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終りなき旅 その3

そんなこんなで、とうとうお遍路最終日。予告通り、『最難関のお遍路ころがしに挑戦!』『あの人と、、、まさかの再会!?』『久しぶりに現代人らしい夜』の3本でお送りしたいと思います。それでは、参ります!!

※このnoteは「終りなき旅 その1」および「終りなき旅 その2」の続編となっております。合わせてお楽しみください。

3日目:3デイズオヘンラー③

○ 最難関のお遍路ころがしに挑戦!
 3月11日朝。6時前に起床。寝起きの悪さに定評のある私が、こんなに早起きするのは久しぶりのこと。朝の空気は冷たくて澄んでいるんだなあ、やっぱり春はあけぼのよね、なんて思うけれど、三日坊主なのは目に見えている。(文字通り三日間だけのお遍路だしね。)
 パンと水を調達して、昨日茶屋のおばちゃんにもらったミカンと飴と一緒にカバンに詰める。これから挑むお遍路ころがしの道には、お店はおろか、自動販売機すらない。そんな山道と7時間もの間、一人で闘うのである。途中で歩けなくなってしまったり、水を飲み切ってしまったりしたら、終りだ。

 昨日お参りした第十一番の藤井寺まで、宿のオーナーに送ってもらう。重たそうな灰色の曇天から降る細い雨が、フロントガラスをしとしとと打つ。雨降ってしまったねえ、すぐに止むと思うんだけど…とオーナーは心配そうに言った。止むといいんですけどねえ…と返事をしながら、このくらいの小雨ならかえって気持ちいいかも、と思う。町全体がしっとりと静かで優しい。私は雨の日が好きだ。
 藤井寺の前でお礼を言って、走り去る車を見送る。それじゃあ、この先も気をつけて、というたったそれだけの言葉に、心を感じた。入れ替わり立ち替わり泊まりに来る、たくさんの客のうちの一人にすぎないのに。とても親切にしてもらった。
 出会い、別れる。旅の常であり、世の常である。それでも、全く交わることのなかったかもしれない人生が何かの巡り合わせで交わって、互いの人生の一場面をつくるというのは、とても感慨深い。それがたとえどんなに短い時間でも、とても意味のあることだと感じるし、大事にしたいなと思う。そして、相手も同じ様に思っていると感じるとき、心の底から嬉しい。

 いよいよお遍路ころがしに挑む時。入口からいきなり狭くでこぼこな山道だ。斜面が相当急らしい、ジグザグと縫うように道を進んでいく。先が見通せないのがワクワク感を誘った。キツいのぼり坂だって今は苦じゃなかった。
 しばらく行くと、箒で落ち葉を掃く音がする。進んでいくと、アーガイル柄のベストを着たおじいさんがいて、お遍路道を埋め尽くす落ち葉を掃いてくれているのが見えた。おはようございます、と声をかけると、一人でお遍路してるのかい、途中まで案内しようか、と言って一緒に歩いてくれる。やっぱりここの人たちはオヘンラーにとても親切だ。
 アーガイルのおじいさんと一緒にまたしばらく行くと、視界の開けた場所に出た。いつの間にか雨が止んで、雲間から光が差し、それはそれは美しい眺めだった。僕が何年もかけてここらの木を切り倒して、見晴らしが良くなるようにしたのさ、と得意げにおじいさんが言った。そうか、この眺めはこのおじいさんが作り出したのか。雨上がりの空には虹がかかっていた。奇跡みたいだ、山が私を歓迎しているのかもしれない…

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 それからもう少し登ったところで、おじいさんと別れた。別れ際におじいさんは、杖を一本持って行きな、そうだな、このほっそりしたのがいいだろう、と言ってお手製の杖をくれた。この杖は私に勇気を与えてくれたし、何よりこの杖のおかげで足を滑らせたときに転ばずに済んだ。この時にもらった杖がなければ、滑って転がって野垂れ死んでいたに違いない。本当に、おじいさんに命を助けられたと言っても過言ではないと思う。

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 この先はひとりで進まなければならない。私は気を引き締めて、歩いて行った。今進んでいる道は、空海が四国で修行した時に通った道である。当時のままの自然のかたちで残っている唯一の道だそうだ。一歩踏み外せば谷間に真っ逆さま、というような細い道や、どこにどう足をかけて登ればいいのやら、というような険しい岩場が私を待ち受けていた。
 
