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ロングボーダーの憂鬱 7 I'm Yours 2/3

 その日の夕方。店を開けてしばらくすると美里がやってきた。白のブラウスに真っ赤なミニスカート。Gジャンを小脇に抱えて、真っ直ぐカウンターの奥までやってきた。ヒールの小気味いい音が響く。そのまま美奈海席の隣に座った。
「よう」
 ろくさんが声をかけた。
「電話、ありがとう」
 美里はそういって頷くと、真夏に生ビールを頼んだ。すぐにビールが手元に置かれた。グラスに手をやると、そのまま顔を上げてろくさんをじっと見た。
「根、詰めちゃって」
 言い訳がましくいうとそっとグラスに口をつけた。
「仕事か」
「そう。デザインをね。クリスマスだったり、新年だったり、バレンタインだったり。いろいろとあるのよ、シーズンが」
 美里はそういうと微かに笑った。
「ろくさん、わかる?」
「いや、おれは年中夏でいいから」
 ろくさんはそういって笑った。
「ミサトさん、新しいデザインを?」
 真夏が横から口を挟んだ。
「そう。今年はね、いままでとちょっと路線変えようかと思って。なんだかしっくり来るところまでって考えてたら、いつの間にか根詰めちゃって」
 美里は真面目な顔をして真夏に話しはじめた。
「楽しみです。わたしに合うやつってありそうですか?」
「真夏ちゃん、なにいってるの。そのままで可愛いんだから、なんだって似合うわよ」
「もう、ミサトさんったら」
 ふたりは顔を見合いながら笑った。
「わ~、美里さんだ」
 そういいながら美奈海が店に入ってきた。そのまま足を早めていつもの席に座った。
「なかなか顔を出せなくてごめんね」
 美里が優しい眼差しで美奈海にいった。
「仕事、忙しいの?」
「ちょっとね、大変な時期なの」
「そうなんだ。頑張ってね」
 美奈海は無邪気に頷いた。
「今日のご飯、なに?」
「おう、今日はグラタン」
「それ、大好き」
 美奈海が嬉しそうに頷いた。
「なんだか、今日はいい一日だなぁ」
「どうかしたの?」
 美里が美奈海に訊いた。
「うん。朝はオムレツをね、ろくが作ってくれて、それから海にいってみんなで遊んで、お昼も海で食べて、そして夜がグラタン。なんだか今日はわたしのための一日って感じ」
 美奈海は満面の笑みで答えた。
「朝、ろくさんが?」
「うん、オムレツの作り方、教えたもらったから、今度、作ってみる」
「そうか、美味しかった?」
「うん、とろとろのオムレツ」
 美里はろくさんの顔を見て口を開いた。
「わたしも食べたい、そのオムレツ」
「ああ、いまから作るか?」
「お願い」
 美奈海は両手で頬杖をつくと、楽しそうに微笑みながらろくさんをじっと見ていた。
「それから、海?」
「うん、いっしょに海。ひさしぶりにボードに乗った。サップのボード。そしたら偶然、真夏ちゃんが海にいて、一緒にボードで遊んで、それから先生も一緒になってちょっとびっくり」
 そういって美奈海は嬉しそうに美里の顔を見た。
「先生って、勅使河原先生?」
 美里は軽く驚いたように訊いた。
「そう、先生。こういう場所では梨沙さんって呼んでっていわれたけど、やっぱり先生だよね」
 美奈海はそういってちょっと舌を出した。
「先生もサップ?」
 美里がだれにともなく訊くと真夏が口を挟んだ。
「もうすっかり慣れたみたいで、赤灯台まで往復してたんですよ。偶然、そこで会ったから一緒に海岸まで戻ってきたら、そこに美奈海ちゃんがいて。ねぇ、楽しかったね」
 そういうと真夏は美奈海と笑顔で頷きあった。
「そうか」
 美里はただ頷いた。
「おう、グラタン」
 ろくさんはそういうとグラタン皿を美奈海の前に置いた。
「熱いからな」
「うん」
 美奈海は嬉しそうに頷くとフォークで食べはじめた。
「オムレツ、作るな」
 ろくさんはそういって美里に頷きかけた。
「先生もサップなんだ」
 美里はろくさんに訊いた。
「なんか様になってた」
 ろくさんはそれだけいうと頷いた。
 美里はちいさな溜息をひとつついた。グラスを持ち上げて残っていたビールを呑み干してから、真夏にお替わりを頼んだ。
 ビールサーバーからビールをグラスに注ぐ真夏。ビールが傾けられたグラスをゆっくりと満たしていく。
 美里はふっと、いつだったか海の家「North Shore」で味わった、どこか違う場所に独り取り残されたような感覚をいま再び感じていた。
 ──いやだ、これじゃ、まるでデジャヴュ……。
 店に流れるBGMがふいに遠のいていく。すぐ横で嬉しそうに食事をしている美奈海の笑い声も遠くからの木霊ように聞こえる。
「ほら、オムレツ」
 目の前にオムレツの皿を置かれても、美里はすぐに頷くことができなかった。真夏がビールグラスを置く。そんなふたりがまるで磨りガラスの向こう側にいるように、なぜだかぼんやりとしか見えない。
 取り上げたフォークを一度テーブルの上に落として、やっとオムレツを乗せた皿がそこにあることに気づかせてくれた。
 オムレツを半分に割る。とろりと半熟のままのオムレツ。
「ねぇ、とろとろでしょ」
 横から覗きこむようにして美奈海がいった。
「そうねぇ、美味しそう」
 美里はそういって頷くと、ケチャップを混ぜながらオムレツをそっと口に入れた。たまごの味が広がる。
 それでも、その優しい味はきっといまの美里にははっきりと伝わらない味わいだった。
 蒼い空の下、碧い海の上で輝く陽射しを浴びながら響く笑い声が、遠くに取り残されているように思えてならない美里にはけっして届かないように。
「うん、美味しい」
 なぜだかすこしだけ塩っぱい味を美里はただ噛みしめた。
「明日、作ってみる」
 美奈海はそういって美里に頷いた。
 食事を終えた美奈海が帰ろうとすると、美里も一緒に立ち上がった。いつもと変わらない表情で、家に帰る美奈海を送っていくといって一緒に店を出ていった。
 そんなふたりの後ろ姿を、ろくさんはただぼんやりと見ていた。
「ろくさん」
 真夏が声をかけた。
「ろくさん、テーブルのお客さんが焼酎のお替わり」
 真夏がもう一度、声をかけた。
「ああ」
 ろくさんはやっと気がついたように真夏に頷いた。
「なんか、変なの」
 真夏がぼそっと呟いた。
「そうだよなぁ、なんか変なの……」
 ろくさんはただそうひとりごちた。

