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(第21回) 白い京都に雨が降る

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 ひさしぶりに京都・大原の「三千院」を訪れた。別に恋に破れたわけではないが、「京都・大原・三千院」という例の歌によって脳裏に焼き付いているこのお寺、何回か訪れているが、正直毎回印象に残らず、何がそうさせているのかと、いぶかしながら、半世紀を超えた人生で3度目の訪問とあいなった。


 もちろん、この場所にふさわしい歌は、(デューク・エイセスや渚ゆう子が)「恋に破れた女がひとり」と歌う『女ひとり』(永六輔作詞、いずみたく作曲)である。どうやら探せば、近隣に歌碑もあるらしい。

 俳優でエッセイの大家でもあった小沢昭一御大は、「日本の有名な旅人は、西行、芭蕉、永六輔だ」との言葉を残しているらしいが、これまた彼らはご当地ソング(歌)の三大大家。彼らの残した歌によってそれぞれの場所を、この場合、永さんの歌によって三千院を訪ねた人は数しれず、私もそのひとりなのであった。


 今回の訪問で、脳内にこの歌はさんざん鳴り響いた。だが、それよりもさらに流れたのは(あるいは実際にスマホで流した)、同じ渚ゆう子が歌う『京都の恋』であった。


 『京都の恋』は、あのベンチャーズが日本で発売した曲(1970年)である。オリジナルはいまでもYou Tubeなどで気軽に聴ける。そのインストゥルメンタルの楽曲に、林春生が詞をつけ、渚ゆう子がカバーした。『女ひとり』とは対象的に、軽快なメロディーが印象に残るポップな名曲となった。


 この歌のなかに、「白い京都に雨が降る」というフレーズがある。「白い」と来たら「雪」となるのが流れだが、雨天決行、「白い京都」と描いてみせた。


 じゃあ、「白い京都」って、いったいなんだ。作詞家の技量もさることながら、いったいどんな感性と交じり合えば、聞く方の私たちも、同じような「白い京都」に出会えるのかと、俄然、興味を持った。


 三千院は高名で堂々とした寺だ。観光客も多く、失恋したとはいえ、たったひとりの静かな環境で、寺の風情を味わうのはなかなか難しい。いや、そういう大勢の人に囲まれる環境だからこそ、(恋に破れた)自分が「ひとり」であることが実感できるのかもしれない。


 三千院前のちょっとした参道は「大原女の小径」と名付けられている。そうまで言われると、勢いは凪ぐ。あいにくの小雨のなか、今回は、いままで行ったことのない近隣のお寺に足を運んだ。「額縁絵画」で有名な宝泉院である。


 訪問客は少なかった。しばし庭園を眺めた後、手持ちのカメラで撮影をする。雨模様で薄暗い室内と弱いながらも陽の光が充満する庭園内。そのコントラストを嫌い、絞りをオーバー気味に設定する。ふと、ある感覚が湧いた。


 その昔の一種の「はやり」だと思って聞いていただきたい。

 雑誌のエディターをやっていた頃、撮影をする時に、男性誌の場合は絞りをアンダー気味、少し重暗い感じに仕上げると、意味ありげの物語(ニュアンス)が出ると習った。その反対で、女性誌の場合は、籠でもハムエッグでもニャンコでも、全部オーバー気味、いわゆる「飛ばし」気味に撮ると、事象の意味合いがいい感じに「ボヤけ」おしゃれな気分が出ると、(なんとなく)学んだ。


 私のなかでは、「白い京都」とは、この「飛ばし気味」の絵だ。失恋、失職、失敬、失策。そんな細々としたストレスはぶっ飛ばして収める。ある女子の感じた「京都の恋」という物語を、宝泉院の畳に腰を降ろし、ファインダーを覗きながら、私はそのように感じた。


 異論は認める。感性に男も女もない。そんな時代だ。年齢のせいか、やや白ボケし始めた視界と闘いながら訪れた今回の旅、『京都の恋』がいい感じのアクセントとなっていた。

〜2021年7月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂
 

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三千院前の「小径」を抜け、宝泉寺へと進む。

IMGP3260のコピー

額縁庭園と称される宝泉寺の庭

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