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(第10回) 象徴としてのフリーウエイ

 ユーミン(松任谷由実)の歌を扱うのはこの稿において二回目なので迷った。だが最近、ある本のことを思い出し、やはり触れておきたいと思うようになった。1985年に発行された、笠井潔のエッセイ集『象徴としてのフリーウエイ』(新時代社刊)である。笠井氏は反ポストモダン的思想家・評論家で、学生時代、彼の著作にかぶれていたわたしは、オンタイムでそれを読んだ。

 ユーミンの作品、『ひこうき雲』『ベルベット・イースター』『やさしさに包まれたなら』『COBALT HOUR』などとともに、ある種の「深読み」素材として、その歌詞を取り上げられているのが、『中央フリーウエイ』である。

 都市と郊外。地上と天空、過去と未来、大人と子供。生と死。そんな二項対立をつなぐ「象徴」を、笠井氏は、ある情景のなかで偶然描き出された中央高速道路に求めた。それが「象徴としてのフリーウエイ」である。

 ひさしぶりにこの原稿を読み返した。その存在や感性があまりにも80年代的で、懐かしさとともに、心の奥底にしまってあった「過去の憧憬」に気付かされ、身震いする思いがした。

 「右に見える競馬場 左はビール工場」。あまりにも有名なフレーズである。

 楽曲は「半具体的」に中央高速の情景を描き出し、「この道はまるで滑走路、夜空に続く」と、聞き手の心を(夜空の向こうに)持っていく。

 この光景に惹かれて、何度も中央フリーウエイを走った。夜空に続くと思ったかどうかは覚えていないけれど、キョロキョロと競馬場とビール工場の夜景を確認し、こんな時間が永遠に続けばいいのになと、助手席の気配を感じながら、フロントガラス越しの「行く末」を見つめた。

 今回は無粋にも、中央フリーウエイの「下界」、例のビール工場を訪ねてみた。この「サントリー武蔵野ビール工場」は、南武線の分倍河原が最寄り駅となる、人気の「観光スポット」である。インターネットで見学予約をし、駅から送迎のバスに乗った。もちろん、昼間なので「ユーミン的夜景世界」は味わえない。だが、工場のロビーに降り立つと、本人直筆のサインが出迎えてくれた。

 もともと、このあたりにビール工場があるというのは、都市部に比較的近い、広大な工場用地を確保できる「田舎」であるということが理由になっている。それがどこまで実体験なのかはわからないけれど、都会でデートをしたユーミンが、当時住んでいた八王子まで、郊外の「上空」を経由し、帰っていく、その過程を歌ったものだと思われるし、そんな80年代的雰囲気が消え去ったいまではあるが、そういった意味でも、この(中間地点としての)ビール工場をきちんと味わってみるのもなんだか新鮮な気持ちがした。

 工場見学は楽しかった。大企業というのはすごい。過分な施設と人員を配置し、来場者を引率・啓蒙し、最後にはできたてのビールまで提供する。しかも全部無料だ。色気のない感想に終始するが、ほろ酔い気分になり、すっかりリラックスした帰りのバスの車内の雰囲気に浸されると、これはこれで「企業の社会的責任」を果たしているのかな、なんて軽率にも思ってしまう。

 下界の喧騒やいざこざや大人の事情や損得勘定の頭上に「中央フリーウエイ」は存在する。『象徴としてのフリーウエイ』から30数年。強固なフリーウエイは変わらない日常の象徴でもある。提供されたプレミアムモルツでふんわりとした気分になりながら、そっと例の曲を口ずさんだ。

〜2019年1月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


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【サントリー天然水のビール工場 東京・武蔵野ブルワリー】
https://www.suntory.co.jp/factory/musashino/


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