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新涯町の智子さんの「水炊き」grandma's life recipes

福山駅徒歩2分の伏見町に、「IKEGUCHI MEAT PUBLIC HOUSE」という和牛バルがある。立地もよくおしゃれな外観だが、定評があるのはそこで出す和牛の美味しさ。それもそのはず、ここはお肉屋さん直営のお店なのだ。このお店から車で20分ほど離れた新涯町という住宅街に「池口精肉店」はある。今回は、初代社長の奥さんが評判の料理上手だと聞き、訪ねてみることにした。新涯町で育ち、みんなから「智ちゃん」と親しみを込めて呼ばれる池口智子さんは75歳。地域の祭りがあるとなればご飯を作って欲しいと頼まれ、最近はそんなにたくさんの野菜を切るのは大変だからと断っても、「私たちが切りますから、味付けだけでも!」と頼まれるほど、その味のファンは多い。

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家にお邪魔すると、たっぷり光が差し込む広々としたキッチンでニコニコした智子さんが待っていてくれた。家庭用の2口コンロの上に乗るのは、業務用に近い大きさの鍋。「ばあちゃんの家」らしからぬ大きな鍋を横目に今日の献立を聞くと、「くわいの煮物」と「水炊き」を教えてくれるという。福山はくわいの生産量がなんと日本一。智子さんも、戦後すぐの子どもの頃から、くわい、レンコン、井草、麦、米などを植えて畑仕事をしていたそう。

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一晩梔子の実を水に漬け込んで、色を出したものを見せてくれた。「当時は庭に梔子(くちなし)の木が植っていて、くわいの煮物はそれで色をつけたの。綺麗な真っ白い花が咲いてね。良い匂いがするの」。くわいは芽を残して皮を剥く。「縁起物やから、芽があるものだけ」。

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沸騰したお湯にくわいを入れ、強火で下茹でをする。少し茹でたら取り出し水を切り、今度は出汁をとり、黄色の梔子水と多めの砂糖と少々の塩を入れ、くわいが煮崩れぬよう優しく入れて弱火で15分ほど煮る。鮮やかな黄色が美しく、栗と芋の間のようなホクホク感とほんのりした甘さが良い。

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そして、水炊き。「お肉屋さんだからって、豪快な肉料理ではないのか」と思っていたら、「うちは家族が多いから、いつも水炊きをしよった。今でも、家族が集まったときには必ず水炊き」と教えてくれる。なんと智子さんは3人の子どもに13人の孫、そして6人のひ孫がいて、「肝っ玉母さんって言われよった」と笑う。商売が忙しくて、みんな揃っていただきますができることはほぼなく、手が空いた人から順番にご飯を食べる池口家では鍋や水炊が効率がよく美味しく頂ける料理なのだ。昆布とあごで出汁をとったところに、まずお肉を入れて炊く。「うちは鶏肉と豚バラの二種類使うの。最初にたっぷり入れたって、最後の人が食べる頃には『肉ないが』って言われるんよ」。さらに大根、白菜、人参、長ネギ、しいたけ、しめじをぽんぽん切っては入れていく。「もう入りません!」と鍋の声が聞こえてきそうなほど詰め込むも、「食べ始めると、これがぺろーんと無くなるからね」と楽しそう。

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少し煮る間に、「食べてみて」と出してもらったのは、なんとテールスープ! 前日の朝8時から夕方の5時頃までテールを煮込み、昆布出汁とお酒、醤油、みりんで味を整え今日再び火にかけたもの。やはりここは精肉店、昔からテールが余るとすぐ煮込んで作ったのだそう。

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「圧力鍋では美味しくできんの。昔は、お店のストーブに鍋を乗せてテールを煮ながらお店を切り盛りしてた」と懐かしそうに話してくれる。どんぶりに取り分けて豪快に頂くのが池口流。ほろっほろに箸で崩れるほど柔らかくなったテール、そしてコクがあるのに脂っこくないスープは完成度の高い、お店の味。これが家庭で出てくるなんて、お肉屋さんの家に生まれるって最高! なんて羨ましく思っていると、ちょうど水炊きが良い塩梅に。野菜から水が出て量が少し減ってきたところに、ちくわ、糸こんにゃく、春菊をさらに滑り込ませて完成。なんとも良い香りがキッチンに漂う。水炊きはお肉と野菜、ばっちりの出汁が効いて、ずーっと食べていたいほどしみじみ美味しい。少量作るより、大きな鍋でたっぷり作った方が、なぜか美味しくなる類の料理というのが世の中にはある。煮込みや鍋ものなど、コトコト煮るようなものがその代表格だ。

水炊きができたところで、智子さんの旦那さんである渉さんが来てくれた。今だとばかりに、ふたりの馴れ初めを聞いてみることに。中学を卒業して、老舗のスーパーに勤めに出た智子さんは、同じスーパーの中の精肉店で働く渉さんと出会う。「相思相愛だったのよ!」と、弾む声で智子さんは言う。「お父さんはモテる人じゃったからな。しょっちゅう声かけられとったん。ええー男じゃったよー」。渉さんと智子さんは、仕事終わりに自転車を二人乗りしてバラ園に行ったり、渉さんが智子さんを家まで送り届けたり、なんとも可愛いデートをしていたのだという。そうして、智子さんが18歳、渉さんが24歳の時に結婚。好きな人と結婚して、たくさんの家族に囲まれ、しかもおいしいお肉がたくさんある生活なんて言うことなしだなぁ、とうっとり。しかし、順風満帆なふたりのラブロマンスがここで「めでたしめでたし」となるわけではない。

