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強迫症だった

私は強迫症だった。

気づいたのは7月半ばだった。自分が「完璧主義」だと思っていたものが、少しマイナーなタイプではあるが立派な強迫症状だと、ひょんなことから知った。

最初のきっかけは、カウンセラーに母のホーディング(ためこみ)や心気妄想のことを話したら、「それは実質的に強迫症そのものだと思う」と言われたことだった。このカウンセラーにかかるようになったのは、彼がEMDRなどのトラウマ治療ができるからだったが、話す中で強迫症が専門だとわかった。

自分の生きるうえでの強い焦りや不安について話すうち、「そういうことはASDの人はあまり言わない、どちらかというと強迫症の香りがする」などと言われるようになって、自分の強迫傾向についてのうっすらとした気づきがたまっていった。

ふと彼のブログを読んでみて、天を仰ぐような気持ちになった。なんだ、私は立派な強迫症じゃないか…… その日のうちに、彼の運営する強迫症の当事者グループに入会した。いつかの私のような人、いまの私の一部分に似た面を持っている人がわんさといた。

やっと出会えた、と思った。

私はそれほど頻繁に投稿するわけではない。でも、仲間のやりとりを見ているだけで自分の中の何かが成仏していくのだ。私たちにはたしかにいかれたところがあるが、自分たちの中ではこのいかれた部分は、わけのわからない世の中をどうにかして生き抜いていくためのごく自然な論理的帰結でしかなかったりする。そして私たちは、少なくとも孤独ではない、こうした仲間がいると知った以上は。

この処しがたい世界で、このように頭のおかしい者は自分だけなのだ、私はたったひとりだ、と感じるのはつらいことだ。けれど当事者会の中にあって、私たちはこの点においては救われてしまう。

母が今のように症状を悪化させ、家庭を崩壊させてしまい、老いてしまう前に、このようなつながりに出会っていたらどんなによかっただろう。母はどれだけ孤独だったろう。そう思うと泣きそうになる。私は母のかなわなかったぶんも、ぞんぶんにつながりを享受し、癒やされ、変わっていこう、と決意する。

そうしたら、いままで書いていたような発信ができなくなってしまった。私の、山のような量、風のような速度の発信を支えていたものの半分以上は、このいかれた強迫観念のエネルギーだったからだ。

今日、すぐに、いま、この瞬間に、私は誰よりも充実した記事を世の中に提供しなければならない、それを毎日積み重ねて、私はほかの誰かよりもずっと早く、誰よりも早く、「まともな人」にならなければいけない。そうでなければ死んでしまうような気がする…… そういったエネルギー。

一度、これが到底自分には越えられない…… いや、人間にはそうそう越えることができないし、越える必要もないハードルだったことに気づいてしまったら、鼻白んだ気分になってしまった。自分の心身の健康を犠牲にしてまで、現実離れした観念に従っていた私はほんとうに馬鹿らしかった。

それで、Twitterもnoteもぜんぜんやらなくなってしまった。毎日自分に課していた勉強もやらなくなった。その代わり毎日マインドフルネス瞑想をしている。

瞑想をしていると、どんどん自分のことがわかってくる。自分が何を恐れているのか、何に疲れているのかわかる。いてもたってもいられないような不安や焦りは、落ち着いて眺めているうちにさざ波のように引いていくことがわかる。期待や嬉しさで身が震えるようなときには、たいていその裏に失敗や不完全への不安が隠れていることにも気づく。ものごとには、半月とか半年とかのレベルで「様子をみる」「待つ」「なんとか乗り切る」以外に対処のしようのないものがあることも知る。

いつも近所のイオンに買い物に行くときさえフルメイクしていたのをあえてノーメイクで出かけてみたり、階段に落ちていると引き返して別のルートを通るほど怖かったセミをわざわざ靴先でつついてみたり、という小さな練習もしている。

それで、断然生きやすくなった。

不思議な感じだ。しびれるような幸福感に浸されるわけでも、感動に涙するわけでもない。かといって落ち込むわけでもない。ちょっとイライラしたり気分がふさいだり嬉しくてにやけたりといった感情の波はあいかわらずある。けれど、その波に呑まれてしまうことが減った。世の中は可もなく不可もなし、人生万事ぼちぼちなり、そういった感じだ。

こんな心境は人生上初めてなので、これでいいのか少し不安だ。でも、何かだめだったときはそのときに軌道修正すればよいのだろう。

精神的に健康であるというのはもっとキラキラしたものだと思っていたのだが、どうもそうでもないらしく、多少残念だ。だけど、私は無事に実家を出られた時点でもう人生のボーナスステージをもらったようなものなのだから、これから先の人生、ずっと曖昧にだるいバカンスを過ごすでもいいのかもしれない。

エイジズムに与したいわけではないのだが、私は今年40歳になった。40歳といえば、昔なら孫ができるぐらいの歳。原始時代であれば死んでいるぐらいの頃だ。

世の中はすごいスピードで変化している。みんな見た目や生活環境や娯楽だけはよくなって、どんどん歳より若くなっているように見える。けれど、生きて過ごしてきた時間の長さが原始時代よりも実際に短くなるわけではない。40歳なら40年生きたなりの、ホモ・サピエンスとしての皺みたいなものが魂にも刻まれているはずだ。もう、自分探しやら自分の成長やらにあくせくし、時代にキャッチアップしていこうと汲々とすることはぼちぼち諦めて、半分隠居するぐらいのつもりで生きてもいいのかもしれない。

そんなつもりでやっていくのじゃ。

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