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多摩地区の良心。フランスベッドが主宰する「家具の博物館」に行ってみた。

レトロなインテリアになった元祖便利グッズ・ライティングビューロー(戸棚兼書机)


ライティングビューローというのは、ふだんは戸棚だが、前面部の板を手前に引き倒すと文机になる家具である。今でも見かけるし、アンティークを売り物にするカフェなどに置いてあるとサマになる。

1960年代の後半に、わたしははじめてこのライティングビューローを、友人の家で見た。まだ、小学校低学年の頃だ。同級生のお姉さんが使っているその大人びた家具に、こどもなりの羨望の眼差しを向けたのを覚えている。

とにかく、ライティングビューローは、洋家具の匂いをプンプンさせていた。ミカン箱はともかく、親から買い与えられたスチール製の学習机に、ペタペタとシールを貼ることしか芸のなかったわたしの脳裏に、このライティングビューローの神々しくファンタジーな映像は、しかと焼き付けられたのであった。

写真のライティングビューローは、大正期のものだ。スマートさを感じさせる脚部はない。これは、洋家具の本来のスタイルから脚を取り除き、日本人の「床座生活」に合うように和風化したものである。扉や抽斗(ひきだし)には、大正時代に流行した台形の引手家具が取り付けられている。材料は、栓(ハリギリ)、杉である。

椅子が家庭生活の道具としてまだじゅうぶんに普及していなかった大正時代、純粋な和家具でも、また西欧の文化を取り入れようとした洋家具でもない、このような家具が、中流階級の新しい生活環境に適した「実用的な家具」として作られ、人気を博した。

ネットなどを検索すると、現代では、このようなライティングビューローは、実際にここまで古いものではなくても、レトロ調のインテリアとして重宝されているように見える。高級洋家具として位置づけられ、「ちょっとした小物」を収容し「ちょっとした書き物」をする道具として、瀟洒なリビングルームに鎮座している。

思うに、わたしがライティングビューローをはじめて見た60年代ごろの感じでは、この家具の「意味合い」は少しが違っていたように感じる。見た目や格好の良さも意味としてはあったが、当時の狭い日本家屋の部屋で、(テーブル部が収納式なので)かさばらず、収納力も大きく、小物の整理保管や手作業、勉強など、さまざまな使い方ができる、一種の「便利グッズ」としての役割が大きかったのだと思う。

大正7年発行の白木屋呉服店(現、東急百貨店)発行のカタログに掲載されているいくつかのライティングビューローには、「整理箪笥」「実用新案帳場用机」などの表記が見られる。手紙、帳面、筆記具などのほか、身の回り小物を整理収納する女性用の小箪笥として販売されていたようだ。そういえば、60年代当時、わたしが見たライティングビューローも、友人の年長のお姉さん(高校生)の女性らしい小物が飾られ、さらに魅力的な絵柄として写っていた。

洋家具から和家具への変遷の歴史は興味深い。椅子、箪笥、ベッド、暖房器具など、その数々が展示されている場所が東京の多摩地域にある。フランスベッド東京工場敷地内にある「家具の博物館」である。「家具の伝承—継承—創造」をテーマに、国内外の貴重な家具が収められている。館内に展示されているたくさんの家具から、古くてたのしい物語の数々が語りかけられてくるようだ。

〜2017年5月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂

【家具の博物館】フランスベッド株式会社の創業者である池田実氏の発起により昭和47年に開設された。衣装箪笥、船箪笥、薬箪笥など、箪笥のコレクションは美しく新鮮だ。東京都昭島市中神町1148

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