見出し画像

忘れていた世界から届いたもの

小学1年生の頃、キラキラ光るものが大好きだった。誰でも同じような年代だった女子はティアラとかアクセサリーにはまったことがあるだろう。当然私もその一人だった。

ある日、道にキラキラと光る石が落ちていた。すごくきれいだなぁと思った私はそれを拾い、スカートのポケットに入れた。

当時の私には宝石のように見えた。
「宝石がこんな道端にたくさん落ちている」
と幸せな気持ちで拾ったんだ。

次の日、母親がびっくりするほど大きい声で
「どこで拾ってきたの!」
と洗濯前のスカートを持ったままリビングに入ってきた。

「学校の帰り道だよ。きれいでしょ、たくさん落ちてたから拾ってきたの」
といい終わる前に母親が
「これはガラスの破片だから危ないのよ!指を怪我しちゃうよ」
と言われてはじめてそのキラキラの正体を知った。

車の事故でよく散らばっている粉々のガラスの破片。

砕けたガラスの形は小さいものや四角いもの、薄いものと様々あって、ひとつひとつ太陽の光をあてながら、それぞれ違う七色の光を放っていたのだ。その光が宝石のように見えたのだ。

なぜ、この思い出話を書いたかというと
今でも私は壊れたものの哀愁に心惹かれる。
それはなぜか考えていたら、要因がここにあるのではないかと思ったからだ。

使えなくなっても、そのモノが何か別の特別な物語を語りかけてくる気がするのだ。
トイ・ストーリーのおもちゃたちが生きているように、何だか別次元で新しい命が吹き込まれているような気になるのだ。妄想癖なのか?

半年ほど前、
写真展「変わる廃墟展」に訪れた

https://tgs.jp.net/event/haikyo/


廃墟が美しく撮影されている。
その時の歴史の情景や時間の流れ、また現代の造形が合わさり
なんとも言えない物語の一片を切り取っている。


廃墟というと学校を思い出し、怖いイメージがあったが、これは違う。廃墟という捨てられたものではなく、新しいアートだ。

子供たちが騒がしく学んでいた片鱗を残す学校、 もう誰も来ることのない寂しさを湛えた遊園地、 客が離れ荒れ果てたホテル、かつては多くの従業員が汗まみれになって動かしていた 大きな錆び付いた機械や堅牢な構造がむき出しになった工場などの作品が並ぶ。



”かつてのきらびやかさと朽ち果てた儚さが
隣り合わせにある。”

この展示会の他にもう1つ気になっているのが
世界遺産となっている長崎の「軍艦島」だ。

炭鉱が栄えた時代とともに島の大半が埋め立てて作られた島だ。
島には炭鉱で働く家族のための住まいや娯楽施設、映画館、病院、学校、生活必需品が揃うお店などがひしめく、大都市と化していたようだ。
最盛期の1960年には約5,300人が住んでいたと言われている。当時の東京都23区の9倍にも及ぶ人口密度で、当時世界一高い人口密度だったと言われている。

しかし、主要エネルギーが石炭から石油に移行したことにより閉山。それから40年以上がたった今では人が誰もいない街だけが島の上に残されている。

いつの間にかなくなってしまったものが、まだその場所に残っている気がする。
人の活気や子供たちの笑い声、行き交う人の足音。

人が創った建物に人がいなくなってしまう矛盾を抱えながら自分の過去を振り返る。
そう言えば、あの時のあれどうしたっけ?と。

、、、

「いつの間に忘れてしまったもの」は自分が今まで生きてきた中でもたくさんある。

お気に入りだった赤いフリルスカート。
大好きだったぬいぐるみ。
友達と交換していた交換日記。
その時はまって、毎日食べていたナタデココへの熱い気持ち。
過去の感情もそうだ。
元彼とケンカした憤り、
受験勉強の毎日の苦しみ、
仕事で失敗した辛い感情は

今になれば「なくなってしまった懐かしいもの」。今だから笑って言えるようになったのは
その時の感情がいつの間にかなくなってしまったから。

廃墟にはいつかの思い出や感情が残されている気がする。時代を超えても、その当時の人の息づかいが残されているから、自分がいつかなくしてしまったものまでもそこで見つけられそうな気がする。

残された壊れたおもちゃを見つけたら、幼い頃よく遊んでいた大好きなおもちゃを思い出す。
壊れたピアノから、学生時代好きだった歌を思い出すように

廃墟は
「自分がいつかなくしてしまったものを
           新しく見つけられる場所」

そんな世界だから心を惹かれるのだろう。
いつかの自分に会いたくて。

軍艦島ツアーがあるので是非参加し、過去の街中を妄想とともに歩きたい。

街中を歩く時、キラキラ光る石が見つかるかも知れない。
そうしたら、そっと、ポケットに入れよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?