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「公園とホームレス」から、これからの都市の空間を考える(2)

全4回シリーズで「都市公園」と「ホームレス問題」から、これからの公共空間について考えていきます。前回の記事では、新国立競技場建設をめぐるコンフリクト(衝突)について紹介し、また今後公共空間がますますプライベート空間化していくことを述べました。そのことによって、どんな問題が生じるのか、事例を見ながら考えていきましょう。

大阪天王寺公園「てんしば」の事例

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皆さんは大阪天王寺の「あべのハルカス」の目下に広がる「てんしば」をご存知でしょうか。2015年にリニューアルオープンした天王寺公園は一面芝生の広々とした空間で、お洒落なカフェやレストランといった店舗やドッグランなどが配され、よく晴れた日には親子連れやカップルが憩いの場として利用しています。公園というよりはむしろショッピングモールのような雰囲気です。一見するととても気持ちの良い空間なのですが、その成り立ちを学んでみるとなんとも言えない気持ちになるのです (注1)。

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「てんしば」にリニューアルされる前の天王寺公園は周囲を柵に囲まれ、入場料が必要なものでした。入場したところで特別な遊具があるわけでもなく、ひなびた公園だったと言えるでしょう。確かにその時に比べると誰でもアクセスでき、利用しやすくなっています。ではそもそも、なぜそのような状況になっていたのでしょうか?

天王寺公園の歴史は古く、1903年の第5回内国勧業博覧会跡地を整備し1909年に開園。その後周囲には庭園や動物園、博物館ができていきます。近くには日本最大の日雇い労働市場である釜ヶ崎を擁し、労働者たちの宿泊所(ドヤ)が立ち並びます。しかし、産業構造の変化や経済状況などの影響を受け、高齢化した日雇い労働者たちは仕事に「アブレ」るようになっていき、今日的なホームレス問題へと繋がります。天王寺公園は更に古くから労働者の溜まり場や野宿者の寝場所となっていたと言います。都市公園が社会問題の、ある意味緩衝地帯となっていたわけです。治安面を不安視する住民からの意見が寄せられてはいましたが、市は巡回強化などで対応していたようです。

状況が一変したのは1986年から始まった天王寺博覧会による公園整備からです。工事とイベント開催に伴い、一時的にホームレスの人々を退去させます。しかしそれは一時的なものでは終わらなかったのです。市議会での条例改定を経て、天王寺公園は博覧会終了後、有料化・外周柵設置・夜間施錠による管理へと転換します。これは当時としては非常に珍しいことでした。永橋(1996)は、これまで消極的であれ野宿者問題の緩衝地帯となっていた天王寺公園を「公園管理をとりあえず野宿者という社会問題から切り離す」ことになったと結論づけています。

その後も公園の周囲にはホームレスの人々のテントや「青空カラオケ」と呼ばれる露店が立ち並んでいましたが、それも2003年には撤去。このようにして、前述のように柵で囲われたひなびた公園へと変貌していったのです。やがて公園行政は人件費削減や効率的運営を目指し、官民連携の時代を迎えます。天王寺公園運営は賑わい創出のためのハード・ソフト整備及び維持管理において民間企業を中心とした運営へと舵を切り、「てんしば」が誕生したのです。

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おそらく入場料を設定していた時代よりも、店舗の家賃収入等で遥かに「稼げる空間」へ、そして見た目にも「綺麗な空間」へと生まれ変わったはずです。


「公共性の担保」を巡る問題について考える

さて、ここまでの話を聞いて、皆さんはどう思うでしょうか。「ホームレスの人がたくさんいて住民が使えない公園」から、「ホームレスの人を追い出し有料にして柵を設けた誰も使わない公園」になり、そしてそれが今は「たくさんの人が利用できる広々とした開かれた公園」になりました。なんて素晴らしい事例でしょうか!…と思う方も多いでしょう。

繰り返しになりますが、ホームレスの人が公園を起居の場とすること、それ自体は好ましい状況ではありません。しかし、ホームレスの人がその場からいなくなってしまったとしても、ホームレス問題が解決したわけではありません。むしろ、社会構造の破綻点として可視化されたのがホームレス問題であり(このことについては以前の記事を参照ください)、それが表顕している都市公園からホームレスの人を締め出す事は、問題を不可視化することに他なりません。

天王寺公園はかつてのコンフリクトの場というイメージを刷新するため、ファンタジースケープを創り出すことに成功しました。それは、都市の中の歴史的な文脈と綺麗さっぱり切り離す、まさにマジカルな手法=再魔術化でした(注2)。

リニューアルされた「てんしば」でも夜間閉鎖する門扉が設けられ、夜間のみ静かに野宿していた人も居られなくなりました。こうして「綺麗さ」が保たれます。こうした手法は気づかないうちにいろいろな場所で用いられており、知らないうちにある特定の層の人々をいづらくさせることがあります。

また、このような大規模な公園管理における管理運営は非常に長期にわたる事業期間となることが多く、「てんしば」でも事業期間は20年となっています(「てんしば」の場合は指定管理者制度では無いものの)。
大規模改修に対するペイを考えれば仕方ない面もありますが、そうした非常に長期間にわたる民間主導の管理の中で、どのようにパブリックチェックを行い、公共性を担保していくかという事は今後の課題といえるでしょう。

しかし、「公共性の担保」というだけでは、何をもって「公共」なのかという点で難しい。ホームレスの人が居座り住民が使えない状態が公共性か?と言えばそれもまた異論があるでしょう。もっと別の言葉、尺度で、都市公園の役割を考える必要があるように思えてきますね。

てんしば2

僕はショッピングモールの存在自体を否定しているのではありません。ただ、「都市公園」という公共空間がショッピングモールのようになることに問題があるのではないか、ということです。その何が問題なのか?を考える必要がありそうです。つまり噛み砕いて言うならば、-ショッピングモールのようになった公園は、綺麗な格好でなければ、あるいは金を落とさなくては利用しにくくなっていないか?お金がなかったり、行き場を失ってしまった時にでも利用できるような、公共の空間になっているか?そう言う人を排除する空間になってしまっていないか?- ということなんですよね。どうすれば多数の人にも、社会的弱者へも開かれた都市公園を創ることができるのでしょうか。

これについて考えるには(またもや小難しい話になってしまい恐縮なのですが)、ここまでお話ししてきたような「公共空間の危機」と呼ばれるような事態が本質的にはどのようなプロセスであるかを考えてみる必要がありそうです。(3)へ続く


(注1)大阪天王寺公園についての記述は、以下の文献を参照した。
・大阪市天王寺公園の管理の変遷と有料化が及ぼした野宿者排除の影響 に関する研究 永橋為介/土肥真人 ランドスケープ研究 1995 年 59 巻 5 号 p. 213-216
・天王寺公園青空カラオケ強制撤去 酒井隆史/原口剛 世界2004年5月

・「行儀いいのにかわいそうや!」ホームレスに同情論も…大阪市、天王寺公園夜間封鎖〝追い出し策〟に住民賛否 2016年9月20日 産経新聞(https://www.sankei.com/west/news/160920/wst1609200006-n1.html)

(注2)再魔術化による解釈については以下の文献を参照した。
・再魔術化する都市の社会学 空間概念・公共性・消費主義 園部 雅久 著 ミネルヴァ書房



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