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Born In the 50's 第三話 本牧ふ頭C突堤

本牧ふ頭C突堤

 三月の終わりとはいえ、夜になると海風が冷たい。
 本牧ふ頭のC突堤で男がトラックの到着を待っていた。傍らには荷物を船に積み込むための作業員が四人立っていた。煙草を吸いながら話をしている。広東語だ。
 内容はだいたいわかったが、細かなニュアンスまで正確に理解することはできなかった。どうやら下品な話をしているようだ。ときおり下卑た笑いが混ざる。
 男の格好はその下卑た笑いとは趣を異にしていた。がっちりとした身体にスーツを纏っている。オーダーメイドだろうか、そのシルエットがその場にはそぐわないほどエレガントだった。
 左手にしているCWCクロノグラフで時間を確認した。
──そろそろトラックが着いてもいい頃だ。
 ディーゼルのエンジン音が響いてきた。
 ヘッドライトが男と作業員たちを捉えながら、ゆっくりと近づいてくる。
 すぐ前まで来ると、トラックは止まり、エンジンを切った。ヘッドライトが消え、あたりは再び静寂に包まれた。
 運転席から男が降りてくると、スーツを纏った男の前に立った。迷彩服を着ている。
「オーケーだ」
 それだけいうと頷いて、迷彩帽をかぶったまま彼の横に並んだ。
 もうひとりの男が助手席から降りてきた。同じように迷彩服に身を包んではいたが、すこし不安そうにあたりを見回している。迷彩の帽子を脱ぎ、両手に握りしめると緊張した面持ちで、スーツの男の前に立った。
「三尉、ありがとう」
 スーツの男はそういいながら握手を求めた。
 三尉と呼ばれた男はそれに応じながら頷いた。
「それで、どうすればいい?」
「船に積むからちょっと待っててくれ」
 スーツ姿の男はそういうと作業員に荷物を積むように手で合図をした。
 作業員たちは、煙草をその場で踏み消すと、ふたりずつペアになり、トラックの荷台から木箱を下ろしはじめた。長さは二メートルほどだろうか、かなり重そうだ。箱を降ろすたびに金属が触れあう音がする。
 最後のふた箱になったところで、運転席にいた男がふたりを止めた。
「それはそのままでいい」
 日本語だったが、その仕草で意味は通じたようだ。
 作業員たちは頷くと、今度は降ろした木箱を岸壁に繋留された艀へと運んでいく。
 ふたりで声を掛け合いながら木箱の両端を持ち上げると、そのまま渡された板を使って艀に積み、また木箱を運ぶために戻ってくる。
 スーツ姿の男と運転席の男はなにもいわずにその様子を見ていた。
 三尉と呼ばれた男は、そのふたりをただ見つめる。相変わらず両手で迷彩帽を握りしめたまま。短くカットした髪がときおり吹く海風に揺れていた。
 トラックから降ろした荷物がすべて積み込まれると、スーツ姿の男は三尉を艀を牽引する船へと促した。
「さぁ、いこう」
「どこへ」
 三尉は訊き返した。
「沖に停まっている本船だよ。荷物を確認して、支払をしなきゃ。だろ」
 そういうと、そのまま船に乗り込んだ。
 三尉も同じように続く。
 岸壁に渡してあった板を取り込むと、エンジンが掛けられ、船と艀はゆっくりと進み出した。
 そのまま沖へと向かっていく。
 三尉はスーツを着た男の後ろ姿を見ながら唇を噛んでいた。
──どうしてこんなことになってしまったんだろう。
 後悔の念が不安と入り交じりながら彼の心の中に広がりはじめていた。そんな彼の心を揺さぶるように、船は揺れながら進んでいく。
 魔が差した。
 その言葉で説明するしかないだろう。三尉はいま自分がしていることをそう考えようとしていた。
 あの島崎と名乗る男の誘いにうっかり乗ってしまったのは、自分に隙があったからだし、また欲に駆られてしまった結果でもあった。金額の桁に目がくらんだといういい方もできる。
 いまとなっては島崎という名も、偽名に違いないと確信できる。
「銃を調達してくれ」
 三尉は備品を自分なりの判断で扱える立場になったことをだれかに認めさせたかったのだ。他の隊員とは違うのだ。そういう自尊心がどこかにあった。そして、それを誇示したいとはいわないが、だれかに見せたかったのだ。それが隙となった。
 備品から銃だけを恣意的に横流しすればすぐにバレる。それは小学生にもわかることだ。かりにも陸上自衛隊の装備品だ。だから書類を操作した。
 あちこちの基地から廃棄分として、新しく支給されたものをすこしずつ集めた。
 相手の要求は最低でも百挺。なんとかそれをクリアしようと集め、そしてそれはいま木箱に詰められこの船に乗っている。
 取り引きが終われば、三尉の口座には七桁の振り込みがあるはずだ。
 しかし実際にこうして船に揺られ、スーツを着た男の後ろ姿を見ていると自分の立場がどんなものなのか不安でならなかった。相手がどんなスケールでどのような取り引きをしているのか見当もつかなかったからだ。
