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(第13回) ポニョの海・鞆の浦


 知り合いの飛行機乗りによると、そこに何もないように感じられる大気にもしっかりとした「質感」が存在するらしい。だから、それに乗っていくとそうそう飛行機は落ちることはないのだという。

 実体として存在する「モノ」を数値ではなく五感で感じる、それを表した言葉が「質感」だろう。同じことは水に対しても言える。水の物質的な抵抗は比較的少ないけれど、やはりそこにもちゃんとした「質感」はあるし、私たちにいろんな表情を見せる。

 宮﨑駿監督の名作アニメ『崖の上のポニョ』を見た時、ふと、そんなことを思った。小高い崖の上にある、主人公コウスケの家の窓のすぐ下まで水が迫る。ただ画面を眺めているだけなのに、そこに水の重さや冷たさや気持ちの良さまでがまるで触れたかのように感じられる。小さい頃、水遊びをしながら空想した想像上の世界。なんだかそんなものに出会えたようで、妙に感動してしまったのである。

 「鞆の浦」(とものうら)は、『崖の上のポニョ』の舞台(景観のモデルとした地区)として知られている。広島県福山市鞆町に位置するこの街は、万葉集にも歌われた、小さくてかわいらしい景勝地だ。

 穏やかな瀬戸内の海に沿うようにして道が優雅に伸びている。内海の所々には小島が点在し、その海のたゆたう質感に緑の彩りを添えている。

 このあたりは江戸時代、朝鮮通信使の航行に使われた航路で、入江の手前には朝鮮通信使をもてなした福禅寺(対潮楼)が現存し、その室内から眺めるまるで絵画のような景色に、古代への思いを馳せることができる。また、古い港の中心部には、趣のある常夜灯や町屋などがあり、訪れた人を心地よくもてなす、需要な観光資源となっている。

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鞆の浦は天然の良港で「潮待ちの港」として栄えた。常夜灯は安政六年(1859)の建造である。

 鞆の浦は、地区の特殊性ゆえ、近代化の設備は遅れた。道路幅は狭く交通は不便で、街の経済機能を損ねているという昔からの課題が残った。

 1975年、国では、文化財保護法改正で重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の制度が設けられた。それにともない、国と県の補助を受けた市教委が「鞆の浦」の調査を開始した。

県は83年に港沖を埋め立てて、架橋する計画を策定。だが、これに対し住民グループが景観保護の観点から反発、2007年、県と市の埋め立て免許交付の差し止めを求めて、広島地裁に提訴した。

一審は、風景を「国民の財産」と述べ、住民側勝訴の判決を言い渡した。その後就任した湯崎英彦知事が港沖埋め立ての計画撤回を表明、広島高裁で昨年(2016年)、住民側の訴え、県側の免許申請が同時に取り下げられ、訴訟が終結した。

 「観光資源の保存」と「街の健全な機能の確保」という大きな矛盾を巡った苦悩である。近年は、交通対策として、自動車がすれ違える場所の確保や町中への流入を減らすための駐車場の整備などが始まっているが、抜本的な対策には至っていない。今年(2017年)10月、文化審議会から重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)への選定が答申された。今後、町並み保存の動きが本格化しそうである。

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中心部交通の不便さに、かつてこの港の沖合に大きな道路を通す計画があった。

 地方創生プロジェクト「鞆の浦まちづくりプロジェクト」は、現在、鞆の浦を「日本でもっとも癒される港町」と謳っている。もちろん、その宣伝文句に客観性はない。だが、この街の持つさまざまな「質感」がこの街に多くの物語をもたらしているのは確かなようだ。

 水の質感、石の質感、土の質感、潮の匂いが薫る空気の手触り。水辺の石塀に乗っかってのんびりと海を眺めた私には、旅を終えかなりの時間が経ったいまでも、そんな感触に満ちている。

 たとえば、映画『ポニョ』の話。ある情報が五感を刺激し、実際の風景を目の前にした旅が心地よい思い出に変わるのであれば、それはある意味正しい観光だ。

 観光とは心の光を観ること。触れられないものに触れること。その場所の目に見えない質感を感じられるような、そんな旅をしたいといつも思っている。 

〜2018年1月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂

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福禅寺の対潮楼(客殿)は、江戸時代を通じて朝鮮通信使の迎賓館として使用された。

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