 翌日の朝。
 ろくさんは、すこしだけ遅い時間にいつものように東浜にいた。昨日と同じように十月とは思えない陽射しが照っている。蒼い空、碧い海。ゆるやかなオフショア。うねりもなく、海はとても穏やかだった。ときおり寄せるちいさな波が微かな音を奏でている。
 ろくさんはじっと沖を見ながら、今朝のことを思い返していた。
 いつもより早く起きた美奈海がろくさんにオムレツを作ってくれた。昨日の今日で、ちゃんとしたオムレツが作れるはずはなかった。形はかなり歪だったし、火の加減も怪しかった。それでも、それはオムレツだった。
 とろとろというよりは半熟すぎる中味。あちこち焦げかけてはいたけど、美奈海が作ってくれたオムレツ。格別の味だった。
 口に入れるろくさんをじっと見つめる美奈海の表情を想い浮かべながら、ろくさんはなぜか心の底から湧きあがる喜びを、そっと噛みしめていた。
 波間の煌めきがいつもより輝いて見える。
「ろくさん」
 ふいに声をかけられて、ろくさんは振り返った。
 梨沙が立っていた。右手にはパドル、左手にはSUPのボードを抱えて笑顔でろくさんを見つめている。
「あっ、梨沙さん」
「どうしたんですか? なんだか嬉しそう」
「あ、いや、なんでもなくて」
 そういいいながらろくさんは頭を掻いた。
「でも、いいことがあったみたい」
 そういって梨沙はちょっと首を傾げた。
「まぁ、いいことというか、はい」
 ろくさんはそれだけいうと梨沙を見返した。
「これから?」
 ろくさんは梨沙が抱えるボードを見ながら訊いた。
「ええ、ちょっと出ようかと思って」
 昨日と同じようにロングジョンにタッパーを羽織った梨沙を、ろくさんはすこしだけ眩しそうに見ていた。
「一緒します? もしボードがあればですけど」
 梨沙はそういってろくさんを見た。
「ボードなら、いつものやつが」
 そういってろくさんは頷いた。
 ふたりは互いのボードを抱えて波打ち際まで歩くと、それぞれ足首にリーシュを巻いて、ボードを海の上に浮かべた。
「どこまで?」
 ろくさんが尋ねながらボードの上に立った。
「やっぱりいっても赤灯台かな。まだそんなに漕げないし」
 梨沙もそう答えながらボードの上に立った。
「じゃ、のんびりと」
 ろくさんは頷いて、パドルを漕ぎはじめた。
 梨沙もそれについていくように漕ぎはじめる。ふたりは並んでパドルを漕ぎはじめた。それでもまだはじめたばかりだからか、梨沙の方がつい遅れてしまう。ろくさんはパドルをゆっくりと漕ぎながら、梨沙のパドル操作を見ていた。
「もうかなり慣れた?」
 ろくさんが訊いた。
「まだ、なんとか漕いでいる感じなの。パドルを引き寄せるってことは解ってるんだけど、それでもなんだか漕いでいる実感がなくて」
 そういって梨沙が笑った。
「簡単なコツがある」
「コツ?」
「ただパドルを手で引き寄せるだけでなく、一緒に足を使って、ボードを前に押し出すようにしてやる」
「足を使う……」
「こう」
 そういってろくさんばややオーバー気味に漕いでみせた。
「足で漕ぐか」
 梨沙はつぶやくようにいうと、何度か試してみた。
「これ、なんとなく解るけど、ふくらはぎに来ちゃうかも」
 梨沙はそういってろくさんの顔を見た。
「真面目に漕ぐと、あちこちの筋肉はとうぜん使うかな」
 ろくさんはただ頷いた。
 しばらく漕ぐうちにふたりは鐙摺の近くまで来ていた。すこしずつ沖が近くなると海が広く見えるようになっていく。この先の赤灯台の向こうは逗子湾の外。そこは太平洋の入り口。
 逗子海岸から風がゆっくりと吹いてくる。その風を頬で感じながら、ろくさんは満ち足りた気持ちになっていた。
「もうちょっといくと、海の真ん中に出たような気になるの」
 ふいに梨沙が口を開いた。
「まだまだ逗子湾なのに、なんだかまわりは海だらけ。見えるのは蒼い空と碧い海。そこにこの陽射しでしょ。こんなに気持ちいいことがあるなんて、わたし知らなかったの。でも、こうやって海に出て、自分の身体で味わうことができて、単純だけど、とっても幸せ」
