ロング_NOTE

ロングボーダーの憂鬱 3 Every Breath You Take 2/3

 十一時半を回っていた。
「真夏ちゃん、そろそろ上がっていいよ」
 ろくさんは洗い物をしていた真夏に声をかけた。
 Rough Boyの閉店は十二時。そろそろ客の大半も帰り、残っているのはほんの二三人。それもじきに帰るだろう。あとはろくさんひとりでも片付けられそうだった。
「はい」
 真夏が返事をしたところでドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
 真夏が笑顔でいった。
 美里と小菅がやってきた。美里は足下も覚束ない様子だった。小菅が肩を貸してようやく歩いているような状態。こんなに酔った美里を見るのは、ろくんさははじめてだった。
「ろくさん、あと頼んでいい? タクシーに乗せちゃおうと思ったのに、ミリったらRough Boyにいくんだって聞かないのよ」
 そういいながらカウンターに腰掛けた。美里も大人しく隣に腰を下ろす。
「ミリ、ほらRough Boyだから。ねぇ、ちゃんとしてよ」
 小菅はそういって美里の身体を揺さぶった。
「なに? Rough Boy?」
「そうよ」
 小菅の言葉に改めて気がついたのか、美里は店内を睨めつけるように見ていった。酔眼で焦点が定まらないらしく何度も見直して、ようやくカウンターの向こう側にいるろくさんの顔を見た。
「見つけた、ろくさんだ」
 美里はろくさんを指さしながらいった。
「なんだかすごく酔ってないです、ミサトさん?」
 真夏が心配げにろくさんにいった。
「ああ。酔ってるな、完全に」
 ろくさんはただ頷いた。
「スガちゃん、判った。あとは面倒見るよ。ありがとう」
 ろくさんはそういいながら小菅に向かって頷いた。
「なにか呑むか?」
 ろくさんの言葉に小菅はただ首を横に振った。
「ミリに付き合ってあたしもずいぶん呑んじゃったのよ。今日はもういいわ。このまま帰る」
「気をつけてな」
 小菅はろくさんの声に右手を上げて答えるとそのまま店を出ていった。それをきっかけに他に残っていた客も帰っていった。店には真夏とろくさんと美里だけになった。
 店内に流れるギターのリフがなんだか浮いて聞こえる。
 ろくさんは酔って視線の定まらない美里をじっと見つめると静かに口を開いた。
「ミリ、大丈夫か?」
「なにいってるの、わたしはカタカナのミサトなんだから。大丈夫に決まってるでしょ。ねぇ、なにか出して。呑むんだから」
 美里はそういってカウンターに肘をついた。その上に顔を乗せる。頭がぐらぐらと揺れていた。
「なんだか変」
 真夏が美里の顔を見てポツリといった。
「酔っぱらいなんて、みんなこんなものだろう。真夏ちゃん、毎晩、酔っぱらいの相手してるじゃない」
 ろくさんの言葉に真夏は首を横に振った。
「いや、なんだかミサトさんらしくなくて……」
「誰にだって酔いたいときはあるさ。それもしこたま呑みたいときがね」
 そういいながらろくさんは美里の前にグラスを置いた。
「呑め」
 美里はそのグラスに手を伸ばすと口を開いた。
「ねぇ、お酒よね。今日は呑むんだから」
「もう充分呑んだろう。気にせずに呑め。レモンの味が判ったら、もう一杯作ってやる」
「よし、呑む」
 そういってグラスを呷るとすこしだけむせながら口を開いた。
「うん、レモンの味した。だから次」
 ろくさんはもう一杯作るとまたグラスを差しだした。
「今度はライムの味。判るか?」
 美里はまた手を伸ばした。
「ねぇ、マスター大丈夫なんですか? そんなに呑ませちゃって……」
「ああ、中味は炭酸水。それにレモンやライムの味をつけただけだら」
 そう小声でいうとろくさんは真夏に頷いてみせた。
「どうだ、ミリ。味がわかるか?」
 ろくさんがやさしく訊いた。
「うん? なんだかよくわかんない……」
 美里が身体を前後に揺するようにして答えた。
「そうか、味が判らなくなったか。じゃ、もう今日はおしまい。味が判らない奴に、大切な店の酒は出せない。だから帰るぞ、ミリ」
「え? 帰るの? やだ……」
 美里はただ首を横に振った。
「もう今日はそれでおしまい。だから帰るぞ。タクシー呼ぶから帰れ」
「だめ……」
「駄目って、ミサトさん、どうして?」
 真夏が不思議そうに尋ねた。
「なんかね……、歩けなさそう……」
 そういって美里はだらしなく笑った。
「しょうがないな」
 ろくさんはそういってしばらく美里を見つめた。相変わらず美里の視線は定まらず、頭だけでなく、身体が揺れている。
「じゃ、うちに連れてく。だから今日はもうおしまい」
「え? ろくさん家?」
 そういって美里は酔眼でろくさんを改めて睨めつけた。
「ねぇ、それって貞操の危機? わたしってヤラレちゃうのかしら?」
 美里はまた半分笑いながら 声を大きくしていった。
「馬鹿なこというな。いいから帰るぞ。ちょっと待ってろ。店閉める準備するから」
 そういうと、ろくさんは真夏とふたりで店の片付けをはじめた。その間、美里は相変わらず身体を揺すりながらだらしない笑顔で、ヤラレちゃうといい募りつづけた。
 そんな美里を見てろくさんはぽつりと、真夏に聞こえるように零した。
「どうしたんだ、ミリのやつ」
「ほんとうに、こんなのミサトさんじゃない……」
 真夏はすこし悲しそうな顔で言葉を返した。
 

