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ロングボーダーの憂鬱 5 Wish You Were Here 3/3

 つぎの金曜日。
 美奈海はいつものように夕食を食べにRough Boyに来ていた。この日の夕食はカレー。美奈海の好物のひとつでもあった。スプーンを片手に嬉しそうに食べていた。
 そんな美奈海をじっとやさしく見つめるろくさん。
 その視線に気がついたのか、ふいに顔を上げると美奈海は口を開いた。
「ねぇ、このカレー」
「カレーがどうかしたか?」
 ろくさんは伺うように尋ねた。
「いつものように美味しいけど……」
 美奈海はそこまでいうとじっとろくさんの顔を見た。
「美味しいけど……、なんだ?」
「うん、これって子ども向けの味付けだよね。あまり辛くなくしてるでしょ」
「まあな、美奈海用に辛くなくしてる」
 ろくさんは笑顔で答えた。
「ほら、真夏さんとかも食べるでしょ。それって辛さ、物足りなくないかなと思って」
 そういって美奈海は真夏の顔を見た。
「なんだ、そんなことか。気にすることない。ちゃんと取り分けて、そっちは辛く仕上げてあるから」
「辛いカレーも作ってるんだ」
 美奈海はそういって、なにかを見つけたように顔を輝かせた。
「辛さは調節できるから」
「そっかー、辛い奴もあるのか」
 美奈海はそういうとじっとろくさんの顔を見た。
「なんだ?」
「ねぇ、その辛いやつ、ちょっと食べてみてもいい?」
 美奈海はそういうと首を傾げた。
「マジで辛いぞ。いいか?」
「うん、食べてみたい」
 身を乗り出すように美奈海が答えた。
 ろくさんは小皿にご飯をよそうと火に掛けていた鍋からカレーをかけて、美奈海の前に出した。
「ほら」
 そういうと様子を伺うように美奈海をじっと見た。
 美奈海はその皿にそっと顔を近づけるとまず香りを嗅いだ。それからおずおずとスプーンで掬うと口に入れた。
「あっ」
「どうした」
「辛さって、あとから来るんだ。それもじわっと。あ、汗出てきた」
 美奈海はそういって笑った。
「食べられそうか?」
「えーとね、ちょっと無理かも。まだこの辛さは駄目かな」
 美奈海はそういって苦笑した。
「辛さって、慣れるものなんだ。だから最初は辛くて食べられなくても、そのうち平気になってくる。辛いことは辛くても、ちゃんと食べられるようになる。その辛さが美味しく感じられるようになるんだ」
 ろくさんが諭すようにいった。
「そうかな? でも、これからはいつものカレーをすこしだけ辛くしてもらってもいいかも」
 美奈海は頷きながらいった。
「でもなんだって、突然カレーの辛さが気になったんだ?」
「うん、ちょっと大人の気分、味わいたくてさ」
 美奈海はそういってろくさんの顔を見た。
「大人の気分か。一番簡単なのはビール呑むことだけど、さすがにまだ早いか、アルコールは」
「それはだめだよ、だってまだ小学生」
 美奈海は笑いながらいって舌を突き出した。
「そうだな。もうちょっと先のはなしか」
 ろくさんはそういいながら美奈海を優しく見つめた。
「でも辛さにチャレンジって、なんとなく解る気がする、美奈海ちゃん」
 真夏が横から口を挟んだ。
「興味持つのってふつうだよね」
「うん、ぜんぜんOK。ちょっとずつ、いろいろとチャレンジするといいよ」
 真夏がまるで妹に話しかけるようにいった。
「うん」
 美奈海は嬉しそうに頷いた。
「じゃ、今度はちょっとだけ辛くしてやる」
「よろしく。ごちそうさま」
 美奈海はそういって頷くと、席を立った。
「帰るか?」
「うん、ちょっと宿題残ってるし」
「気をつけてな」
 美奈海は大きく頷くと、店を出ていった。
「なんか美奈海ちゃん、ちょっと変わったかも」
 真夏が美奈海の後ろ姿を見ながら、ぼそっと呟いた。
「子どもって思った以上に成長が早いからなぁ」
 ろくさんは溜息交じりにいった。
「中学に入ったら、あっという間に大きくなりますよ、ろくさん」