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当時は、精肉業に携わる人に対する差別の名残があった時代。渉さんとの結婚に、仕事を理由に反対する親族もいたのだそう。でも、精肉業が家業であった訳ではないなか、「肉が好き」という理由で始めた渉さんは、この仕事に誇りを持っていたし、そういう差別が無くなるようやって行こうと心に決めて何を言われても気にせず続けた。真面目で負けず嫌いな渉さんが担当する店舗は売り上げがどんどん伸びたそう。その後しばらくして、池口家の一人息子である智子さんの弟さんが若くして亡くなったことをきっかけに、一度はお嫁に出た智子さんが、家族全員で実家に戻ることに。その際、渉さんも婿養子として池口家に入ったのだそう。そして、智子さんのお父さんの「ここで独立してやったらどうだ」という言葉から、生家の一部を改装して『池口精肉店』が誕生した37年前とのことになる。

渉さんは独立してすぐ、看板商品となる『ミンチカツ』を開発する。ミンチといえど、端材を使うのではなく、ミンチカツ専用のお肉を都度用意して丁寧に作った。80円(当時)で売ったミンチカツは美味しいと評判になり、近所の子どもたちもたくさん買いに来た。子どもたちは、渉さんが100キロの牛を吊るして4つに切るのを見るのを興味津々で楽しみにしていたそう。お金が無い子でも余ったお惣菜を食べさせてもらったり、一緒にご飯を食べさせてもらったり、智子さんをお母さんのように慕う近所の子も多い。

ただ、新涯町は住宅街。商売するには決して良い立地でもないうえ、1年立った頃にお肉の輸入が解禁され、輸入肉が安く入るように。そして周りにはスーパーまで出来始めた。「死ぬ思いしたな」と智子さんは呟く。なかなか軌道に乗らない経営に、「枝振りが良い木を見れば『首吊ろうか』ってふたりで話したもん。よう生きとったよな」と振り返る。渉さんは、それでもこの仕事が嫌だと思ったことは一度もなく、常に明日のことを考えて仕事をしていたそう。智子さんは、「私はしょっちゅう腰が動かんようになったりして、休んだりストライキ起こしたんよ。ある日、頭痛がしたから家に入って横になったら、店先でシャッター下ろす音が聞こえてきた。どうしたんって走って店に出てきたら、『ひとりじゃ出来んから店じまいしとるんじゃ』ってお父さんが言うから頭痛どころじゃなくなって。おちおち休めんかったわ」と笑いながら教えてくれる。

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当時は借金もあり、人に迷惑をかけるくらいなら店を辞めようと考え始めた頃、両親の働きぶりやお客さんの反応を知っていた息子さんが継ぐと手を挙げた。渉さんは「嬉しかったですよ。本当は軌道に乗せて渡したかったんじゃけど。すぐに引き渡して退きましたわ」とにっこり。息子さんたちの若い感性を取り入れた事業は軌道に乗り、さらには孫も参加してお店をますます発展させ、家族以外のスタッフも増えていった。

味覚や嗅覚は不思議なもので、視覚や聴覚以上に個人の記憶や情景と結びつく。出汁のほのかな香りを玄関で嗅いだだけで、「お、水炊きか」とすぐ反応できる孫も、最近催事で出したミンチカツを食べて「青春の味や」と泣いたお客さんがいるというのも、渉さんと智子さんが作り出してきたのが幸せな記憶だからだろう。渉さんに智子さんの料理で何が一番好きかと聞いてみると、「どれ食べてもおいしいからなあ。ほんまにおいしいんやで」と答え、智子さんが間髪入れず「あらー、またおいしいもん作らにゃいけん」と言うから、ほっこり。

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結婚して57年のおふたりは、写真をとる時は必ず腕を組み、歩くときも手を繋いで歩くほど今でもラブラブだ。そして、そんなふたりのもとに、池口家は今日も「水炊き集合」をする。

【ばあちゃん訪問】
中村 優(なかむら・ゆう)
タイ・バンコク在住の台所研究家。『40creations』代表。大学時代にさまざまな国をまわる中で「食は国境や世代を超えて人々を笑顔にする」ことを実感。2012年、世界各国の地域からの「とびきりおいしい」をおすそ分けするサービス『YOU BOX』スタートと同時に、世界中のばあちゃんのレシピ収集を開始。3年間で15カ国の100人以上のばあちゃんたちと台所で料理しながら会話し、彼女たちの幸せ哲学を書き上げた『ばあちゃんの幸せレシピ』(木楽舎)著者。2018年、タイにてTASTE HUNTERSを現地パートナーとともに立ち上げる。
瀬戸内への旅の玄関口
福山駅前のまちやど「AREA INN FUSHIMICHO FUKUYAMA CASTLE SIDE」
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AREA INN FUSHIMICHOは、まち全体をひとつの「宿」と見立てた「まちやど」です。泊まる、食べる、くつろぐ、学ぶ、遊ぶ、さまざまな要素がまちのなかに散りばめられています。チェックインを済ませたら、伏見町、そして福山のまちから瀬戸内への旅へ。

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