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Born In the 50's 第五話 北新宿

    北新宿

 そのビルは北新宿にあった。
 JR大久保駅と東中野駅、東京メトロの中野坂上駅から同じような距離の場所だ。
 通りに面した一区画の古い家々が打ち壊されて再開発された。もう三年前の話になる。高いビルが建つのだろうという大方の予想を覆して、それは三階建ての低層ビルだった。窓がほとんどなく正方形に近いどっしりとした形をしている。黒を基調としたそのビルはまるで人の出入りを拒絶しているようだった。
 ときおり黒塗りの車が裏側の駐車スペースへと入っていくことがあったが、人で賑わうということはなかった。
 田尻はこのビルへ東中野駅から歩いて向かった。
 人目にはつかないが警備員は多かった。
 田尻はそのひとりと眼を合わせると軽く会釈をして横にあるドアからビルの中へと入った。
 すぐに金属探知のゲートがあり、警備員が出入りをチェックしていた。
 田尻は慣れた手つきでホルスターから銃を抜き取ると、プラスティック製の籠に入れて警備員に渡し、そのままゲートをくぐった。
 ゲートの向こう側で籠を受け取り、銃をふたたびホルスターに収める。
 グロック一九。
 フレームやトリガー、弾倉外側など強度上問題がないところにはプラスティックが使われている。そのために本体は軽い。田尻が使用している一九は九ミリパラベラムを使用、そのマガジンには十五発装填できるようになっている。
 国家安全保障局に配属されてからこの銃を使うようになった。陸自にいたときはP二二〇を腰に下げていたが、スーツの下のホルスターに収めるには、さらに軽量のグロックの方が扱いやすかった。
 ネクタイを締め直して、上着を整えるとそのままエレベーターホールへと向かった。
 階下へのボタンを押す。
 三階建てのビルだったが、地下は五階まであった。地下四階はサーバールームになっていて、さらにその下はシェルター機能を果たすことのできるフロアになっていた。飲料水はもちろん食料もたっぷりと保管しているはずだ。しかし一般に開放されることはない。
 エレベーターのドアが開くと、地下二階のボタンを押した。
 音もなくドアが閉まると、すぐに下降をはじめる。ほどなくドアが開くと奥へと廊下が続いていた。出入りを厳しくチェックする必要から、他の階へと移動できる場所はこのエレベーターホールの他に、一階への直通エレベーターが据えられたスペースのみだった。それはちょうどこのエレベーターホールの反対側にあった。
 田尻はただ黙って一番奥の部屋へと向かった。
 静まりかえった廊下に靴音が響く。
 廊下のあちこちにはカメラがセットされ、さまざまなアングルから撮るようになっている。マスクを被って通らない限り、個人は瞬時に特定されるようになっていた。
 ドアの前に立つと壁に埋め込まれた認証端末にIDカードをかざした。
 ピッという電子音がなり、ドアのロックが解除された。
 ドアを開けると中に入る。
 部屋の右側には大型のモニタがずらりと並び、さまざまな映像が映っていた。その前にはコンソールが据えられ、パソコンが所狭しと置かれていた。情報分析班と呼ばれる要員たちが、それぞれ何台かのパソコンを使って調査をしている。その結果の一部を大型のモニタに映し出すことができるようになっていた。すべてのパソコンはネットワークで接続され、地下四階を占領してるサーバーと繋がっていた。
 コンソールの一番端に沢口と安岡がいた。それぞれのパソコンで通夜と本葬のときに撮影した映像を確認していた。
「田尻さん、これいつまでやるんですか」
 歩いてきた田尻を見つけると沢口が口を開いた。
「どうした、全員の特定はできたか?」
 田尻は立ち止まると訊いた。