 高い杉の木の合間から差す光が、下草の雨粒をきらりと光らせ、どこからか鳥のさえずりと川のせせらぎが聞こえてくる。ただただ道しるべを辿って進んでいく。どのくらい時間が経ったのか、何キロくらい進んだのか、今どの方角に向かっているのか、全くわからなかった。わからないし、どうでもよかった。決して楽な道のりではないのに、不思議と体が軽く疲れを感じない。私が歩いているというよりは、山が私を歩かせているという表現をした方が正しいかもしれない。ここでは自然が大きな力を持ち、人間は飲み込まれ、自然とひとつになるのだ。

 三歩に一回、リズムよく杖をついて、無心に前へ。ところが、途中で水を飲み切ってしまった。あんなに気を付けろと言われていたのに。渇きが心身のバランスを奪う。不安。疲れ。さっきまでの足取りはどこかへ飛んで行った。
 歯を食いしばり進んで行くと、湧き水(らしきもの)がある。湧き水(らしきもの)を引いてきたのが竹の筒からちょろちょろと出ていた。山が恵んでくれた水を飲んで運良く元気になるか、得体の知れない湧き水を飲んでお腹を下すか、喉の渇きで野垂れ死ぬかの三択だ。つべこべ言ってる暇はない。迷わず空のペットボトルに水をくむ。(幸いお腹は大丈夫だった。)

 焼山寺に向かう中で、一度だけ民家を見た。3分の2ほど進んだところに大きな谷間があって、山の斜面には柑橘類の果樹がきれいにそろえられて並んでおり、その下の方にいくつかの家が見えた。その住人であろう人たちが、樹の手入れをしている。その前後の険しい道からは想像もつかないほど、そこは長閑だった。軽トラがぶーんとやってきて私の横で止まり、運転していたおじちゃんが窓からりんごジュースを渡してくれた。

 そしてついに、第十二番札所 焼山寺に到着した。山門に向かって周囲をぐるりと登っていく構造になっている。その道には釈迦如来や不動明王をはじめとした様々な石の像が並んでいる。ひとつずつ丁寧に、真言を唱えてお祈りして進んだ。のうまくさんまんだ〜。
 道の途中で参拝を終えた初老の夫婦に出会った。もしかして、歩いて来られたんですか?というので、そうです、藤井寺の方から登ってきましたと返す。あらまあ、それはそれは。若い娘さんがひとりで、大変だったでしょう。夫婦はそんなふうに言う。ええ、少し、と言って私はほほ笑んだ。
 お遍路では、宗教や人種、性別によらず、気持ちのある人ならだれでも受け入れられる。異教徒は煉獄に落ちるという他所の宗教と比べると、寛大さが日本らしいなと思う。(もちろん、厳格な宗教だってそれはそれで素晴らしい。)私みたいな「東大女子」だってお断りじゃない。いや、そんなジョークを言いたいんじゃあない。私が言いたいのは、日本は多様性を尊重するマインドのある国だと思う、ということ。そもそも仏教だって他所からやってきたものだ。それを、時には日本固有の神道と重ね合わせて、独自に発展させてきた。日本の神様なんか八百万もいるのだ、これぞ多様性の極み。
 現代社会の抱える様々な問題の解決には、多様性の尊重が不可欠だと思う。そして、日本にはその先駆者となる素地があると思う。宗教、人種、性別、性的嗜好のフィルターを取り除いた、フラットでクリーンな世界を見てみたい。本当によいものが真っ当に評価される世界。そう、だからこんな時代にこそ、お遍路だ。四国遍路を世界遺産にしようという試みがもっと広まるといいなと思う。そして、日本が多様性尊重先進国になりますように。

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○ あの人と、、、まさかの再会!?
 雨が降っていたとは思えないほどに明るく降り注いだ木漏れ日が、山門の上で揺れていた。境内は澄んだ光に包まれ、神秘的だった。あんまりスピリチュアルな話にしたくないのだけども、このお寺は今までのどのお寺よりも、明るく清く、人を正しい道へと導く力に満ちていたように思う。ここまでの道のりは苦ではなかったとは言え、山を二つ越えおよそ13キロ、iPhoneのヘルスケアが言うには登った階数290階。挫けずここまで登り切ってよかったと感激で胸が熱かった。