 ──痛っ! 
 痛む頭のせいで眼が醒めた。
 ──え? ここはどこ……?
 眼に飛び込んできたのは見たこともない景色だった。だいたい天井からして違った。それに見たことのないカーテンがかかった窓。まるで見覚えのないベッド。そこに美里は寝ていた。
 軽くパニクり勢いよく上半身を起こして改めて見廻そうとしたとき、知っている顔に気がついた。不思議そうな表情で美里をじっと見つめている。
「美奈海ちゃん……」
 美里の全身からどっと力が抜けた。と同時にやるせない気持ちが押し寄せて言葉が続かなかった。
「おはよう、美里さん」
 美奈海は屈託のない笑顔でいった。
「あっ、おはよう」
 そういって美里は髪をかき上げた。
 ──そっかー。ここ、ろくさん家なんだ。
 昨日の記憶を手繰ろうとした美里だったが、それはNorth Shoreで途切れていた……。小菅の遠慮のない笑い顔しか思い出すことができなかった。
 やっちゃった……。
 思わず両手で顔を覆う。こんな顔をよりによって見られたくなかった。それもろくさんの愛娘の美奈海に。
「ねぇ、美里さん、朝ご飯食べる?」
 美奈海はそんな美里の思いとは関係なく、笑顔のまま首を傾げた。
「朝ご飯……」
「うん、ろくが用意してくれてる。ご飯とお味噌汁。たまごは自分で好きなようにしろって」
 美奈海は大きく頷いた。
「ろくさんは?」
「海!」
「海か……」
 美里は頭を掻きながらいった。
 ベッドから出ようとして、ちょっとフラついた。
 ──やっだ、まだ残ってる……。そんなに呑んだんだわ……。
「美奈海ちゃん、顔洗わせてもらってもいいかしら」
 タオルケットをきちんと畳んで、ベッドを簡単に片付けながら美里はいった。
「うん。下のバスルーム使って」
 そういうと美奈海はドアを開けて、廊下を抜けると階段を降りていく。美里もベッドサイドに置いてあったバッグを持って、そのあとに続いた。階段を降りた突き当たりにある玄関の横がバスルームだった。
 洗面所があり、その奥が風呂場になっていた。天窓があってそこから朝陽が零れ落ちている。風が通り抜けるとさぞ爽快になるんだろう。いまはほとんど風がなかったけど、そんな情景が見て取れた。
 美里は洗面台の鏡の前で灯りを点けるとそこに映る自分の顔をじっと見つめた。化粧が落ちかけている顔がそこにぼんやりと浮かび上がっていた。
 ──なんて疲れた顔してるのかしら……。
 洗顔石鹸を使って美里はていねいに顔を洗った。できたらそのまま顔にこびりついた疲れもそっくり流してしまいたい気分だった。何度も何度も洗い流す。
 やがてようやく納得がいったのかタオルに手を伸ばして、顔を拭いた。
 もう一度、鏡で自分の顔を見た。
 化粧がすっかり落ちた自分の顔。なんだか久しぶりに見る素顔みたいだった。いつもは化粧をする前のさながら下地──カンバスのようなつもりで見ているからかもしれない。
 ──これが、いまのわたしか。
 もう一度、じっと見つめた。
 すこしだけ疲れは洗い流すことができたかもしれない。
 バスルームを出ると、美里はそのままキッチンに向かった。キッチンの奥のダイニングに美奈海がいた。美奈海はダイニングテーブルに座って 美里を待っていた。
 美里の姿を見ると、美奈海は立ち上がった。
「たまご焼くよ」
 そういいながらキッチンへ歩いていく。
「たまご焼くって、美奈海ちゃん料理するの?」
 あまりにもごく当たり前のように話す美奈海に美里が尋ねた。
「うん、目玉焼きならいつも作ってる。だいたい朝はこんな感じなんだ。ご飯は炊けてて、お味噌汁も作ってあって、あとたまごは好きにしろって。だからだいたい目玉焼きにするの。面倒なときには、そのまま玉子かけご飯」
 美奈海は振り返って美里に答えた。
「ろくさんは?」
「え? あいつはいつも海だよ。決まってるじゃん」
