アントニオ猪木氏亡くなる

今回は音楽ネタではありませんが…

自分が1番格闘技を観ていたのは2000年前後のプライドグランプリだった、ヒクソングレイシー対船木誠勝の試合、桜庭和志がホイスグレイシーとの死闘の末勝利した試合や、ヴァンダレイシルバ、ヒョードル、ミルコクロコップが全盛期の頃だった。

しかし自分は最近格闘技自体見ていない、いくら試合とはいえ人間同士殴りあうことを否定的に考えるようになったからだ、最近自分はケガをしたが、実際自分がケガをすると余計にそう思うようになった。

事故や病気で手や足を切断した人に比べたらかすり傷のようなものだが、プロレスの試合中脊椎をやられ寝たきりになったり、試合中技を受けて亡くなってしまった三沢選手やケガによる後遺症に悩まされている元レスラーもいる。自分はもう昔のように格闘技を熱心に観ることないと思う。もちろん全く観ないわけではありません。(どっちなんだ)

プロレスは猪木氏が現役でリングに上がっていた時から「八百長」だとか「インチキ」「やらせ」など否定的なイメージを持っている人が多かった。総合格闘技に人気が出るとプロレスはますます否定的に見られるようになったのかもしれない。

自分が何故猪木氏の記事を書こうと思ったのかというと自分が会社で色々つらい時にアントニオ猪木氏の自伝を読んだからだ。自伝を読んだ時プロレスとは既に離れていたが、波瀾万丈な人生に驚いた。

「こんな大変な人生歩んでいる人がいるなら、自分の悩みなんて大したことないな」

そんなことを思わせてくれたのである。

猪木氏は力道山の弟子であった、「アゴ」「移民のガキ」などと罵られ、殴られることなどしょっちゅうだったらしい、しかしこの時代から書くと、とんでもない字数になるので、アリ戦から書きます、ざっくばらんですが。

プロレスはボクシングや他のスポーツに比べ、軽んじられる傾向にあった、ボクシングや他のスポーツは新聞やテレビで大きく報じるられるのにプロレスは報じられない、アリと対戦を申し込んだのはプロレスが正しく評価されないという猪木氏の思いがあったからだ。

「プロレスの凄さを世界に見せつけてやる」

モハメドアリとの試合を実現できたはいいが、試合後の評価は散々だった。

「世紀の凡戦」「茶番劇」

自分もこの試合を観たことがあるが確かにそういわれても仕方のない内容だった。そもそもなぜこの試合がつまらなくなってしまったのか、それはアリサイドが猪木に対し、がんじがらめのルールを要求したからだ、要求を受け入れなければ帰国すると言ったらしい。

猪木氏は両手足を縛られたような状態からで戦わなければならなくなったのだ。

そして猪木氏を苦しめたのは試合終了後のアリの言葉だ。

「あれはお遊さ」

このアリの言葉は猪木を深く傷つけたらしい、猪木氏は死にものぐるいで戦っていたからだ。

試合後は残ったのはプロレスに対する嘲笑と、六億もの借金だった。その借金は異種格闘技で返済していく、借金の返済は順調だった、個人的に1番印象に残った試合はアクラムペールワン戦だ、彼はパキスタンでは英雄とされていた。

自分もYouTubeで試合を観たことがある、映像だとリングの二人しか映っていないが、周りは8万人もの観客で埋め尽くされていたらしい。なかなかペールワンがギブアップしなかったので、最後は腕を折り勝利する。その後もモンスターマンやウィリーウィリアムス、ショーターチョチョシビリなどとも試合をする。

猪木氏の異種格闘技シリーズはその後の総合格闘技に大きな影響を及ぼす。

その後、猪木氏は事業に手を出す、サトウキビのリサイクル事業らしい、アントンハイセルという会社を設立したが、失敗し二十億もの借金を背負う、さらに信用していた新日本プロレスの経理担当に三億円を持ち逃げされたのだ。

しかしさらに猪木氏は追い討ちをかけられるように重度の糖尿病と診断される、血糖値が600近くあり、いつ死んでもおかしくないような重症の糖尿病と診断されたのだ、糖尿病は完治することがないらしい。

選手の大量離脱、離婚…借金はどんどん膨らむ、自殺も考えたらしい、それがマサ斉藤氏との巌流島の決闘に繋がったのだ。観客なし、ギャラなし、戦いたいから戦う、しかもこの決闘時猪木氏は風邪で高熱を出していたらしい。

しかし猪木氏に手を差し伸べる人物が現れる、佐川急便社長佐川清氏だ。佐川清氏は昔空港で「写真を撮って欲しい」と頼まれて、猪木氏は「ここは暗いので明るい場所で撮りましょう」言い、明るい場所に移動して写真を撮ったらしい。

その人が佐川急便社長の佐川清氏だった。当時猪木氏はその人が佐川清氏だと知らなかったらしい。そのたった一つの気遣いで今後の人生を大きく左右することになるのだった。佐川清氏の力添えにより借金を返済することができたのだ。

そして猪木氏は国会議員になり、ソビエト連邦からの選手のに誘致、イラクの人質解放、カストロ議長との交流、北朝鮮での平和の祭典…やることなすこといちいちスケールが大きい(笑)ここら辺が今のレスラーに無いところではないか。

そして猪木氏は1998年4月4日ドンフライ戦で引退する。この試合はリアルタイムで観た記憶がある。引退後猪木氏の体は既にガタガタだったらしい。

引退後猪木氏は珊瑚の増殖事業を行う、主に環境問題全般だ。猪木氏は事業を通して社会貢献したいという理念があるみたいだ。その後もプライドのアドバイザーやk1対新日本プロレス、lgfなど…ここまでは自分も格闘技を観ていた。

猪木氏がいなくなったプロレス会は盛り上がりに欠けたように思えた。総合格闘技が台頭するとますますそう思った。自分もプロレスよりも総合格闘技を観る機会が多くなった。

様々な夢を実現してきたが、猪木氏を更に試練が襲う。

「全身性アミロイドーシス」という何十万人に一人という難病と戦うことになる。原因も治療法もよくわかっていないらしい、TVやYouTubeでも猪木氏の姿を見ることができたが、痩せ細り明らかに体調が悪いことがわかる。

そして闘病の末、2022年10月1日に亡くなってしまう。

今の若い人はどうかわからないが、プロレスラーというとやはりアントニオ猪木氏を思い浮かべる、棚橋弘至、オカダカズチカ、中邑真輔などがいるが、やはりアントニオ猪木氏のようなプロレスラーの枠からはみ出してしまうようなインパクトを持った選手はいないような気がする。

普通の人だったらとっくに自殺してしまうような出来事も、乗り越えて夢を実現するために突き進んでいった。一般の人だけでなく、各分野で猪木氏の生き様に影響を受けた人は無数にいるだろう。さっきも書いたが、国会議員、異種格闘技戦、カストロ議長との交流、北朝鮮での平和の祭典、イラクの人質解放、環境事業…

やることなすことスケールが大きい。猪木氏が度々いうのは「一歩を踏み出す勇気」という言葉だ、我々普通の一般人は中々この勇気が持てない、自分もそうだ、しかし猪木氏のこの言葉で一歩を踏み出した人は多いのではないか。

自分は猪木信者というわけではない、しかしプロレスや格闘技にあまり明るくない人もアントニオ猪木氏の戦う姿や夢に向かう姿勢は多くの人を勇気づけたことに間違いはない。

「猪木さん、沢山の夢と勇気をありがとう」

と言いたい。

「道はどんなに険しくとも笑いながら行こうぜ!」

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