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 さあ、今回の旅で最後のお寺だ。ありがたみを噛みしめながら門をくぐった。すると、ベンチに人影が。あれ、見覚えのある風貌だな。その人物がこちらに振り向く。あ!!!あれは、デンマークからやってきたおじさんだ!!!お互いに驚きを隠せない。まさかまた会うとは、、、!永遠の別れと思って握手を交わした翌日に再会、、、!(よくわからないという人は前回のnoteをぜひ読んでみてください)ここまで、一期一会だとか、出会いと別れだとか、道はまっすぐで二度と交わらないとか、あれこれ言ってきたけれども、それを超える縁というものがあるようだ。生まれてから高々20年、この世はまだまだ知らないことだらけで、毎日面白い。こりゃあと60年は楽しめるぜ。事実は小説より奇なりとは本当に言い得て妙だなあ。
 ラースさん(仮)がバナナを分けてくれて、それを食べながらベンチでおしゃべりをした。彼はピアニスト兼オルガン奏者だそうだ。きっと優しく素敵な音を奏でるのだろうな、いつか聴いてみたい、と思った。彼は私に、とても感動したんだと言って、宿の人からもらった手紙を見せてくれた。きっと、奥さんはいつもあなたのことを見守ってくれていますよ。という一文があった。ラースさんは亡くなった奥さんのために巡礼をしているのかもしれない。彼の瞳の奥に、哀しみの影があるような気がした。

 ラースさんは不意に立ち上がって、鐘を突くところを動画で撮らせてと言う。もちろん、と答えて私は鐘を突く。遠慮がちに突くと、コーーンとささやかに鳴った。今度はラースさんが突く。チカラ一杯綱を引いて、ッゴ〜〜〜〜〜ンと派手に鳴らした。自分の出した音に大満足の様子、自らNice!とコメントし、得意げに私の方へ振り向く。さすがに音楽家だ。時には豪快に。

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 それから私たちはお堂にお札を納め、納経帳に印をもらった。またお遍路をしに戻って来ることができますように。それから、私が正しい道を進んで生きていけるように、見守っていてください。こんな感じのお祈りをする。いただき物のミカンとリンゴジュースをお堂にお供えして、この旅での全ての出会い・縁に対する感謝の気持ちを噛みしめ、寺を後にする。

 通りゃんせ、通りゃんせ、行きはよいよい、帰りは……つらい。疲れ切った足に下り坂は酷だ。私の前を歩くラースさんが時々うめき声を出す。行きと違って、お寺まで歩き切るんだ、というモチベーションもない。私たちはトボトボと山を下っていった。
 ところで大学では何の勉強をしているんだい?と歩きながらラースさんが尋ねる。経済学、と答えると、そりゃいい、音楽よりずっと金になるしね、と言って笑う。私は上手く笑い返せなかった。芸術にはお金で測れない価値がある。もちろん学問にもある。社会の歯車になって働く人も、心に響く美しいものを生み出す人も、必要だ。でも、生きていくにはお金を稼がなくちゃならなくて、結果そういうふうに比較するようになる。とても悲しいことだなと思う。

 下り坂がやっと終わった。これで足が楽になる!ふたりで歓喜の声を上げて笑い合った。あと少しでお別れだ。昨日と今日と、2度も辛い道のりを共にした同志だ。やっぱり少し別れが惜しい。
 とうとう、バス停に到達した。私はここからバスで徳島駅に向かい、ラースさんは近くの宿に泊まることになっている。これでもう本当のお別れだ、とラースさんが言う。一緒に歩けてよかった、ありがとう。この先もがんばって、と返す。私たちは軽くハグをし、目を合わせて微笑みあう。彼の目は沢山のことを語っていた。うん、ありがとう。そんな気持ちを込めてうなずく。それから彼は後ろを振り向くことなく、歩み去って行った。
 今もラースさんは四国でお遍路をしていることだろう。どうか無事に最後まで辿り着きますように。お互いこの先の人生が素敵なものでありますように。

○ 久しぶりに現代人らしい夜
 バスに乗って街へ向かう。窓の外を後ろに流れていく景色をぼんやりと眺めていた。私の長い3日間は、わずか数十分ですでに遥か彼方、なんだかもう夢だったみたいな感じがする。
 過ぎ去る景色と思い出が重なって、頭の中を猛スピードで渦巻く。エモの嵐。疲れ切った身体は嵐に揉まれ、もう強制シャットダウン、ハッと目を覚ましたときにはもう徳島駅に着いていた。

