ロング_NOTE

ロングボーダーの憂鬱 2 Rough Boy 2/3

 しばらくするとドアが静かに開いて子どもが入ってきた。ろくさんの長女、美奈海だった。美奈海はすっかり慣れた様子で店に入ってくると、カウンターの一番奥の席に当たり前のように座った。ここは美奈海席として、特別なことがない限り誰も座ることのない神聖な場所だった。
「ろく、晩ご飯なに?」
 美奈海はカウンターの中で忙しく立ち働いているろくさんにいった。
「だから、親を呼び捨てにするなって。今日はハンバーグ」
「やった! ねぇ、チーズ乗せて」
 美奈海の顔が輝いた。
「ちょっと待ってろ。いま最後の仕上げしてるから。チーズだな。とろけるやつ乗せとくよ」
 そういいながらろくさんは美奈海の顔を優しく見つめた。
 やがて美奈海の目の前にチーズの乗ったハンバーグと付け合わせのサラダ、それに味噌汁とご飯が並べられた。ろくさんが箸箱を手渡すと、美奈海は箸を取りだして、両手を合わせた。
「いただきます」
 ろくさんの顔を見ながら頷くと嬉しそうにハンバーグに箸をつけた。
「美味しそう」
 美奈海の前の皿を覗きこんで真夏が思わず溜息を漏らした。
「大丈夫、今日の賄いこれだから」
 そういってろくさんが頷いてみせた。
「なんだかいい匂いしてないか?」
 うしろの席にいた祐司が美奈海の背中越しにその夕食の皿を覗きこんだ。
「ろくさん、俺もこれ欲しい」
 真顔でいった。
「なに? ハンバーグあるの? 俺も食べたい」
 他のテーブルやカウンターにいた客たちも同じように声を上げた。
「賄いなので限定です」
 真夏が宣言するようにいった。
「ろくさん、あと何人分残ってる」
 祐司が真顔で訊いた。
「いや、ハンバーグだからさ、六人分しか作ってない。だから先着三名」
 ろくさんが指を折りながら答えると、祐司が嬉しそうに真っ先に手を挙げた。それに続いて何人もの手が挙がる。
「先着三名。真夏ちゃん、放っておくと五月蠅いから、ともかく三人に配っちゃって」
「はい」
 勢いよく真夏は返事をすると一番先に手を挙げた祐司と、カウンターにいた二人連れの前にハンバーグを乗せた皿を置いた。
「なんだってハンバーグなんか欲しがるんだよ」
 ろくさんが首を捻ると、祐司が当たり前のようにいった。
「ほかにろくなつまみがないからだよ。乾き物ばっかりだし」
「なにいってるんだよ、オムレツに唐揚げだってあるじゃないか。ポテトだって揚げてるし」
 ろくさんが答えると、今度は別のテーブルから声が上がった。
「毎日それじゃね、飽きるんだよなぁ」
「なんだよ、そのくせ毎日同じものばっかり呑んでるじゃないか」
「酒は別だって。ろくさんだっていっつもビーフィーター」
「そりゃそうか」
 ろくさんは素直に頷いた。
 そんな騒がしい店にまたひとりの客が入ってきた。ドアが静かに開くと、ヒールの小気味いい音が響く。淡いピンクのブラウスに紺のタイトミニ。館野美里だった。
「よう、ミリ」
 ろくさんが声をかけると、訳知り顔で店の奥まで来ると、美奈海の隣の席に座った。
「美奈海ちゃん、美味しそう」
 ショートボブの長めの前髪を掻き上げながら美里がいった。
「このハンバーグは美味しいんだ。大好物なの」
 そういって美奈海は嬉しそうに頷いた。
「ねぇ、ろくさん、わたしにもこれ」
「だからうちは定食屋じゃなくて呑み屋なの。それも乾き物メイン」
 ろくさんがふて腐れたように答えると、美里は真夏の顔を見て訊いた。
「どうしたの?」
「いえ、ちょっと前に、この賄いのハングーグの争奪戦があって、先着三名様で完売です」
 真夏が笑いながら答えた。
「だって、ろくさんの分、残ってるでしょ。譲ってくれてもいいじゃない?」
 そういって美里は意味ありげにろくさんを見た。
「じゃなに、俺は晩飯抜き」
「サーファーなんだから、腹ぺこでも平気でしょ」
 笑いながら美里がいい放った。
