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〈若さ〉に〈弱さ〉をラベリングして、後輩越しに抱く先輩としての尊厳が、僕たちを甘やかしてしまう。SNSを覗き込むと、心許ない僕らの顔が液晶に反射している。

トレンドにのぼり始めた「春から○○」のタグラインに逐一「いいね」を付けて、電子計算機の前で大学の1年目を終えた彼/彼女らがきゃっきゃしている。

「不安な想いと期待感に悲喜こもごもの新入りが、可愛くてしょうがない」のだそうだ。そう呟くテキスト越しの彼/彼女らの目は、きっと輝きを放っている。

ただ僕には、彼/彼女らがみせる、その"特有の眼差し"が、ちょうど「格好の獲物を見つけたサバンナの肉食獣の"それ"」と重なって映ってしまう。

彼/彼女らの1年目には、なにかと逆風が吹き荒れていた。キラキラキャンパスライフとやらも、あたってくだけて挫折する機会すら与えられないまま、じっと抑えこむほかなく、ただ静かに過ぎ去っていくのを呆然と見送った春夏秋冬。

彼/彼女らの心の内に、なんとも形容しがたいモンスターのような焦りが巣くっているとしても、無理もない。早晩、吐き出すことを許されない焦りが、彼/彼女らの自尊心を揺さぶる。

そうしてその内面が形となって表れているのが、先の一件なのだと、思えてならない。

〈一人称〉の我が身がふらふらと頼りなく揺らいでいるから、〈若さ〉に〈弱さ〉をラベリングして、庇護関係を持ち掛ける。
そうして出来上がった〈弱い〉存在越しに、〈二人称〉の我が身を見留め、名指される〈私〉に身を収めることで、ひとまずその「心許なさ」を治療した気になっている。
が、それはひとときをやり過ごすモルヒネに過ぎない。誰だって〈人生の先輩〉にはなれる。自分のやるせなさから目を背ける日もある。しかしそうやってその場しのぎを繰り返してばかりではまずい。
地殻変動はいずれまたやって来る。我が身がまた揺さぶられる日がくる。それまでの間に自分を鍛える機会を逸していては、つぎはほんとうに心が決壊してしまう。

彼/彼女らがいま目を向ける視界に映るのが、〈弱い〉後輩だけでないといい。彼/彼女らの尊厳が、〈弱い〉存在越しだけで成立していないことを祈りたい。

…。といいつつ、かくいう僕もtwitterを覗き込んでいる。その後輩越しに先輩風吹かしているのは誰だ。なんというやら。情けがない。

暇になった途端、すぐこれである。というか、他人の人生を批評している時点で、それこそ紛れもなく暇であることの証左である。

これは、僕も「他山の石だ」とあぐらかいているわけにはいかないではないか。したがってそれゆえに、この情けのない現状を書き記すことにしたのだ。

いったいいつになったら僕は、自分の人生を丸ごと引き受ける覚悟ができるんだろう。
他人の人生に浮気がちな心に、歯止めがかかるのはいつなんだろう。


ところで今日の夕焼けは、よかった。
最近は部屋のなかから眺めることが多かった。
それが今日、久しぶりに出先で差し掛かって、なんだか思わず川沿いまで足を向けてしまった。

こんな衝動的に撮った、なんとも素朴なたった1枚でも、自分の記憶にしまいこむためだけにそのシャッターを切るならば、
24時間で消去されるトリビアルな〈物語〉に投稿するためだけに、幾枚と切られるシャッターの、その何倍も幸せに満たされる。


SNSが、嫌いなわけじゃない。ただ、SNSを覗き込んで、他人の人生を批評するようになっている、液晶越しの自分に嫌気が差す。

スマホのギャラリーが、もっとSNSにあげない写真で溢れた頃には、いまよりずっと、自分の人生を引き受ける覚悟をもった僕が、しゃんと背筋を、伸ばすんだろうか。

1枚の夕焼けを眺めながら、ふとそんなことを呟いてみる。

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