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心臓移植にAOR。巨匠の「こぼれ出る」作品に出会う

 ようこそ、もんどり堂へ。いい本、変本、貴重な本。本にもいろいろあるが、興味深い本は、どんなに時代を経ても、まるでもんどりうつように私たちの目の前に現れる。


 『小説心臓移植』(渡辺淳一著、文藝春秋刊、入手価格315円)

 先日、作家の渡辺淳一さんがなくなった(2014年)。訃報には代表作として『失楽園』や『愛の流刑地』などが掲げられ、「恋愛の巨匠」の扱いを受けていた。今回出会ったのは、渡辺さんの初期の作品である(昭和44=1969年発行)。


 1968(昭和43)年8月8日未明、札幌医科大学付属病院で、和田寿郎胸部外科教授ら20人の移植チームによって、日本初の心臓移植手術が行われた。移植手術を受けたのは18歳の宮崎さんという患者で、手術から83日目の同年10月29日、急性呼吸不全により死亡した。わたしがまだ5歳の時の出来事である。


 ある人が死に、その心臓が別の人に移し替えられる。わたしは恐れおののいた。「生きてるって、何だろう」 「何で心臓は取り替えることができるの?」  「あ、僕は息をしている。これをやめたらどうなるんだろう」。ハア、ハア、ハア、ハア……。 呼吸という行為は意識しないからこそスムーズにいく。わたしは半ばパニックに陥りながら、布団を頭からすっぽりと被った。 


 「和田心臓移植」は、また同時に数々の疑惑にも塗れた。臓器提供患者は本当に死んでいたのか。移植された患者は本当に移植の必要な患者だったのか。このミステリーを追ったいくつかの本が出た。『神々の沈黙~心臓移植を追って』(吉村昭著、文春文庫)、『白い宴』(渡辺淳一著、角川文庫)(二冊とも絶版)、『凍れる心臓』(共同通信社社会部移植取材班編著、共同通信社) などである。わたしが出会った本書は、この『白い宴』の題名改定前の初版本である。


 渡辺淳一さんは元医師である。札幌医科大学に勤務し、本書による告発の形で同病院を去った。大作家は一瞬で生まれるわけではなく、長年の蓄積が「天賦の才」を本物にする。たしかにその作家と同世代人なら長年の業績を俯瞰で味わうことができる。だが、それ以外の人にとっては、最新作や復習として読む代表作がその作家の顔となる。だが、いい本はもんどり打って戻ってくる。こんな有名作家の一過的な名作に出会えるのも、古書探索の楽しみである。


 今回、もうひとつ入手した、田中康夫(元長野県知事)著の『たまらなくアーベイン』(中央公論社、昭和59=1984年発行)は、AORの名盤をエッセイとともに紡いだ、わたしの青春の名著だ。いまやすっかり政治家となった田中康夫さんだが、彼の人生もまだまだおもしろくもんどりを打っていくに違いない。

                     (2014年 夕刊フジ紙上に掲載)

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