「ミサトさん、強気ー」
 真夏がそういってふたりの顔を交互に見た。
「付き合い古いからね。なにしろ、ろくさんって渾名つけたのわたしだし」
「えー? マジですか?」
 真夏が意外そうな声を上げた。
「それ、いうなって」
 ろくさんが心なしか声のトーンを落としていった。
「わかったよ、俺の分をここは譲ろう。ミリ、大切な晩飯を食え。サーファーは腹ぺこで働くから」
 そういってろくさんは美里の前にハンバーグの乗った皿を出した。
「渾名の由来は?」
 真夏がちょっと残念そうにろくさんの顔を見た。
「だからバーター取引。このハンバーグでその話は終わり」
 ろくさんはそういうとグラスを洗い出した。
「真夏ちゃん、今度、こっそり教えてあげるからね。今日はとりあえずなしということで。いっただきまーす」
 美里はそういうとハンバーグを食べはじめた。
「そうだ、真夏ちゃん。生お願い」
 気がついたように付け加えた。
「そうそう、うちは呑み屋なの」
 ろくさんが大きく頷く。
 真夏はビールグラスにサーバーから生ビールを注ぐと美里の前に置いた。
「ミサトさん、わたしの中ではミサトさんって、カタカナのミサトなんですけど、なんでマスターはミリって呼ぶんですか?」
 真夏が尋ねると、美里は意外そうな顔をした。
「わたしってカタカナのミサトなの?」
「ええ、わたしの中ではカタカナ。その人によって漢字だったりひらがなだったりカタカナだったり。ミサトさんはなんとなく颯爽としていてかっこいいから、カタカナのミサトで」
 真夏は真顔で答えた。
「そんなものなのか。わたしってすっかりおばさんだわ。そういう感覚ない」
 本気でショックを受けたように美里が答えた。
「わたし、ちょっと変わってるかも」
 真夏はペロリと舌を出した。
「美しいにさとで美里よ。ミリって読めるでしょ。それにね高校に入学したときろくさんと身長タメだったの。ほんの僅か、何ミリかわたしが小さかったから、ろくさんがわたしのことミリミリって呼ぶようになったのよ」
 美里はちょっと懐かしむようにいった。
「でも男の子って、どんどん伸びるのよね身長。卒業するときにはずいぶん差がついてた」
 美里はそういうと生ビールをひと口、ゆっくりと呑んだ。
「高校の頃の話なんですね。もしかして、ろくさんって渾名もそのとき?」
 真夏の言葉にろくさんが反応した。
「だからその話はなし」
「今度ね」
 美里は耳打ちするように真夏にいった。
「ごちそうさま」
 そんなやり取りをよそに、美奈海はきちんと夕食を食べ終わるとまた手を合わせていった。
「ろく、帰る」
「美奈海ちゃん、帰るならわたしが送っていくわ。一緒に帰ろう」
 美里は美奈海の顔を見ながら微笑んだ。
「うん」
 美奈海はその言葉に素直に頷いた。
「じゃ、お勘定」
 美里は残っていたビールを綺麗に飲み干すと、カウンターに札を置いた。
「ミリ、悪いな。頼むわ」
 ろくさんはおつりを美里に手渡した。
「じゃ、いこう。美奈海ちゃん」
 そういって美里は美奈海と手を繋ぎ連れだって店を出ていった。
「なんだかミサトさんって……」
 真夏はそこまでいって言葉を口を噤んだ。
「うん? ミリがどうかしたか?」
 ろくさんがなにげなく訊き返したが、真夏はただ首を横に振った。
「なんでもないです」
 そういってペロリと舌を出した。
 ──いえないよね、美奈海ちゃんのお母さんみたいだなんて……。

はじめから  続く

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夕焼けフォトグラファー / 物書き / デジタルコンテンツデザイナーの癌サバイバー、竹井義彦です。 逗子の海の写真や、オリジナルの小説をメインに公開しています。よろしくお願いします。
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