 ウィンドブレーカー姿で駅前のビジネスホテルに入っていく。本当に、ちゃんとしたベッドにのびのび寝れるのなんて久しぶりだ。一刻も早くベッドにダイブしたい。
 はやる気持ちを抑え、大浴場へ。実はこのホテル、天然温泉付きなのだ。温泉万歳、長風呂万歳、サウナ万歳。やっぱり、温泉に入ると一気に回復する。
 思う存分楽しんでから、浴室を出る。しっかり保湿。ばっちりメイク。お気に入りの紫色のワンピースを着て、コーヒー牛乳を飲んで、それから部屋に戻った。久しぶりの都会人らしい姿に我ながらびっくりする。自然たっぷりの山里もいいけど、やっぱり都会が好きだな。街を行き交う人々、夜煌めく沢山の灯り、小洒落たホテルのロビー、ちょっぴりおしゃれして出かける。それから、沢山の料理屋!!
 さあ今度は夜ごはんだ、酒だ!本当に、豪勢な食事にありつくのも久しぶりだ。夜道をぷらぷら歩いて行く。川面に灯りが打ってゆらゆらと綺麗だ。今夜は川沿いのブリュワリーに決めた。徳島の地ビール!楽しみだ。
 すだち風味のクラフトビールと牛肉のステーキをいただく。うーん、美味。じーんとくるほどの美味。疲れたからだに浸みる。美味しいごはんのありがたみを全身で味わった。ああ、天の恵みに感謝。これもお遍路効果かな。

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それから、おかわりにもう一杯、桜ビールというのをいただいた。桜の塩漬けみたいな風味。ふわっとしゅわっと春の香り。もう春なんですね、ちょっと気取っています。

 ほろ酔いのいい気分で、またぷらぷらとホテルに帰る。川面の光がさっきよりも綺麗だ。今道には他に人がいない、この光景は私だけのものだ。綺麗なものを独り占めして眺めるって、最高だ。世界で私だけが知っている綺麗なもの。ひとり旅の醍醐味だ。

 真っ白なシーツに挟まれて眠る。パリッとしたすべすべのシーツ。長い1日が終わる。いや、あっという間の3日間が終わる。はたちの春、いちばん優しくて、厳しくて、濃厚な思い出が終わる。私の心の中の光よ。
 思い出は死なないし、旅は終わらない。お遍路に終りはない。心を磨くための修行に終りはない。
 旅は続く。だから私は歩き続ける。人生は、終りなき旅だ。


これにて、私のお遍路日記は終りです。本当に長かった!最後までありがとうございました。布教したいわけではないのですが、お遍路をすると人生がちょっと変わるかもしれない、とすごく感じたので、ちょっとだけおすすめしておきます。(やっぱり、実際の体験と、それを文章にするのとでは結構違ってしまいますね)
それと、まだ旅は終りじゃありませんので、今後も読んでいただけたらうれしいです。

P.S. 今回もビートルズの曲をつけちゃいます。私が特に好きなアルバム、Revolverの最後の曲です。歌詞も読みながらお楽しみください。

Tomorrow Never Knows

Turn off your mind, relax and float downstream
It is not dying
It is not dying

思考を止めて、ゆるりと流れるままに
死にゆくのとは違う

Lay down all thoughts, surrender to the void
It is shining
It is shining

全ての考えを捨て、無限の宇宙に明け渡す
それは輝くことだ

Yet you may see the meaning of within
It is being
It is being

もし内なるものの意味が分かったなら
それがありのままの姿

That love is all and love is everyone
It is knowing
It is knowing

愛は全て、そして愛はあらゆる人
それが知るということ

That ignorance and hate may mourn the dead
It is believing
It is believing

死を嘆いてしまうのは、きっと無知や憎しみのせいだから
信仰するんだ

But listen to the colour of your dreams
It is not living
It is not living

だけど、夢の色に耳を澄ませてみても
それは生きることとは違う

Or play the game "Existence" to the end
Of the beginning
Of the beginning
Of the beginning
Of the beginning
Of the beginning
Of the beginning
Of the beginning

つまり「存在」という名のゲームを最後までプレーしなきゃならないんだ
始まりの終わりまで
終わりのないゲームを

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