「はい、全員の映像は整理できました」
 安岡がきまじめに答えた。
「不審者を捜せ、なんていう中途半端な指示出す訳じゃないですよね」
 沢口は溜息を零しながらいった。
「それぞれの関係がわかるようにしておいてくれればいいよ。親戚や縁者と友人、仕事関係の繋がりとその他だな。安岡君には受付してもらったから、判断もしやすいだろう」
「はい」
 安岡は素直に頷いた。
「リストを作ればいいんですね」
 沢口も頷く。
「ああそうだ、課長が探してましたよ」
 パソコンに視線を移しながら、沢口が続けた。
「そうか、ありがとう」
 田尻は沢口の肩を軽く叩いていった。
 そのまま奥のブースへ向かう。
 ガラスで仕切られたブースは課長や部長たちの個室になっていた。
 すぐ近くにあるブースのドアをノックする。
 デスクに置かれたパソコンで作業をしていた山下課長は顔を上げ、田尻を確認すると頷いて手招きした。
 ドアのロックの解除音が聞こえると、田尻はドアを開けた。
「入ってくれ」
 壁を背中にした山下課長はパソコンのマウスから手を離すと、椅子の背凭れに身体を預けていった。
「なにか話でも」
 そういいながら田尻は部屋に入った。その背後でドアのロックが締まる音が響いた。
「このやり方にはまだ慣れん。まるで監視されているようだ。しかも、勝手にドアはロックされて、いちいちパソコンで開けないと部屋を出ることすらできない。まるで囚人だ」
 山下課長はそういって白髪がかなり交じった髪を撫でた。
「そうだ、なにか飲むか?」
 山下課長はそういうとマウスに手を延ばした。
「それではコーヒーを」
 田尻は答えた。
「コーヒーをふたつ頼む。サーバーにある残り物じゃなくて、淹れ直してくれ。わたしも熱いコーヒーが飲みたくなった」
 パソコンの画面に向かって話しかけた。
 画面の向こうには秘書役の女性がいて、頷いていた。
「座ってくれ」
 山下に促され田尻は頷いて椅子を軽く引くと、そこに腰を下ろした。
「葬式はどうだった」
 山下課長は椅子に凭れるように座ったまま訊いた。
「映像はもうすぐ整理が終わるはずです」
「そうか」
 山下課長はただ頷いた。
「なにか気になることでも?」
「うん……」
 山下課長はそういうとただ黙った。
 田尻は局に異動してからすぐにこの課長の配下に配属された。彼は公安庁組だった。いろいろな調査活動にその腕を振るった人物らしく、その穏やかな表情とは別の顔があった。しかし、その頭の中でなにを計算しているのか、田尻にはまったく掴めなかった。
 ときには赤提灯で酒を酌み交わしたこともあったがその腹の内を見せるそぶりさえなかった。
 手持ち無沙汰らしく、山下課長は腕を胸の前で組んだ。
 そのデスクに備品はいっさいない。飲みかけのコーヒーカップがひとつあるだけだ。
 ここまでセキュリティが厳守されているオフィスもそうそうないだろう。メモ用紙はもちろんのこと、文具類の持ち込みもいっさい許されなかった。私物の持ち込みは財布以外はできない。その財布すら中をチェックされることがある。
 携帯電話をはじめてとして仕事に使うものはすべて用意された備品を使う。しかも支給品なので、個人のものとして使うことができない。怪しげな電話番号があれはすぐにセキュリティ部門に質問される。そういう意味では雁字搦めだ。
 ドアがノックされた。
 秘書役の女性がコーヒーカップをトレイに乗せて運んできた。
 山下課長は確認するとパソコンでロックを解除する。
「ミルクと砂糖は?」
 彼女は微笑みながら田尻に尋ねた。
「いや、結構です」
 田尻が答えると、そのまま田尻の前にコーヒーカップを置いた。紙製の大きめのカップだ。
「課長はミルクと砂糖でしたわね」
 そういいながら彼女はコーヒーカップとは別に、木製のマドラーと砂糖が入った紙袋にミルクの入ったポーションを彼の前に置いていった。
