Processing Community Hangout Japan #01 のこだまが響く
Processing Community Hangout Japan #01 を観て湧き上がった私的感情をうたったポエムです。
心に響いた登壇者のお言葉から感じたことを書き出したもので、発表内容の紹介や批評ではありません。感想は少し入ってます。
ご本人の発表の意図を汲みきれないまま勝手な解釈で考えを進めているかもしれません。その点「未熟なやつめ、ハッ!」と笑ってお許しいただけますと幸いです。🙇♀️
Processing Community Hangout Japan #01 はデイリーコーディングチャレンジに取り組んでいる参加者のライトニングトークを中心としたオンラインイベントで、2020/5/16(土)に開催されました。
senbaku さんのお言葉
デイリー・コーディング・チャレンジで、動くイラスト的な作品を多く作ってらっしゃった senbaku(@senbaku)さん。
オバケかわいい。
『1枚の絵としてかわいい、最後に全部並べてかわいいものを目指した。
キャンバスサイズ、タイトルを揃えて統一感を出した。』
私は作品を作るとき、こういうことを考えたことが全然なかったです。
振り返ってみると、作品作る前に「こういうものを作りたい」と考えることがなくて、「こんなコードの結果はどうなるんだろう?」という入り方をしてることがほとんど。
そういう作り方をしてると、出来上がる絵はそれを目指して作り上げたものではなく、意図せず出来てしまったものになっちゃって、それもあってか結果の絵よりもその絵を生み出す仕組みやデータの方に愛着を感じてしまう。出来上がった絵は「作品」というより「実行結果」という感じ。
「統一感」とか考え出すと、同じアルゴリズムを元にしたシリーズ作品とかそっちの方に行ってしまうかも。
nagayama さんのお言葉
デイリー・コーディング・チャレンジのお題を「つぶやき Processing」で表現されていた nagayama(@nagayama)さん。
まず、スライドのタイトルが最高!→「私は如何にして心配するのを止めてデイリーコーディングを愛するようになったか」
これですね!
『これやってどんな意味があるの?という声が聞こえてくる』
これは私にとって散々他人から言われてきた呪いの言葉で、その呪いにかかり一時期好きなものから離れてしまったこともあります。
好きなものは大事にしないと「好きという気持ち」自体が消えてしまいます。他人のためでなく、社会の発展のためでも人類の未来のためでもなく、ただ自分の「好き」のためにやっています。他に特別な意味などありませんし、必要ありません。
これに関しては、私はもう悟りを開いたのです。 🧘♀️
ねじおさん さんのお言葉
Processing 歴1年でこんな作品を作ってしまう! 驚異の ねじおさん(@akane45_gun)さん。
『たまに自分の想像を超えたものが出来たりするところが好き』
私もそういうところが好きです。こんなコードの結果はどうなるんだろう?というアプローチのしかたもきっとこれが好きだから。
「自分で作っておきながら、その結果に自分がビックリするもの」これが作れたときは本当にワクワクします。
さらに面白くしようといろいろ弄ってるうちに全然面白くなくなることもしばしばですが、これは私に足りないところがまだまだ沢山あるからだと思います。
何度見ても面白い、何度実行しても驚かされる、そんなものを作れるよう精進します!
堀川淳一郎 さんのお言葉
発表スライドの背景が、ページごとにデイリー・コーディング・チャレンジで作った作品になっていて、スライドそのものが作品になってるみたい! 堀川淳一郎(@jhorikawa_err)さん。
『その辺り勉強できたらいいなと思いつつ始めました』
参加のモチベーション、チャレンジの目的をしっかりと考え、実施の後には振り返りを行う。こういうきっちりした姿勢で物事に望めば得られるものも大きいだろうし、きっと充実感も違うだろうな。
でも、果たして私はこれを楽しんでやり切ることができるだろうか…?
始めたはいいけど結局続かずに挫折して、充実感どころか失望感を味わうことになりはしないか?その怖さが挑戦を躊躇わせるし、きっとそうなるに違いないという予感のような思い込みのような、あるいは挑戦しないための言い訳のようなものを感じる…。
ま、眩しい!あなた眩しすぎるんです堀川さんっ!
wks(わかさ) さんのお言葉
この不思議なガラスの器のような作品がお気に入りという wks(わかさ)(@wks_jp)さん。
私もこれ好き!
あと、この迷子からの街への展開も予想外で面白かったです。
『自分らしい表現を追求したい』
これも今まであまり考えたことなかった。
自分が好きでよく作るもの、よく使う表現とかが自分らしさを形作るのかな?あるいは漠然としたセンス?例えば使っている色自体は見て真似できるかもしれないけど、その色の組み合わせをそう配置するか!みたいなセンスまで真似するのは難しい。そういうところが自分らしさになるのかな?
どうなれば自分らしい表現だと自分で思えて、他人からはあの人らしい表現と認識されるのだろう?難しいな…。
私は作ってるうちに大体何でもキモくなっていっちゃうんだけど、これは私らしいと言えるのかな?
私らしいかしら?💁♀️
おかず さんのお言葉
多作も多作、その上クオリティもスゴイ!
note で「まず100作るGenerative Art」というのをされてましたが、100個作った後も全然止まらない。 クリエイティブ・コーディング界の暴走機関車🚂💨と呼ばれている(私だけから)、おかず(@okazz_)さん。
『クンフー:全部は楽しむために、自分に課題を課す鍛錬』
こ、これも眩しいっ!
面白いことを実現するにはある程度の勉強は必要、新しいことにも挑戦していかないと段々と飽きてきちゃう。でも、勉強や新しいことへの挑戦って、それ自体必ずしも楽しいとは限らないし、始めるのも億劫…。
…ってことは、勉強や挑戦に必ず「楽しさ」が伴えばいいんじゃない? 始めるのが億劫なら日々の活動に組み込んで、常に勉強や挑戦をしてる状態(習慣)にしちゃえばいいじゃない。そしたら始めるの一回で済むよね?(←天才!)
勉強や挑戦と楽しさとのバランスを意識して、鍛錬の中にいかに自分なりの楽しさを見いだせるか。そこをモノにできれば私も暴走機関車になれる気がする!
ohayota さんのお言葉
大学でクリエイティブ・コーディングのサークル ARTiS を設立して活動されている ohayota(@ohayoooota)さん
『モチベーションを回復させるための何かが必要』
作品作りだけじゃなく、生活、いや人生全般に言えることですね。好きなことについてはいいとして、好きでもないけどやらなきゃいけないことへのモチベーションが…。
「やるべきこと」をやるとき、私の場合「やらなかったらどんなことになるか?を考えて、それを回避するため」という負の力をモチベーションにすることが多いです。怒られたくないから(仕方なく)やる、恥をかきたくないから(嫌々ながら)やる、迷惑かけたくないから(渋々)やる… なんとつまらぬ鬱屈たる人生か!
…いいの。人生なんてそんなものなの。
こうやって生きているのも死にたくないから生きてるだけのことよ。🤷♀️
Processing Community Japan にいらっしゃい
さて、そんな人生に疲れた deconbatch の心を癒やす Processing Community Japan の Discord サーバ、あなたも参加してみませんか?
自己紹介のチャネルをのぞいてみていただければ沢山の方が参加され、熱烈歓迎されているのがお分かりいただけると思います。
ぜひ一度寄ってらっしゃい!🙂👍
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