見出し画像

日本にあった合法麻薬、ヒロポン⑧

どうもアコニチンです。

日本にあった合法麻薬、ヒロポンについてまとめてみました。

強い中枢興奮作用および精神依存性、薬剤耐性がある。日本では商品名ヒロポンで販売されているが、現在は「限定的な医療・研究用途での使用」のみに厳しく制限されている。ヒロポン (Philopon) とは、大日本製薬(現・大日本住友製薬)によるメタンフェタミンの商品名。同社の登録商標の第364236号の1である。成分名は塩酸メタンフェタミン。剤型はアンプルおよび錠剤である。ヒロポンの名は、ギリシア語の Φιλόπονος(ピロポノス/労働を愛する)を由来としている。

Wikipediaによると、ヒロポンはメタンフェタミンという麻薬の商品名のようですね。大日本製薬ではヒロポンといわれていますが、他の製薬会社では別の名前でメタンフェタミンを売っていました。これはあくまで戦時中の話で、現在では「限定的な医療・研究用とでの使用」に限られています。

ヒロポンの名前の由来は、「疲労がポンと消え去る」からではなくギリシャ語からきています。私は調べるまでは、疲労がポンのヒロポンだと思っていました。これは驚きです。労働を愛する、とはなかなか嫌なネーミングですね・・・。余暇を愛していきましょう(笑)


覚醒剤と覚醒剤中毒の代名詞が昭和18年から25年にかけて大日本製薬が発売したヒロポンでした。
我国薬学の祖として有名な長井長義はドイツ留学の後、明治16年(1883年)の政府出資官製会社の大日本製薬の設立に技師長(のち東大教授)として参画、その後明治18年(1885年)には麻黄よりエフェドリンを単離し世界で初めてエフェドリンと命名し、その後誘導体のアンフェタミン類までも抽出合成に成功しました。この喘息治療薬のエフェドリンの合成過程から誘導されるアンフェタミン類つまりアンフェタミンとメタンフェタミンのうちメチル基の付いているメタンフェタミンの方が薬理作用が強くこれがヒロポンで、メタンフェタミンは明治26年(1893年)に長井長義により合成されております。

ヒロポンが販売されていたのは、昭和18年から25年にかけて、つまり1943~1950だそうです。昭和22年になってから覚せい剤(メタンフェタミンなど)のリスクが問題になり始めたそうです。長井長義さんが喘息の薬、エフェドリンとメタンフェタミンの合成に成功しました。これは世界初のメタンフェタミン合成でした。

しかし、ヒロポンの発売をやめてしばらくたった昭和29年、1954年に「鏡子ちゃん殺人事件」というヒロポン中毒者による小学2年生の女児強姦殺人事件が起こりました。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?