 彼女が出ていくとドアはふたたびロックされた。
「これを」
 彼女が出ていったことを確認してから、山下課長は引き出しからファイルフォルダを取り出すと、田尻の前に置いた。
 田尻はコーヒーカップをどけて、フォルダを引き寄せると手に取った。
 山下課長の顔を確認する。
「いいから、中を見てくれ」
 ミルクと砂糖をカップにいれ、マドラーでかき混ぜながら山下課長は答えた。
 田尻は黙って頷くとフォルダを開いた。
 中には報告書が一枚。セキュリティ部門からのものだった。
──ドキュメントへの不正なアクセス。
 日付とともにその一行だけが載っている。右上には報告書のナンバーが振られていて、下には判子のスペースがあった。印がふたつ押してある。
 ここまでセキュリティを意識して、電子化を進めながら、結局やりとりするのは紙の書類と判子だ。どこまでいってもやはりここは日本の役所のひとつでしかない。
 そんなことを感じながら田尻は報告書を確認した。
「なにか感想があったら、いってくれ」
 コーヒーに口をつけると山下課長がいった。
「この日付は……」
 田尻はそういいながら山下課長の顔を見た。
「そう、報告のあった日は事故が起こった前日だ。それはともかく、だれが不正アクセスしたのかということだ。それも、どのファイルに」
「ええ」
 田尻は山下課長の言葉にただ短く答えた。
「この局に移ってかれこれ一年近くなる。その間、君のことをよく見させてもらった。どうやら君はわたしの信頼に足る人物らしい。わたしはそう判断している。口も堅いし、実行力もある。なにより真面目だ。忠誠という言葉を使いたいとは思わないが、真面目という性格はなによりも替えがたいものだ。剛毅木訥仁に近し。それが君だ」
「ありがとうございます」
 田尻はただ頷いた。
「君にこの件を調べてもらいたい」
 山下課長は田尻の顔を見ていった。
「わかりました」
 田尻はその視線をしっかりと受けとめた。
「では、着いてきてくれ」
 山下課長はそういうと立ち上がり、ドアのロックを解除した。
 ドアを開けると、田尻を促して部屋を出た。
 田尻が入ってきたところとは別のドアの認証端末にIDカードをかざす。ドアのロックが開くと、田尻も同じようにカードをかざした。
 ふたりは廊下へ出ると一階直通のエレベーターに乗った。一階に着くと、さらに部のエレベーターに乗る。山下課長は三階のボタンを押した。
 三階に着くと山下課長はそのまま廊下へと出た。田尻もそれに続く。
 このフロアには一般職員は立ち入ることができなかった。廊下の奥に国家安全保障局局長室がある。それ以外のエリアは二階にある会議室の吹き抜けになっている。
 廊下の奥にガラスの仕切りがあり、扉があった。もちろんそこにも認証端末があったが、ここはカードではなく虹彩による認証になっていた。あらかじめ登録している者だけがこのドアを開けることができる。
 さらに廊下が続き、その奥に木でできた重々しいドアがあった。ここにも虹彩認証の端末がある。
 山下課長が端末をのぞき込むようにして認証を受けると、その重そうなドアが開き、中から男の職員が出てきた。
 がっちりしたその体格からそうとう訓練を受けていることがわかる。もちろんスーツの下にはホルスターを下げているはずだ。秘書役というよりはどちらかというSPのような印象を受ける。
 男はただ黙って頷き、山下課長と田尻を案内するために歩き出した。
 ドアから先の廊下には絨毯が敷き詰められていた。ここだけは局の部署とは趣を異にしているようだ。まるで豪華なホテルのスイートルームのようだった。
 ドアを男がノックする。
 ガチャっとロックが解除された音がすると、中からさらに別の男が出てきて、山下課長と田尻を部屋の中に招き入れた。