 梨沙はそういって笑った。
 その笑顔がろくさんにはただの笑顔には見えなかった。なにかかけがえのない、とても大切なものを受け取っている。そんな気になってしまう。
 やがて左手に葉山の赤灯台が見えてきた。
「どう、このまま名島まで?」
 ろくさんは振り返ると梨沙の顔を見て訊いた。
「え? でも、名島って……」
 梨沙はちょっと戸惑いながら口ごもった。
「まだちょっと遠いかな」
 ろくさんはそういって頷くとその場で右足を後ろにずらしてピボットターンをした。
「ええ、戻りましょう」
 梨沙はパドルを操作しながらひとりごちるようにいった。
 まだボードの上でステップバックして体重移動がちゃんとできないのか、何度もパドルを操作してやっと方向を変える。
「今度、ターンの仕方も覚えなきゃ」
 梨沙は方向を変え終えるとろくさんの顔を見ていった。
「すぐ、慣れるよ」
 ろくさんは大きく頷いた。
 またふたりはボードを並べるようにして漕ぎはじめた。梨沙のすこしうしろをろくさんが着いていくような恰好で海岸を目指して漕いでいく。
 右手に鐙摺が見えてきた。
 ろくさんはそのまま空を見上げた。蒼く広がる空の一角で陽射しが輝いている。降り注ぐその陽射しを全身で浴びるようにしながら、そっと眼を閉じた。陽の温もりが身体全体にゆっくりと広がっていく。ときおり海岸から吹いてくる風がろくさんの頬を優しく撫でていく。
 しばらくして眼を開けると、すぐ前で梨沙がパドルを一生懸命漕いでいた。まだろくさんのように景色や陽射しそのものを楽しむまでの余裕はなさそうだった。それでもその顔からは喜びが滲み出ているようだった。
 ろくさんはすぐにパドルを漕いで、その隣にボードを寄せた。
「今日のろくさんは、なんだか嬉しそう。なにかあったのかしら?」
 梨沙はパドルを漕ぎながら訊いてきた。
「いや、そうかな」
 ろくさんはそういって微笑んだ。
「ええ、なにかいつもと違って、笑顔になってます」
「それじゃ、いつもは仏頂面?」
 そういってろくさんは顔を顰めてみせた。
「そんな」
 梨沙はそういって笑った。その瞬間、バランスを崩して、梨沙は思わず軽く悲鳴を上げると、ボードの上にしゃがみ込んだ。
「いやだ、もう。危うく落ちちゃうところ」
 そういって梨沙は笑顔のまま、また立ち上がった。
「ろくさんって、結構お茶目なところもあるんですね」
「自分ではいたって真面目なつもりだけどね」
 ろくさんはそういって苦笑いした。
「なにがあったんです?」
 梨沙はそういって首を傾げた。
はじめから つづく

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ろくさんを逗子では知らない人はいないというサーファー。けれどその過去を知る人はほとんどない。そして、彼の心に深く刻み込まれた傷は、いまだにそのまま。その心の傷は癒えることがあるんだろうか……。

そんな彼とひとり娘にまつわる物語が短編連作の長編で紡がれていきます。
逗子を舞台にした、熱く、そして切なく、心に沁みる物語。ぜひご愛読ください。

サーファーたちのバイブルとして読み継がれていくような作品にしたいと願って書きました。
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スキをありがとう。これからも心に触れるような作品を作っていきます。
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夕焼けフォトグラファー / 物書き / デジタルコンテンツデザイナーの癌サバイバー、竹井義彦です。 逗子の海の写真や、オリジナルの小説をメインに公開しています。よろしくお願いします。
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