 美奈海は屈託なく笑った。朝陽に似たキラキラとした笑顔だった。いまの美里にはちょっとだけ眩しかった。
「そうか、愚問だったわ」
 美里はそういいながら美奈海のそばへ歩み寄った。美奈海の横にいくと、オリーブオイルを垂らしたフライパンを火にかけて、たまごを割り入れるところだった。
「美里さんは、たまごどうする?」
 美奈海が首を傾げた。
「ありがとう。せっかくだけど、わたし食べられそうにない。お味噌汁だけいただくわ」
 美里はそういって美奈海に笑いかけた。
「二日酔いなんだ」
 美奈海が訳知り顔で笑った。
「そうよ、二日酔い」
 美里は溜息交じりにいった。
「ろくなんて、毎日だもん。大人だからそういう日もあるよね」
 美奈海はそういいながらたまごを慣れた手つきで割り入れた。しばらくそのまま焼いていたが、やがて水を挿し入れて蓋をした。
「美奈海ちゃん、上手ね」
「だって毎日だもん。これぐらい普通じゃない。ほんとうはもっとじっくり焼いた方がいいんだけど、蒸した方が簡単だしね」
 目玉焼きを乗せた皿をテーブルに置くと美奈海は座った。ご飯と味噌汁はすでにそこに並んでいる。
 美里も味噌汁だけよそうと美奈海と向かい合うように座った。
「いただきます」
 両手を合わせていった美奈海を見て美里はなんともいえない感覚に襲われた。
 ──あっ、歩惟にそっくり……。親娘だから当たり前か……。
「いただきます」
 美里も同じように手を合わせた。
 味噌汁にそっと口をつけた。美味しかった。温もりがそのまま味噌汁になったようだった。具は大根とにんじん。そんなに多くはないけれど、きちんと調理してある。味噌と出汁の具合も絶妙だった。ろくさんがどれだけ美奈海のことを大切に思っているのか、そんなことがこの味噌汁から伝わってくるようだった。
「ねぇ、美奈海ちゃん、いつも朝はひとり?」
 無心で食べている美奈海に美里が声をかけた。
「夏休みだからね。学校があるときは、ときどきろくと一緒」
 いったん箸を置くとちょっと考えてから美奈海が答えた。
「そうなんだ」
「だって学校があるときは時間が決まってるけど、夏休みだから朝の時間は自由でしょ。でも、そんなわたしの都合に合わせてられないみたい。あいつは海のことで頭がいっぱいだから」
 美奈海はちょっと笑いながらいった。
「なんだか、ろくさんらしい」
「ほんとうに父親の自覚がなさすぎ、あいつ」
 美奈海はそういって舌をペロリと出した。
 その仕草が可愛くて美里はくすりと笑った。
 美奈海は美里の顔をじっと見つめるとなんの衒いもなくいった。
「美里さん、すっぴん」
「あははは。ごめん、これがわたしなの」
 美里は照れ隠しに笑った。
 味噌汁をふた口ほど飲んでから美里はなにげなく窓を見た。芝生が綺麗に生えている庭が見えた。カーテン越しに輝く朝陽が零れてきていた。
 ろくさんと美奈海の家。ふたりの笑い声がその煌めきから聞こえてくるようだった。その声は、しかし美里のこころをすこしだけ曇らせた。
はじめから 続く

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ろくさんを逗子では知らない人はいないというサーファー。けれどその過去を知る人はほとんどない。そして、彼の心に深く刻み込まれた傷は、いまだにそのまま。その心の傷は癒えることがあるんだろうか……。

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夕焼けフォトグラファー / 物書き / デジタルコンテンツデザイナーの癌サバイバー、竹井義彦です。 逗子の海の写真や、オリジナルの小説をメインに公開しています。よろしくお願いします。
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