 もしかして自分は踏みいってはいけない世界の扉を開けてしまったのではないか?
 この結末はどうなるのか、それを考えようとしたが、想像することもできなかった。
 船の行く手に大きな影が見えはじめた。本船だ。
 最大積載量は三二〇〇〇トン。ばら積み貨物船としてはちいさな方だが、それでも全長は百メートルほどになる。
 船が本船の左舷につけるとタラップが降ろされ、スーツ姿の男は慣れた足つきでそれを登っていった。
 いまさら引き返すわけにもいかない三尉もそれに続いた。
 ゆっくりとタラップを登っていく。船尾の方に国旗が掲げられていた。ぼんやりとしたライトに浮かぶその国旗は見馴れない国のものだった。
 たぶんリベリアだ。
 アフリカの国旗については集中的に勉強したことがあった。これでも自衛隊員だ。そういった知識を得ておくことは必要なことだった。
 甲板に上がるとそこにはスーツ姿の男と、もうひとり大柄な男が立っていた。
「ああ、三尉。この船の船長だ。君が用意してくれたものを、クライアントのところへ届けてくれる」
「リンです。はじめまして」
 分厚い手が差し伸べられた。
 三尉はその手をおずおずと握り替えした。
 どこから見ても中国系の男だ。船員もきっとみなそうなんだろう。船籍はリベリアでも乗組員は中国系。もしかしたら持ち主もそうなのかもしれない。
 知らない世界へ足を踏み入れてしまった不安が再び三尉の心を捉える。
 木箱はクレーンで一気に積み込まれた。甲板に降ろされると船員たちが木箱を船長のところまで運んでくる。
 木箱は全部で十五個。
 船長があごで促すと、船員のひとりが木箱の蓋をバールで開けた。
 蓋を取り去ると中には銃が入っていた。
「八九とP二二〇だ。自衛隊が使っているものだよ」
 スーツ姿の男がそういって木箱に手を延ばした。
 P二二〇を手に取るとその重さを確かめた。
「これはシグか?」
 船長のリンが尋ねた。
「いやライセンス生産されたものだ。日本の会社が作ってる。メイドインジャパンだよ。スライドのところに桜のマークが入ってるだろ。陸自のものだからそのマークの中にダブリュの文字が刻印されている」
「九ミリだな」
 船長はそういって頷いた。
「そっちは?」
 木箱に入っている別の銃をあごで差した。
 船員のひとりがそれを取り上げて船長に渡す。
「そっちは八九だよ。国産品だ。日本人の体型に合わせて設計されているから、ヨーロッパ人に比べて小柄な人種でも扱いやすいはずだ」
「なるほど、確かに持ちやすいな」
 リンはそういって自動小銃を構えてみせた。
「リンさん、あんたは大柄だからM六〇だろうがなんだろうが平気だろ」
 スーツの男がそういって軽く笑った。
「弾は?」
「M一六と同じだ。五.五六ミリだ」
 スーツ姿の男は、リンから銃を受け取ると構えながらいった。
「それで、百挺だな」
 リンが尋ねた。
「ああ」
 スーツ姿の男は頷いた。
「テストしなきゃ。そっちの箱に弾倉があるはずだから試射してくれ」
 スーツ姿の男の言葉を、リンがそのまま広東語で船員に伝えた。
 船員のひとりが、スーツ姿の男から銃を受け取ると別の船員からマガジンをもらい、セットする。そのまま右舷へと歩いていき、海面目がけて連射した。
 プシュンプシュンと鋭い発射音がしたかと思うと、弾は水しぶきを上げて海面に突き刺さっていく。
「こんなところで撃って大丈夫なのか?」
 三尉は思わず訊いた。
「大丈夫だよ、聞こえやしないさ。もし聞こえたとしても、監視船がやってくる頃には、この船はもう外海に出ている。心配ないよ」
 スーツ姿の男は笑って答えた。
 しかし、三尉には笑顔に見えなかった。
「こっちも試そうか」
 そういって男は弾倉の入った木箱に近づいた。
 P二二〇のマガジンを取り上げると、パッケージから弾をひとつだけ取り出して、セットした。
 立ち上がるとゆっくりと三尉に近づきながら、マガジンを銃にセットする。そのまま慣れた手つきでスライドを引き、弾を充填した。
「八百三十グラムだっけ。ちょうどいい重さだね」
 男はそういいながら銃を手の中で弄んだ。
 セーフティを外す。
「三尉、おかげでいいビジネスになりそうだ」
 そういうなり銃をそのまま三尉の額に突きつけた。
「え?」
 三尉が途惑った瞬間、あたりに銃声が大きく響いた。
 三尉の後頭部から脳漿が飛び散り、その場に崩れ落ちた。
「この後始末の分ももらうよ」
 その様子を黙って見ていた船長のリンはニヤリと笑った。
「ああ、頼む」
 スーツ姿の男は頷いた。
 そのまましゃがむと三尉の骸をしばらく見ていたが、やがてぼそりとつぶやいた。
「三尉、どこで死んでも戦死だ」

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