元気なチベット仏教徒

心が上向きになる模範的なチベット仏教の勉強の仕方を私的見解で述べます。心の健康優良児は、そのまま直進あるのみ!

チベット仏教修行に適した方。
まず、心が病んでいないことが基本的な条件です。そして自己肯定感が強いこと。清く正しい、強い心を持っている方にチベット仏教はとても適しています。
チベット民族の精神的特質が、チベット仏教の保持・発展に関わっていると感じます。

僧院生活に関して。
新入りは先ず、「お部屋の先生」から基本的な生活習慣を学びます。その上には「寮の先生」、更には風紀委員に当たる方がいて、社会生活を営む上で、特に集団生活の中でよりよく生きるための考え方も自然に学びます。互いの信頼関係も培われ、個人が全体の中で、いかに生き、働くかを学びます。そんな中でも、一人一人が持っている個性は消えません。似ているけど、自分がしっかりしている。そんな感じです。

例えば。5~6歳から小僧さんになる子供もいます。僧団の中では新入りです。
寮にもよりますが、大体小学生くらいの小僧さんたちが、自分の属するグループの昼ご飯・晩御飯を、バケツややかんを持ってキッチンにもらいに行っています。
食べ終わったら順番に食器洗い当番をやって、外の手すりの台にきれいに並べて乾かします。
南インドの僧院で、7歳くらいの小坊主さんが(流しに手が届かないので踏み台に登って食器洗いの当番をやっていました。流しに食べかすが詰まって、水が溜まっていたので筆者が取り除こうとした時、小坊主さんは「いいからいいから。僕がやるから。」と言って仕事を全うしました。
おお・・・!
結構衝撃を受けた筆者でした。

勉強へ対する姿勢。
お経についての勉強が始まると(小僧さんは最初に暗記から始まりますが、これは意味が分からなくても音で暗記する)、学んだことは少しずつでも心に落とし込んで、怒らないようにするとか、欲張らないようにするとか、自分なりに考える。そして、その結果を自分で「できたじゃん」「よくやった!」と評価する。自己肯定感増強。
勉強してることの意味が分からなかったら、『これは将来仏様になるための有り難い修行の道について学んでいるんだから、絶対福徳を積んでる。』『真面目にやってれば何時か分かる』『勉強自体が修行だ』とポジティブに考える。
これ、すごく大事です。
実際、勉強してる内容を深く理解してれば最高ですが、よく分からなくっても内容自体が福徳(究極は他利)なので、自然に幸せになってきます。
勉強がストレスにならなければ・・・

余談ですが、学校のカリキュラムのように初めて授業で勉強している時には、言葉の意味を知るくらいで、本当に深いところまで考え抜く時間は取れません。
本当に良い、精神的な経験のある先生方は、全課程履修後に、更に研鑽を極めます。テキストを読み、考え、確信を得て、教え、経験を積み、内省の実践をして、深い深い御人柄の素晴らしい先生になっていかれるのです。

上記の先生方のように、科目の履修が終われば、更に研鑽を積まれる方、先生をして身を立てられる方、瞑想修行を主になさる方などと、自分自身でその後の人生を選択します。
僧院で生活されているお坊さま方は、望めば一生僧院に留まれるので、わざわざお金を稼ぎに外へ出て行く必要もありません。
僧院での法要に真面目に参加し、感謝し、祈る。
質素で、無理せず、各々の修行をなさる生活です。
素晴らしい・・・随喜随喜です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?