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#03 市民によるモニタリング -誰が担うべきか?

#01日本の「アドボカシー」を考える では、市民によるアドボカシー(社会を変えるための活動)を行うボディが必要だという話をした。この想いは最近、特にコロナ禍での4月以降の活動を振り返ってみて、ますます強くなっている。

4月以降、僕は都内のホームレス支援の団体の方々と協力して、コロナ禍で住まいを失う人への支援の必要性を訴えてきた。緊急事態宣言によってネットカフェが営業を休止すると住まいを失ってしまう人が大量に出てくるということや、コロナ不況で仕事がなくなり家賃を払えなくなる人が住まいを失うという懸念があったためだ。

日本における住まいの支援は歴史的に手薄だ。これは住まいの確保は自己責任であるという考えによる。住宅供給や家賃補助の政策に関しては、先進各国の水準で考えれば今の倍くらい使ってもよいくらいの規模感だ。
また、住まいのない「ホームレス状態」の人々への公的支援も海外の先進都市と比較すると周回遅れのような状況だし、上述のネットカフェ難民のように「見えないホームレス状態」の人々もたくさんいる。

先の述べたホームレス支援の団体の方たちは、こうした状況を改善しようとこれまで非常に長期にわたって真摯に取り組んできた人たちだ。僕なんかはほんの新参者である。

これはホームレス支援の分野に限らないが、日本の市民団体やNPOは小さな規模の団体が多い。諸外国のNGOセクターには、職員が何人もいるNGOがあり、その中に例えば研究や政策提言をする部門を有しているものもある。日本の場合は、現場の活動に手一杯で、アドボカシーまで行う余裕がないところが多いのではないだろうか。

もちろん、中には市民への啓発や政策提言をしながら現場の活動にも取り組んでいる団体(や個人)がいる。しかし、それはとてもとても大変なことだと思う。そのことは今回改めて感じたことだ。

4月に取り組んだことを僕の視点で書いてみることにしよう。これは別に褒めてほしいということではなく、今後何かを改善したいという時に少しでも役に立てば、という意味で記録しておく(そんなに偉そうなことを言える立場ではないのであれですが)。

「ロックダウン」という言葉が出始めた3月下旬、まず住まいを失う危険のある人が大量に生じる懸念から、必要な支援の強化を行政に求めることにした。千人や万人の規模になると、民間支援団体だけではどうにもならない。

知り合いの支援団体の方々に、共同で要望書を出すことを提案した。いくつもの団体の方が賛同くださり、東京都の担当課へ申し入れを行った。その際には、都庁の記者クラブで記者説明し、支援団体の方の紹介でメディアにも取り上げてもらった。ウェブでの署名も集めた。これも有難いことにすぐに1万人近い人に賛同していただいた。それを持って、与野党の都議会議員の方にも要望を説明し、必要な支援をお願いした。他にも色々な団体が要望を出したこともあり、東京都による一時住宅提供の予算が付けられた。これはとても大きなことで、コロナ禍だからこそ動いたという面もある。奔走してくださった都議や行政職員の方にも感謝の想いだ。

しかし、一時滞在場所の提供が始まってみると、緊急的な措置だったこともあり、実際の窓口で適切な対応がなされたとは限らない。十分な周知の時間もなかったと思うが、既存の制度との接続にも問題があった。それから利用者への周知が初めほとんどなされなかった。こうした課題は、また改めて支援団体と協議して要望を出した。

とはいえ貯金も尽き住まいを失った人はすでに何人も出てきている。微力ではあれど、公的・民間支援団体による相談窓口をまとめたページを作って、SNSで拡散してもらった。もし一人にでも届けばよいのだが。本人には届かなくても、それを見た人が身の回りの困った人に教えてくれれば、作った意義があるというものだ。市民の力に頼るしかない。

それから、各地の支援団体の方と情報を共有し、実際に窓口でスムーズに対応してもらえなかったという場合には、当該自治体の区議や市議の方と連携して事実確認と都の通知を遵守するようお願いする。国の指示が必要なこと(例えば無料低額宿泊所に関することなど)は、厚生労働省や国会議員の方へ要望する。このように課題に対して権限を持つ適切なレベルに働きかける。

僕自身は福祉的な支援や相談に対応する職能はないため、できることは概ねこのような裏方の活動だ。なるべく現場の邪魔にはならないように、全体として必要なことはなんだろうかということを考えながらできることをやった。

こうした一連のモニタリング的活動は、普段、現場の支援をしている方々がやってきたことだ。今回もそうで、相談対応しながら発信や提言をしていた支援団体の方がたくさんいることを僕は知っている。そして少しでも状況が改善されたとすれば、それはそうした人たちの力によるところが大きい。本当に頭が下がる想いだ。しかし同時に、それはあまりに大変なことだと思う。

僕はたまたま、コロナの影響で4月の仕事がまるまるぶっ飛んだため、全くの暇人間だったからこそ上述の活動ができた。時間がある以上、そして僅かでもやれることがある以上、やっておかないと後で後悔すると思ったからだ。ただ、自分の活動の仕方はあまりサステナブルではないな、とも感じた。

一連の活動は、知り合いの方の日頃の活動を参考にしつつ、また韓国の市民団体である「参与連帯」をイメージして行った。#01でも紹介したが、「参与連帯」は現場活動というよりも、市民や研究者や法律家によるアドボカシー団体で、市民の寄付のみによって成り立ち、職員も抱える大きなNGOだ。批判の声もあるが、その形は日本でも参考にしたいところだ。

行政への働きかけやモニタリングは、現場の声を元に、世論を味方に付け、データに基づき、法律や制度への深い理解を持ち、そして繰り返し、継続的に行うことが重要なのだと思う。今回少しでも東京都が動いてくれたのは、これまで長年にわたって真摯に活動してきた方々の蓄積と、社会のあり方を考える市民の後押しがあったからだ。

日本でも、特定の企業団体や党派の意を受けない、市民による、市民のための、市民のアドボカシーを強くしていくことが必要だと、改めて感じている。政治へのコミット、というと敷居が高いが、みんなの生活に直結する問題に対しては、行政をモニタリングしたり、要望したり、共同したり時に対立したり、様々な関わり方があってよいはずだ。そういう、受け皿が必要なのだと思う。

微力ながら僕はこれからそのための取り組みをしたいと思っている。

デモクラティック・デザイナー 北畠拓也


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