幽かな灯り

 彼女の部屋で彼女を待った。待っている。

 あの娘は、仁科は、昨日、一昨日、その前からいない。私はずっと彼女の部屋にいる。彼女の最後に言った言葉が、頭の中にずっとある。仁科の匂いのついた布団にくるまって、ずっと動かない。外は晴れているけど、部屋の中はシンプルに曇ってる。私は何か今までの私と違うことをしようとした。そしたら仁科が帰ってくるのではないか、何か解決策がとたんに思い付いたり、布団の中から出てきたりするのではないかって。

 仁科は四日前、母親と話していた。そのあと消えた。

 私は仁科の家へ泊まりにきていた。年に数度しか会えない我々にとっては、大きなイベントだった。そのイベントも三年目で、彼女が広島に転勤してから三年目の夏だった。私は広島がすっかり気に入って、ここに住むのもいいかもしれないと思っていた。広島は道が広くて運転が荒い。路地裏にも文化があって、投げやりじゃない。嫌いだったお好み焼きを好きにさせてくれた。空が広くて、ごみ捨てがめんどう。

 彼女は三年目くらいから仕事の関係で演劇に取り組むようになった。私は彼女の演劇を観に来ていた。せまい演劇場だ。仁科は配役の格好をしていて、あまり感じたことのない印象を受けた。すごい昔に、一緒に文化祭を回ったことを思い出した。

「来てくれたかぁ」

 私が挨拶するとと仁科は気恥ずかしそうにいって、奥に引っ込んだ。照明は暗かった。椅子は狭くて、腰痛の私には辛かった。でも、隣にいる私より腰のひん曲がったお婆さんが文句も言わず座っているのを見て、我慢した。

 劇は文句無く素晴らしかった。戦争における詩人の劇だった。たくさんの人が拍手していた。私も立って拍手した。仁科は煌めいて見えた。帰りに、舞台衣裳の彼女と歩いて帰った。思い出せないが夕飯の話をした気がする。気がするだけ。

 その次の日、仁科はいつも通り、いくつか私に対する愚痴を言った。お風呂の温度の低さ、私のだらしなさ、食器の洗いかたが汚い、足が匂う、ごろごろするな、雨がまた降ってるよ、とか。そのあと、私はパスタを作る。いつも失敗してしまう。辛すぎたり、しょっぱすぎたり。仁科は笑って美味しいと言う。私もそう思う。フォークがかちゃかちゃ。仁科が好きな緑茶と一緒に。

 夜、仁科は母親と話していた。電話していた。彼女の母親は少し情緒不安定なところがあった。仁科はそれを受け継いでいて、二人の会話にはいつも緊張感があったが、私から見て良い親子立ったように思えた。もちろん、彼女から親の愚痴をたくさん聞いた。仁科は母親によって、長年おさえつけられた鬱憤があるように感じた。でも、言葉の節々に母親への温かみを感じられた。マグカップのミルクみたいに。

 二人が楽しそうに話すものだから、私は寝転がりながら本を読んでいた。何かは忘れた。幽霊の話だったはず。別にこわい話じゃない。ただ、幽霊がほんとにいるのか誰にも分からないよね、と停電の中で男女が夕食をとりつつ話すだけの小説だ。小さなローソクを灯して、それを囲ってひそひそ話し合うのだ。

 私は仁科が母親と電話し終わって、風呂から出てきて、一緒に寝るまでずっと幽霊について考えていた。パスタでもなく、広島のゴミ出しや、今日の演劇のことではなく、あるかも分からない幽かな炎について想いを巡らせていた。 

「消すね」

 明かりが消えて、夜になって、私は眠った。

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