上手というギャップが大きかった。そして給食を残すと大きな声で怒るのに(もちろん体調が悪い時などは別だけど)、涙もろくて生徒の頑張りを見るとすぐに目を赤くしていた。

今思えば、私が初めて出会った「格好良い女性」だったのだと思う。

徐々にN先生の魅力を理解した私たちは、先生のことが大好きになった。授業中は全員手を挙げるようになり、先生は教壇に表を貼る必要がなくなった。

いざ全員手を挙げると、子供心は不思議なもので、やっぱりちゃんと答えられた方がいいと思い始めて、自然と勉強を教えあうようになっていった気がする。

低学年の頃、担任の先生から「内気で引っ込み思案」と評されてきた私の評価はN先生のおかげで「明るく積極的」へと一変した。人前で話すことは恥ずかしくないと身をもって学ぶことができたからだ。そしてN先生のおかげで絵を描くことも好きになった。N先生の指導の元、描いた父の似顔絵がコンクールで入賞した時は抱きしめてくれたっけ。

思い返せば返すほど、N先生のおかげで今のおしゃべりで強気な私が誕生したと言っても過言ではないのだ。

今の時代、N先生の教育方針は、なんとかハラスメントになってしまうのかも知れないけれど、私にとっての忘れられない先生は憧れのスーパーウーマンとして記憶の中で今も輝いている。

#忘れられない先生

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