 広い部屋だった。豪華という言葉しか思いつかない自分をすこし世間知らずかもしれないと田尻は思ったが、しかし豪華という言葉でしか言い表せないような応接セットが据えられていた。窓から差し込む陽がそこに当たっている。
 それを見てはじめてこのビルに窓があることに田尻は気がついた。
 部屋の奥にデスクがあり、その両袖にれぞれパソコンのモニタが置かれていた。
 革製の椅子に栗木田局長が座っていた。
 少し長目の白髪は櫛で綺麗に整えられている。シルクのスーツを着ていた。薄めのブルーがよく似合う。七十を過ぎているはずだが、その身体に贅肉の類は一切なかった。彼なりに鍛えているのだろう。
「座りたまえ」
 澄んだ声だった。
 山下課長と田尻はその声に促されるようにそれぞれソファに座った。深く沈み込まず、適度に身体を受けとめてくれるソファの座り心地がとてもよかった。
「コーヒーでいいかな」
 栗木田局長は椅子から立つと、ゆっくりと応接セットに近づきながら聞いた。
「ええ、ありがとうございます」
 山下課長が答えた。
 その返事を聞いてドアのところに立っていた男が静かに礼をすると部屋を出ていった。
「君が田尻君か」
 栗木田局長はソファに腰を下ろすといった。
「はい」
 田尻はただ頷いた。
「葬式はご苦労だった」
 足を組むと栗木田局長は静かに両手を組んだ。
「いえ、たいしたことはしておりません」
 田尻が答えた。
 ドアが開き、さきほどふたりをここまで案内した男がトレイを持ってやって来た。ただ黙ってコーヒーカップとミルクと砂糖が入ったポットを並べる。ちゃんとした陶器のカップセットだった。
 並べ終わるとこの部屋で待機していた男がファイルフォルダを栗木田局長に手渡した。
「ありがとう。下がっていていいよ」
 その言葉にふたりの男は従った。出て行く際に部屋の中を確認してからゆっくりとドアを閉めた。
 きっとふたりはこのあとドアの前に立ち警護を続けるのだろう。
「局長、まだ田尻には詳しい話をしておりません」
 山下課長が口を開いた。
「そうか」
 栗木田局長は頷いた。
「これを見てくれ」
 栗木田局長はフォルダを田尻に手渡した。
 田尻は頷きながら受け取るとそのフォルダを開いた。さっき山下課長に見せられた書類と同じものがあそこにあった。
──ドキュメントへの不正なアクセス。
 しかしこのフォルダにはさらに別の書類が加わっている。
 書類をめくるとその下には詳細なデータが書きこまれていた。
──アクセスデータキー 未登録・承認待ち
 その文章の下に、アクセスしたであろうドキュメントのファイルネームと番号が記されていた。その量はちょっとしたものだった。A四の紙で三ページ分。行にすると百行は越えているだろうか。
「これは?」
 田尻はページをめくりながら思わず訊いた。
「そう、不正アクセスされたファイルのリストだ。だれかが未登録のキーを使ってそれだけのファイルにアクセスしたようだ」
 静かにカップの中でスプーンを回していた栗木田局長が答えた。
「アクセスされたファイルについては内容を確認した。どれもごく普通の書類と画像データだった。ではなぜこのファイルにアクセスしたのか? 残念だがこのままでは目的がわからない」
 山下課長が説明に加わった。
「つまりだれがアクセスしたかがわかれば目的もわかると?」
 田尻は訊いた。
「そのはずだ。あるいは、そのだれかがファイルを入れ替えた可能性も考えられる」
 山下課長の言葉に、栗木田局長も頷いた。
「それを調べろということですね」
 田尻は山下課長に確認した。
「未登録のキーを使用できる人物は限られている」
 山下課長は静かにいった。
「それは?」
 田尻はふたりの顔を交互に見た。
「わかっているだろう、だから葬式を君に任せた」
 栗木田局長が田尻の顔を見つめるといった。

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