 そういって真夏はろくさんの顔を伺うようにじっと見つめた。
「だから?」
「ボーイフレンドできたら、ろくさんどうします?」
 真夏はからかうようにいってみた。
「バカ、そんなのずっと先の話だろ」
「いえいえ、もうすぐですって」
 真夏が笑いながらいった。
「そのときは、ぶっ飛ばす。相手の男を」
 ろくさんはわざと強面を作っていった。
「ですよねー。ろくさんならやりそう」
 真夏は笑いを堪えることができなかった。

 しばらくしてから梨沙がやってきた。
 ドアがそっと開くと、前と同じように様子を伺うように顔を覗かせてから入ってきた。ブルーのブラウスに紺色のスカート。低めのヒールを履いていた。
「こんばんは。いいかしら」
 梨沙はろくさんの顔を見て首を傾げた。
「いらっしゃい。どうぞ」
 ろくさんすこし眩しそうに頷き返した。
 梨沙はそのままカウンターの一番奥まで来るとそこの席に座ろうとした。
「あ、そこは」
 ろくさんはそういって梨沙の顔を見た。
「先客でも?」
 梨沙はそういってろくさんの顔を見返した。
「いいえ、そこは美奈海の席で。いつもそこで夕食を食べるから。だからだれも座らないことになっていて」
「あら、これから夕食に?」
 梨沙はあたりを見回すようにして訊いた。
「今日はもう食べ終わって帰りました」
 ろくさんはそういって頷いた。
「でも、だれも座らない席なのね。美奈海さん以外は」
「ええ、なんだかいつのまにかそういうことに」
 梨沙は納得したようにその隣の席に座った。
「夕食はいつもここなんですね、美奈海さん」
「ええ」
 ろくさんはただ頷いた。
「なにになさいます?」
 真夏が声をかけた。
「それでは、ビールを。生、お願いします」
 真夏は頷くと、ビールサーバーからグラスに生ビールを注いだ。そのグラスを梨沙の前に出した。
 梨沙はそのグラスに口をつけて美味しそうにひと口呑んだ。
「学校の先生がこんなところに来ちゃ、拙いかしら?」
 そういってろくさんの顔を見た。
「学校の先生だって酒を呑むから問題なし」
 ろくさんはそういって笑った。
「女性が独りってのも大丈夫かしら」
 梨沙はそんなろくさんの顔を伺うようにいった。
「男も女も関係なし。呑みたいときはだれにだってあるから、どうぞ遠慮はいらない。梨沙さん」
「そうですよね、ろくさん」
 梨沙はそういうと改めてグラスを持ち上げて乾杯の仕草をすると、また口をつけた。
「この前、お邪魔して、なんだかこの店の雰囲気が気に入ってしまって。とても落ち着ける感じがして」
「そういってもらえると、素直に嬉しいです」
 ろくさんは笑顔でいった。
「それから、この前のお話」
「え? なんのこと」
 ろくさんが訊き返すと梨沙は笑顔で口を開いた。
「ほら、サップでしたっけ。あのボードに立ってパドルを漕ぐ」
「ああ、SUP。海バカへの一歩、決めたんですか?」
 ろくさんが嬉しそうに訊いた。
「なんでもそうですけど、やってみないと判らないですよね。だから一度、やってみようかって」
 梨沙はそういって頷いた。
「どこか体験できるところってあります?」
「そういうことなら、真夏ちゃんの出番か」
 ろくさんはそういって真夏を手招きした。
「彼女がSUPやってるんです」
「どうかしました?」
 そういって真夏がやってきた。
「梨沙さん、SUPやってみたいって」
 そういってろくさんは梨沙の顔を見た。
「SUPはじめるんですか。うん、楽しいですよ」
 真夏もそういって梨沙の顔を見た。
「まだやったことがないので、一度、体験できるといいんだけど」
 梨沙は真夏の顔を見ながらいった。
「それじゃ、わたしが通ってるスクールがいいかな。インストラクターがちゃんと教えてくれるので大丈夫。まだ陽射しも強いし、いまなら水着でも入れちゃいますよ、海」
「どうしたらいいかしら?」
「電話番号、いまメモしますね」
 真夏はそういって電話番号を書いたメモを梨沙に渡した。
 梨沙はそのメモを見ながら、自分のスマホに番号を登録した。
