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「方法序説」を自己解釈も交えてご紹介① ~その背景から~

この記事では、デカルトが書いた「方法序説」の内容の一部を紹介していきます。私なりの解釈になりますが、よかったら読んでみてください。

はじめに

この一年ほど様々な出来事について、冷静に落ち着いて物事を判断できているだろうか、と感じることが多くなりました。

そんな折に、昔読んだが内容をほとんど覚えていない「方法序説」を、久しぶりに読み直しました。本には「理性」を正しく働かせる方法などが書かれていて、「こういう内容の本だったのか」と驚いた次第です。そして昔よりも、内容がスッと頭に入ってきました。

そこで3回ほどに分けて、「方法序説」を自分なりの解釈も交えて紹介したいと思います。

本のタイトルについて

「方法序説」という本のタイトルについてですが、解説には

(本の)正確なタイトルは「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話(序説)。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学」。

と書かれています。また

全体で500ページを超えるこの大著の最初78ページが「方法序説」であり、3つの科学論文集の短い序文となっている。

とも説明されていました。

つまり、デカルトが書いた本の「はじめに」にあたる部分だけが、長く古典として読み継がれていることになります。

デカルトについて

本の内容に入る前に、デカルトが生まれた時代について、その背景を少し知っておいた方がよいのではと思いました。そこで、解説に書かれている内容を紹介してみます。

デカルトは、1596年にフランスの貴族の子として生まれました。今から約400年も前ですね。様々な学問を学ぶ中で科学者や数学者と出会い、数学を自然学に適用する構想を得たそうです。

その後、研究と思索に集中するためオランダに移り住みます。

そして「世界論」という本を執筆しましたが、ガリレオ・ガリレイの断罪によって刊行を断念したそうです。つまりその本の内容は、当時の社会には受け入れ難いものだったのでしょう。その代わりとして「方法序説」という序文をつけた3つの科学論文を、1637年に刊行したと書いてあります。

我思う故に我あり

「方法序説」で最も有名な言葉は「我思う故に我あり」だと思います。

この言葉の意味について、何かの本で簡潔に述べられていた文章を覚えています。それには「世の中にはいろいろと疑わしいことが多いが、ただこうして考えている自分が存在することだけは確かである」と説明されていました。

この頃、地球自体が動いているという「地動説」が唱えられるなど、今まで信じられてきたものの見方が大きく変化する時代だったのでしょう。

デカルトが生きた時代

「方法序説」はデカルトが41歳のとき、著者名なしで出版されたそうです。この著者名なしということについて、解説には次のように書いてあります。

思えばデカルトの生きた時代は、決して平穏なものではなかった。1633年のローマでのガリレイ断罪については本書第6部でも触れられているが、この時代に新しい科学や哲学は、旧来の学問や反宗教改革との険しい相克のなかにあり、激しい弾圧にもさらされていた。

ガリレオ・ガリレイについてですが、「それでも地球は動いている」という言葉が有名でしょうか。私は、ガリレイが地動説を唱えた人だと思っていました。実際はコペルニクスが唱えた「地動説」を、天体観測によって実証した人だそうです。

この頃の世界のとらえ方を表した図を見たことがあります。地球は球体ではなく平らな地面が続いていて、ある所まで行くと絶壁になっているというものです。天動説だと地球は動かないので、そうなってしまうのですね。

天体が動いているのではなく地面(地球)が動いているのだという発見は、まさに「驚天動地」の出来事だったと思います。

映画「トゥルーマン・ショー」

ジム・キャリー主演の映画に、「トゥルーマン・ショー」というのがあります。壮大なドッキリをしかけられた男性の物語です。ジム・キャリー演じる男性の人生は、生まれた時からあるテレビ番組のショーとして、24時間放送されていました。

つまり彼の人生はすべて「フィクション」であり、テレビの演出として作られたものでした。しかしあるきっかけで「何かがおかしい」と彼自身が気づきはじめる・・・という内容です。

この主人公の男性がもった「いろいろなことが疑わしい」という気持ちは、デカルトが持っていたものと通じるように思いました。

また「バカの壁」を書いた養老孟司さんも「方法序説」をおすすめしています。小学生で終戦を迎えた直後に、今まで教科書で教えていたことはすべて間違いだったと先生に言われたそうです。そして教科書に墨で線を引いて消すように言われ、信じていたことがひっくり返る経験をされたとのことでした。

その後、進路などを決めるにあたり、本気で「方法序説」を読んだのだそうです。

デカルトが表したかったこと

さらに解説の文章を引用してみます。

デカルトの生きていた間だけでも、1600年、宇宙の無限を構想したジョルダノ・ブルーノがローマで焚殺され、1616年にはコペルニクスの書が法王庁の禁書目録に加えられる。1619年にはイタリアの哲学者ジュリオ・チェーザレ・ヴァニーニがトゥールーズで火刑に処せられる。・・・

などなど、いろいろな人の名前が挙げられています。

デカルトが執筆した「世界論」の内容も大きな危険をはらんでいたため、生涯刊行しなかったそうです。しかし代わりとして刊行した「方法序説」には、

本書の一行一行に、そうした状況のなかで、何かを後世に残そうとする、デカルトの苦渋と深く強靭な意志とが感じられよう。

と述べられていました。確かに本のはしばしから、何ともいえない迫力のようなものが感じられます。

しかしデカルトが表したかったのは、当時の状況を語るためだけではないとのことです。

デカルトが表したかったのは、・・・普遍的なものとなって後世に残るであろう、学問の方法、新しい科学や学問の基礎を示す広い意味での哲学の根本原理、自然の探究の展望と意味なのである。

本には当時がどういう状況だったのかについて、ほとんど触れられていません。私自身、当時の教会がどんな教えを広め、どんな権力をもっていたのかについて、詳しい知識がないのが悔やまれます。

ただ解説の内容を見るかぎり、教会の教えや権力はとても強いものだったのだろうと感じました。

本の背景の紹介でした

「方法序説」は6部で構成されていますが、今回紹介したいのは主に「理性」の働かせ方について述べられている第3部までと、第4部を少しです。

第4部からは、「神」「人体」「気象学」「幾何学」などについて書かれていますが、こちらは難しくて自分なりの紹介ができそうにありません。

デカルトやその背景についての紹介が、長くなってしまいました。ここで一度区切って、次の記事で本の内容を紹介していきたいと思います。

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