脳を奪われた男

 広告タクシーから降りると、赤い夕陽が目に染みた。俺は郊外の工業団地の一角に来ていた。超高層建築物群が山脈のごとく聳える中心街とは打って変わって、都市間戦争以前の建物が多く、人も少ない。寂びれた区画だ。
 深く息を吸い込む。俺の鼻孔をくすぐるのは、古い機械油のにおい、誰かの晩飯のカレーの香り、そして、再回帰性被覆材が揮発したにおい。光学迷彩の残り香。当たりだ。思わず、俺は自分のサイバーマズルを撫でた。

 俺の名はドッグフェイス。私立探偵だ。三時間前、俺はヘンリーと名乗る首なし男から依頼を受けた。義体の分解点検中、丸々技師に盗まれてしまった自分の頭部ユニットを取り戻して欲しいという内容だった。奇妙で不自然な依頼。断るべきだったが、金欠だった俺はヘンリーから提示された多額の報奨金に飛びついた。面倒な事件に巻き込まれるとも知らずに。

 俺はにおいを追い、小工場に辿り着いた。駐車場には技師のホバーカーが停めてある。こいつがにおいの発生源だ。そして、まだ新しい。光学迷彩で姿を消し、ヘンリーの住居から飛び去ったこの車を見つけるのは、中々骨折れたが、なんとかなった。

 工場の裏手に周り、通用口に張り付く。犬耳を澄ませると、話し声と衣擦れの音が聞こえてきた。ホルスターから拳銃を抜き、通用口のドアを蹴破る。工場の中には旋盤や溶接機などの工作機械があり、乱雑にガラクタが積まれている。ガラクタの山のそばには、生首を持った技師の姿があった。「動くな!」
 俺は技師に銃を向け叫んだ。技師は目を見開いた。
「待て、彼を傷つけるな! 彼は私に協力してくれただけだ」
 そう言ったのは、技師ではなかった。彼の手の中の生首だった。
「副脳から依頼を受けた探偵だろう。私はさらわれたわけじゃない」
「どういうことだ」
 俺は急に喋り出した生首に面食らいながらも尋ねた。
「私は、逃げてきたんだ。自分の身体から」
 生首は俺を顔をしっかり見据えて、そう言った。

【続く】

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