「ここに真夏さんは通ってるのね」
「はい。メンバーになってて、いつもボード借りて、ひとりで海に出てます」
 そういって真夏はにっこりと笑った。
「もう長いのかしら、サップをはじめて」
「わたしはかれこれ二年ほどかな。いままでは適当だったんですけど、今年の夏からちょっと真面目に海に出てます」
 真夏はちょっと考えてから答えた。
「あら、それはまたどうして?」
 梨沙はそういって首を傾げた。
「友だちのつきあいではじめたんですよ。だから誘われないといかなかったんだけど、今年のゴールデンウィークの頃にSUPでサーフィンしたら、嵌まっちゃって。それからもうなんだか海ひと筋になっちゃいました」
「あら、じゃ立派な海バカなのね」
 梨沙はそういうと見直したよな表情で日焼けしている真夏の顔を見た。
「海バカ?」
 真夏は訊き返した。
「ろくさんが、自分は海バカだからって」
「そりゃ、ろくさんはもう正真正銘、海バカのチャンピオンですから」
 ふたりは顔を見合わせるとどちらからともなく楽しそうに笑った。
 そのときドアが開いて、美里がやってきた。
 笑い合っているふたりを遠目に見ながら、奥に進みかけた足を止めて、美里は入り口に一番近いカウンターに座った。
 真夏がすぐにやってきて声をかけた。
「なににします?」
「あ、じゃ生を」
 真夏は頷くとビールサーバーからグラスに生ビールを注いだ。そのグラスを美里の前に置こうとしたとき、美里が口を開いた。
「ねぇ、真夏ちゃん。あの人、学校の先生よね」
 今度はろくさんと話をはじめた梨沙をじっと見ていた。
「ええ、そうです。美奈海ちゃんの担任だったかな」
「そう、勅使河原先生……」
 ろくさんの笑い声が聞こえてきた。
「よく来るの? 先生」
 楽しそうに話をしている梨沙とろくさんを見ながら美里が訊いた。
「先週一度。今日が二度目だと思いますよ、ミサトさん」
 真夏もふたりを見ながら胸の前で腕組みをしていった。
「その割りには親しそうですね、ろくさんにしたらめずらしいかな」
「そうよね、いつもぶっきらぼうのくせに」
 そういって美里はじっと梨沙を見た。
 その姿がどうというのではなく、彼女の雰囲気になにか懐かしいものを、美里も感じていた。それは美奈海を迎えに学校にいって、はじめて梨沙と話をしたときにすぐに感じたものだった。
 それがこうしてろくさんと親しげに話をしている彼女を見ているうちにその懐かしいなにかがそっと胸の裡に薄暗い影を広げていく。
 ──そうよ、歩惟……。
 美里の親友だった、そしてろくさんの妻だった歩惟をなぜか思い出させるなにかが梨沙にはあった。それを美里はいまはっきりと実感した。
 ビールに口をつけながら、自然に美里の視線は険しいものになっていった。
「ミサトさん、なにかつまみは?」
 真夏の声に気がつかないように、美里はじっとふたりを見続けた。
 それは以前に見た光景にどこか似ていた。歩惟が匡一と付き合い出す前、よくふたりが笑いながら話をしているときと同じだった。相手の心をなぜか自然に和ませて、いつも笑顔で話をしていた歩惟。
 その姿に梨沙がダブって見えた。
「ミサトさん?」
 真夏がもう一度、話しかけてきた。
「うん?」
 ようやくふたりから視線を外すと美里は真夏の顔を見た。
「なにか食べますか?」
「そうね、ピスタチオもらおうかしら」
 そういって美里は笑った。けれど、その笑顔はすこしだけ引き攣ったものになってしまった。そのことを自分自身で感じて、美里は心の中になにかインクの沁みのようなものが広がっていくのを知った。
 そのインクの色は、ただ酷く黒かった。
はじめから

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夕焼けフォトグラファー / 物書き / デジタルコンテンツデザイナーの癌サバイバー、竹井義彦です。 逗子の海の写真や、オリジナルの小説をメインに公開しています。よろしくお願いします。