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シャワーと『夏物語』

小学生のころ、夏にシーツがベタベタするので母親にシーツを洗って!と言ったところ、お風呂に入ってくるよう促されて、お風呂に入るとシーツはサラサラになっていた。

ベタベタだったのは、シーツでなく私だということがわかった。

いま、夜中の3時近くまで川上未映子の『夏物語』を読んでいた。繊細な表現や奥深いストーリーに、心身のエネルギーを消耗してしまった。
もう疲れて物語に集中が出来なくなった。

寝室のランプを消してメガネをとり、寝るぞと思って仰向けにねころぶ。

ああ小説なんて読んでしまった(まだ途中だ)しかも、スッキリする謎解きでもエンタメでもなく、見たくない感じたくない感情が奥にあることを呼び起こさせるようなやつだ。
ストーリーが幽霊のように部屋の角にでもこびりつく感覚のする本を読んでしまって時間を消費したことに、学生の頃と同じように後ろめたく罪深い気持ちになる。

たんたんと読んでいたけれど急に、そうだ、その通りだ、ああ、わかる、私もその気持ち
と自分の奥の、古くて見えてなかったけれども確かに知っている感情がドバッと吹き出したとたん、ぼろぼろ涙が出た。

泣いたからといってスッキリするわけもなく、そのあともたんたんと読みすすめて3時になってしまった。


月は今夜はずっと東南の空にいる。

寝転んでもシーツがベタベタして目を閉じれそうもない。
夕方に帰宅したあとシャワーを浴びたけれど、もう汗で体はベタベタなのだ。

学生ではなく大人だ私は。
大丈夫。
時間やエネルギーを消耗しても、見えてなかった感情に傷ついても、その価値はあるんだ価値が無くてもいいんだ。大人でよかった。夜中まで小説を読んでもシャワーを浴びてもいい。

小説を読んだ私の責任と自由を確認しながらシャワーを浴びて、このブログを綴ってみた。
びびりまくりの自分は弱いし子供だと思う。

風が強い。シーツがサラサラのうちに眠りたい。

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