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デレラの読書録:小川哲『君のクイズ』

『君のクイズ』
小川哲,2022年,朝日新聞出版

生放送のクイズ番組の決勝戦、最終問題で対戦相手は問題文が読まれる前に早押しボタンを押下し回答、そして問題文ゼロ文字でのその回答は正解だった。

対戦者の衝撃的なクイズ回答は何故可能だったのか、という問題を巡るクイズミステリ小説。

(以下は、ネタバレがあります、ご注意を)

タイトル『君のクイズ』の通り、クイズは人生に通じているという物語。

しかし、この小説の構造はやや複雑で、クイズが人生に通じているということはある種の信仰でもあり、それ自体が「そういうフィクションである」と言うことも含意している。

説明が可能な「論理」と、説明を飛び越える「魔法」。

論理と魔法の二項対立を軸に、問題文ゼロ文字回答について掘り下げられていく。

問題は二つある。

方法と動機だ。

どういうことか。

第一に、そもそもどうやって回答を導き出したのか、という方法の問題がある。

一見、理解できず、まるで魔法のようだ。

次に動機の問題だ。

問題文ゼロ文字で回答し、しかも正解することは、ともすればイカサマを疑われてしまう。

クイズ回答者としてはそんなことするメリットがない。

では何故そんなことする必要があったのか、という動機の問題が生じる。

問題文ゼロ文字回答をめぐる二つの問題。

どうやって(方法)、そして、なぜ(動機)の問題。

この二つの問題は、言語行為論風に言えば、コンスタティブとパフォーマティブの問題だろう。

ひとつの行為には、コンスタティブな意味とパフォーマティブな意味がある。

どういう行為なのか(方法)と、何故そういう行為をするのか(動機)だ。

クイズという題材から始まり、少し深いところに到達する。

一般的に考えれば、何故そういう行為をするのか、という問題は、そのひとの人生の文脈に帰着する。

例えるなら、目の前に美味しそうな食べ物があっても見向きもせず立ち去るひとがいるとしたら、そのひとはおそらく直前にご飯を食べていてお腹いっぱいだったのだろう、ということ。

したがってクイズもまた人生に帰着する。

何故その問題を解けるのか、といえば、その回答者が人生のなかでその問題に出会い、学んでいたからだ。

その問題を解けるかどうかは、経路依存で、ひとによって解き方も解く理由も異なるということ。

そして、問題文ゼロ文字回答は、クイズという意味を飛び越えていく。

競技としてのクイズは正解するためにある、しかし、ゼロ文字回答をした本人は別の競技をしていた。

行為のパフォーマティブ性は、ゲームの外側に別の文脈があることを示唆している。

クイズとは何か、何故クイズを答えるのか、そのひとがクイズをするに至った文脈は何か、何故そんな回答をしたのか。

問いは線となり錯綜し、ひとつの収束点に向かう。

何故そうするのか、というパフォーマティブ性を意識しなければ分からないことがある。

これは、昨今のSNSにおける「バズり」を別の仕方で理解する方法でもある。

何故バズるのかではなく、何故バズるようなことをそのひとはしなければならなかったのか、という問いのズラしである。

クイズをズラす、問われ答えることからズラす、なぜ問いに答えられるのか、その背景には何があったのか、ということ。

おわり

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